日本サッカー協会元会長(現・相談役)で、Jリーグ初代チェアマンを務めた川淵三郎氏(88)は、1993年にJリーグが創設されて間もない94年末にテレビ番組の対談で長嶋茂雄さん(享年89)と初対面していた。同じ1936年生まれ。
川淵氏は30年以上前の出来事の“裏側”を知り、驚きを隠せなかったという。94年12月。日テレの特番で長嶋さんと初めて対談する機会があった。長嶋さんは約30分遅れてきた。川淵氏は「オレ調子悪くて、しんどかったのにさ」と当時の心境を笑い話で振り返った。「しばらく後になって(当時、局にいた)人から聞いた話だけど、長嶋さんが僕に会うのにすごく緊張して、どういう風に話したらいいかを考えて遅れたっていうんだよ」と理由を知ったと明かした。
巨人の監督に復帰し、2シーズンたった長嶋さんと、Jリーグチェアマンの川淵氏。当時、プロ野球は巨人以外の球団が観客動員に苦戦しており、93年から始まりプロ化してすぐのJリーグは人気に火が付き、ブームとなった。メディアから「野球を何年で超えられるか?」と聞かれることが多くなった。「プロ野球とは歴史がまるで違うから、追いつけ追い越せなんてことは思っていなかった。ちょうど(対談は)その頃」。
同じ1936年生まれ。プロ野球選手の結婚披露宴に長嶋さんが主賓で、川淵氏が新婦側で出席した際には、「長嶋さんがあいさつで『オイ〇〇、離婚するんじゃないぞ』って。もう(場内は)大笑い」
選手、そして引退後も野球、サッカーと異なる競技をけん引した両者。
「とにかく野球が好きで好きで、人を喜ばせるにはどうしたらいいかを考えていたのが長嶋さん。ヘルメットを飛ばして三振するって、そこまで発想いかないもん。例えば、サッカー選手が(ファウルで)足を蹴られて、(時間稼ぎのように)長く寝そべっているなんてことは長嶋さんなら絶対にしないだろうな。足を引きずってでも、ファンのためにやる。選手としてこうあるべきだと常に示し続けた。スポーツ界、日本全体を明るくしてくれた人」
真のエンターテイナーに尊敬の念を込めた。
サッカー界にも将来、長嶋さん級の「超」がつくほどのスーパースター出現を熱望した。
「釜本(邦茂)、カズ(三浦知良)、中田(英寿)、本田(圭佑)と出てきたけど、長嶋さん・大谷(翔平)クラスがサッカー界に一番ほしいね」
長嶋さんの華麗な姿を重ねつつ、未来を明るく照らす選手の出現を思い描いた。
◆1993年頃のJリーグとプロ野球 93年5月15日にJリーグが10クラブで開幕。V川崎(当時)―横浜Mの開幕戦(国立)には5万9626人が詰めかけた。チアホーンを使ったサポーターの応援スタイルが話題となり、試合は地上波でも中継された。CMで話題となったレトルト食品「Jリーグカレー」や、選手カード入りの「Jリーグチップス」も人気となった。プロ野球は93年に長嶋さんが巨人監督に復帰。Jリーグ開幕により、野球人気低下の危機感が広がる球界全体を、実績やカリスマ性で盛り上げた。勝てばリーグ優勝という決戦を制した94年の10・8巨人―中日戦は有名。当時はセ・リーグ、パ・リーグの人気格差もあった。
◆川淵 三郎(かわぶち・さぶろう)1936年12月3日、大阪・高石市生まれ。88歳。三国丘高―早大商学部―古河電工と進み、日本代表FWとして国際Aマッチ26試合8得点。