10日に肺炎のため81歳で死去したサッカー日本代表FW釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で営まれた。喪主は長男の釜本達生さん。

 釜本さんは、1968年メキシコ市五輪で銅メダル獲得に貢献。同大会で得点王にも輝いた。国際Aマッチ75ゴールは日本史上歴代最多。現役時代は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーでプレーし、引退後はG大阪で監督を務めた。

 参列した日本サッカー協会・宮本恒靖会長は、「サッカーを見ていない人でも釜本さんは知っている。メダルというものもあるんでしょうけど、プレー面での豪快さや、負けず嫌いなところ、ひたむきに努力するところ、アスリートとして、1番世界に近かった人なんじゃないかなと思います」と、日本を代表するストライカーに敬意を表した。

 また、G大阪監督就任や、日本サッカー協会の会長就任など、節目で釜本さんから激励があったという。「お会いすると、長いお話をしてくれるわけではないんですけど、『大丈夫なのか、元気にやっているんか』とお言葉をいただいて、いつもきにかけていただいた。自分が選手の時も、監督になってからもそうでした。会長になった時は、『若いけどおまえ大丈夫なのか』みたいなことを釜本さんのご家族にもそんなお話をしていたみたいで。常に気にかけていただいたのかなと思います」と優しさにも感謝した。

 さらに、「この立場になると、日本サッカーを次の世代につたえていくことを考えますし、その時、普及に尽力されてきた釜本さんの姿勢から学ぶことは多く、それは絶対に忘れてはならないなと思います。

日本にもいいFWが生まれつつあると思いますけど、もっと数多く生まれることが大事だと思う。釜本さんがおっしゃっていたゴールの部分は、これからも意識していきたい」と、思いを語った。

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