10日に81歳で死去したサッカー日本代表FW釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で執り行われた。喪主は長男の釜本達生さん。
釜本さんは、1968年メキシコ市五輪で銅メダル獲得に貢献。同大会では得点王にも輝いた。Aマッチ75ゴールは日本史上歴代最多。現役時代は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーでプレーし、引退後はG大阪で監督を務めた。
参列した元日本代表MF前園真聖氏は「幼少期、最初に日本人のサッカー選手で名前を覚えたのは釜本さん。僕みたいな若僧が色んなことを言っても、快く受け止めてくださったし、豪快な方だけど、優しくもある大先輩でした。ずっとサッカーに携わること、特に育成の、サッカー教室とかやられていたので、その思いを僕自身もこれからサッカーに携わると思う。しっかりと胸に刻みながら、どんな形でもサッカーを広げる活動をやっていきたいと、ありがとうございましたと」と最後に思いを伝えた。
1996年のアトランタ五輪に出場した前園氏は、「特に思い出としては96年の(アトランタ)オリンピックの時に、(日本の出場が)28年ぶりと言われた。28年前は釜本さんが(メキシコ市五輪で銅メダル獲得し)世界を切り開いた映像を何度も見せていただいた」と感銘を受け、「引退してから一緒にボールを蹴らせてもらった。70代になられてもサッカー教室で、キックの精度とか本当にお上手で、『インステップで、狙ったところに蹴ればいいんだよ』と実現されて、本当に驚かされました。現役時代の映像そのままのキックの精度とか、素晴らしいもので、僕自身の思い出にもなっています」と言葉を詰まらせながら語った。