四半世紀が過ぎても、耳に残っている。「競馬関係者に私のファンが多い? それは、私がみなさんのファンだからですよ」。

松本好雄オーナーは心から笑っていた。27年前の暮れだった。大阪限定のインタビュー企画「われら関西人」。松本さんはオーナーブリーダーにまじり、奮闘する個人馬主として存在感を増していた。

 当時、27厩舎に預託、100頭を所有していたが調教師、騎手、生産者、それぞれに対するリスペクトが感じられた。「競馬も、馬券も、大好きなんです。競馬場では存分に楽しみたい。みなさんを応援したい」。気さくな人柄にもかかわらず、開催日の取材は極力、受けないと言っていた。だれよりも多い出走馬を全力で応援するためだった。

 「一般席で観戦していた、ただのファン」から始まった馬主への第一歩。「明石の松本で、メイショウ(明松)です」。

出身地への愛着がにじみ出る冠名は、そんな説明の必要がなくなるほど競馬ファンに浸透し、楽しませてきた。個人馬主として史上初のJRA通算2000勝。この日の大記録は、オーナーが注いできた競馬愛の結晶といえる。(吉田 哲也)

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