長野冬季五輪の公式ポスターの原画などで知られる洋画家で文化勲章受章者の絹谷幸二(きぬたに・こうじ)さんが1日、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。82歳だった。
この日、スタッフは開館前に黙とう。入り口には訃報(ふほう)を伝える紙が貼られた。美術館の坂本博孝事業室長によると「朝、ニュースを見て来た」と話したり、館内の映像で絹谷さんと“対面”して「もう会えないと思うと寂しい」とつぶやく来館者がいたりしたという。
12月7日までは特別展「絹谷幸二 平和へ」が開かれているが、「終了後は絹谷先生を追悼する特別展を検討したい」と坂本さん。献花台、記帳所の設置も検討中で、決定次第、美術館のホームページで発表する。
遺族によると、絹谷さんは昨夏に体調を崩し、9月に検査を受けたところ悪性リンパ腫と判明した。すぐに手術を受け、その後は化学療法を受けながら展覧会に向けて40~50点の新作を描いていたという。だが1か月前に容体が急変して入院。最後は家族16人らにみとられ、天国に旅立った。
絹谷さんは東京芸大在学中にフレスコ画を知り、イタリア留学から帰国後にその技法を応用した作品で評価を受けた。鮮やかな色彩が特徴で、長野五輪のポスターのほか、横浜高速鉄道みなとみらい線の横浜駅や東京メトロ副都心線渋谷駅など、公共建築物の壁画や天井画なども手がけた。
今年6月に亡くなった長嶋茂雄さん(享年89)とは1980年代から親交があった。その関係で長嶋さんが創設に深くかかわり、プロ野球に所属する人の中から積極的に社会貢献活動を続ける人に贈られる「ゴールデンスピリット賞」(報知新聞社制定)の受賞者トロフィーを制作。女神のデザインには「あきらめずに業と精神を磨く男たちに勇気を与えて優しく微笑む」との思いを込めたという。
2000年には、チャリティー絵画展に向けて長嶋さんと合作で油絵「新世紀生命富士」を完成させた。真っ赤な太陽と富士山が描かれた作品は、長嶋さんがモチーフとして提案したものであると同時に、絹谷さん自身も好んだテーマとしても知られる。同作について、絹谷さんは「長嶋さんのプレーが絵のイメージにもなった」と話していた。21年には文化勲章を長嶋さんと同時に受章し、親授式に出席していた。
◆絹谷 幸二(きぬたに・こうじ)1943年1月24日、奈良市出身。東京芸大卒業後にイタリアに留学。74年、「アンセルモ氏の肖像」で当時史上最年少で安井賞を受賞。93年、東京芸大教授に就任。2009年、絹谷幸二賞を創設。
◇葬儀日程
▼通夜 8日午後6時
▼葬儀・告別式 9日午前10時半~正午、いずれも東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。
▼喪主 妻・絹谷宏美さん。