初代タイガーマスクの佐山サトルが23日、東京・千代田区の神田明神で「佐山武道 初代タイガーマスク 佐山サトル特別講演会」と題した講演会を開催した。
佐山は、毎年夏に神田明神で新しい武道を創造する佐山サトルの思想、武道について講演してきたが今年は「精神論、タイガーマスクの真実、修斗」について語った。
1975年に新日本プロレスに入門した佐山。翌76年5月にデビューし海外遠征を経て81年4月23日に蔵前国技館でタイガーマスクに変身。ダイナマイト・キッドとの試合で鮮烈なデビューを飾った。
83年8月に電撃引退し復帰、さらに総合格闘技「シューティング」を創始した自らの人生。講演会では佐山は自らの生い立ちからプロレスラーへの憧れ、入門に至る経緯、練習生、若手レスラー時代を振り返った。
その中で1977年11月14日に日本武道館で対戦した全米プロ空手ミドル級第1位のマーク・コステロとの一戦を振り返った。
この試合は両者ボクシンググラブを着用する統一ルールの下で対戦。キックボクサーとの一戦に勝つことは「無理なのはわかっていたのですが馬鹿なことにOKしまして」と振り返り「絶対に勝てることはできないと分かっていましたがどうやって組み付くイメージしか持っていませんでした」と告白した。
試合前に極真空手の添野義二氏に「頭から落として投げて反則でもいいから負けます」と伝えた秘話を披露し「どれだけ有効的な総合格闘技ができるかという計算」を心に秘め挑んだことを明かした。
試合は6ラウンド判定で敗れたが、そこから「悔しかったのですが山でキャンプを張ってキックも打撃もやろう。どうしたらステップ、リズム、タイミングが違うキックが出せるのかタックルに入れるのかという練習をした」とさらに格闘技を追求する礎になったことを振り返っていた。
さらに、この時に師匠のアントニオ猪木さんから「新しい格闘技を作ったらお前を最初の選手にする」と言われ、格闘技性の強いスタイルとなる「UWF」、新しい格闘技「シューティング」から後の「修斗」へ至る原点になったことを明かしていた。