日本サッカー史上最高ストライカーで、10日に81歳で死去した釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で営まれた。歴代最多の国際Aマッチ通算75ゴールをマークした偉大なストライカーとの別れを、多くの日本代表OBや関係者が惜しんだ。

英雄的な活躍や指導者としても後進を育成した功績をたたえ、戒名は「本徳院英輝勝翼邦教居士」と授与された。告別式は13日に行われ、日本協会前会長の田嶋幸三氏(67)が弔辞を務める。喪主は長男の達生さん(62)。

 笑顔を浮かべた釜本さんの遺影が、祭壇の中央で参列者を迎えた。日本協会の宮本恒靖会長(48)、Jリーグの野々村芳和チェアマン(53)らサッカー関係者だけでなく、親交のあった俳優・松平健(71)の姿もあった。「日本」を「世界」に近づけた釜本さんの旅立ちを、多くの関係者が見守った。

 戒名は「本徳院英輝勝翼邦教居士」。親族によると「サッカー選手の英雄として、試合を勝利へと導き、光り輝く記録を残し、また指導者としても選手を教え導いた人」として、キャリアをたたえる11文字となった。

 祭壇には、釜本さんの引退試合参加のために来日した元ブラジル代表のペレさんとの2ショットや、元西ドイツ代表のベッケンバウアーさんとマッチアップする写真が飾られた。7ゴールを挙げ、アジア勢初の表彰台となる銅メダル獲得に貢献した1968年メキシコ市五輪での雄姿も、輝かしく掲出された。

 喪主を務めた長男の達生さんは、釜本さんが約3年前に体調を崩して以降、入退院を繰り返していたことを明かした。「弱いところを見せるのが大嫌いな人なので」(達生さん)と、周囲には気丈に振る舞っていたという。

達生さんは「本当に、負けず嫌いな人でした」と涙ながらに回想した。

 宮本会長は「お会いすると『元気にやってるか?』とお言葉をいただいた。選手の時も、監督の時も。常に気にかけていただいた」と故人をしのび、「日本にもいいFWが生まれつつあると思うけど、もっと数多く生まれることが大事。釜本さんがおっしゃっていたゴールへのこだわりの部分は、これからも意識していきたい」と語った。最後のお別れの場となる告別式は、13日に大阪府内で行われる。(岡島 智哉)

 ◆通夜の主な参列者 上野山信行(元G大阪取締役)、大黒将志(J1川崎コーチ)、鬼武健二(元Jリーグチェアマン)、永島昭浩(大阪府サッカー協会会長)、野々村芳和(Jリーグチェアマン)、前園真聖(元日本代表MF)、松平健(俳優)、松波正信(長崎アカデミーダイレクター)、宮本恒靖(日本サッカー協会会長)、森島寛晃(C大阪代表取締役会長)、和田昌裕(金沢ゼネラルマネジャー)=50音順、敬称略=

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