1968年メキシコ市五輪でアジア勢初の表彰台となる銅メダル獲得に貢献したサッカー日本代表のエースで、同大会で得点王にも輝いたFW釜本邦茂さんが10日午前4時4分、肺炎のため大阪府内の病院で死去した。81歳だった。

かねて病気療養中だった。国際Aマッチ75ゴールは日本史上歴代最多。現役時代は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーでプレーし、引退後はG大阪などで監督を務めた。

 釜本さんの訃報に接し、元日本代表MF本田圭佑が考案した育成年代の4人制サッカー「4v4」の初の国際大会後のイベントに出席していた、元日本代表の松井大輔氏、内田篤人氏、柿谷曜一朗氏がそれぞれ取材対応し、故人をしのんだ。

 元日本代表MF松井大輔氏「2003年のコンフェデ(杯)の時にフランスに一緒に行かせていただいた時に(飛行機で)隣の席に座らせてもらいました。その時に色々なお話をさせてもらったことを覚えていますし、“シュートとはなんぞや”というのを教えてもらった。すごく残念です」

 元日本代表DF内田篤人氏「サッカー界を引っ張っていただいた。どこに行っても名前を聞きますので、ショックが大きいです。切り開いてくれた道を僕たちは歩ませてもらいましたけど、下の世代につないでいくのも使命だと思います」

 元日本代表FW柿谷曜一朗氏「日本サッカー界にとって特別な人だと思いますし、僕たちはそういう思いをしっかり背負って、日本のサッカーを発展させていかないといけない」

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