10日に肺炎のため81歳で死去したサッカー日本代表FW釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で執り行われた。喪主は長男の釜本達生さん。

 釜本さんは、1968年メキシコ市五輪で銅メダル獲得に貢献。同大会で得点王にも輝いた。Aマッチ75ゴールは日本史上歴代最多。現役時代は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーでプレーし、引退後はG大阪で監督を務めた。

 参列した元日本代表FWで大阪府サッカー協会会長の永島昭浩氏は、「本当に色々教えていただいたこと、一緒に戦ったこと、色々なことが思い出されます。振り返ると本当にこのような選手が、本当に日本人で、そして、しっかり世界で結果を残してきた方が身近にいたんだなと、改めて思いました。お別れすることは非常に残念でしたけど、釜本さんが世界一を目指した意志をしっかり引き継いで、微力ながら世界一になれるように力になっていけたらと思います」と思いを語った。

 Jリーグ開幕の1993年から釜本監督率いるG大阪でスタメン出場していた永島氏。恩師との思い出を聞かれると、「練習中に釜本さんに『シュートってどのように(打つのですか)?』と質問を投げたときに、『簡単や』と。『見とけよ』と目の前でシュートを打っていただいた。本当に、本当に精密機械のように、弓なりで、6割くらいの力で、僕なんて当時現役中、力いっぱい蹴ってコース狙っていたけど、弓なりで6割くらいの力で、僕よりもスピードあって、精度高くて、本当にこんなシュート打てるんだって。後にも先にもあんなシュート見たことなかった。

これが世界なんだと。どうしたらあんなシュート打てるのかなと。釜本さんに少しでも近づければと練習したのを覚えています」と、世界で活躍したストライカーのすごさを目の当たりにしたという。

 最後に「天国から少し休んでいただいて、日本のサッカー界を見守っていただきながら、それに応えられる後輩であり、日本サッカー界でありたいなと思います」と話した。

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