初代タイガーマスクの佐山サトルが23日、東京・千代田区の神田明神で「佐山武道 初代タイガーマスク 佐山サトル特別講演会」と題した講演会を開催した。
佐山は、毎年夏に神田明神で新しい武道を創造する佐山サトルの思想、武道について講演してきたが今年は「精神論、タイガーマスクの真実、修斗」について語った。
1975年に新日本プロレスに入門した佐山。翌76年5月にデビューし海外遠征を経て81年4月23日に蔵前国技館でタイガーマスクに変身。ダイナマイト・キッドとの試合で鮮烈なデビューを飾った。
83年8月に電撃引退し復帰、さらに総合格闘技「シューティング」を創始した自らの人生。講演会では佐山は自らの生い立ちからプロレスラーへの憧れ、入門に至る経緯、練習生、若手レスラー時代を振り返った。
タイガーマスクの誕生を佐山は、英国への遠征中に当時、新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿さんから「タイガーマスクの映画を撮るから帰ってこい」と指令を受けたことを明かした。
毎日のように国際電話がかかってきたが佐山は「帰れません」と拒否。しかし新間さんから「猪木の顔を潰すことになるからぜひ帰ってきてくれ」と言われ「その言葉は僕にとっての殺し文句ですから帰りました」と明かした。
迎えたタイガーマスクのデビュー戦は、急ごしらえのマスク、マントを身につけリングイン。蔵前国技館の客席が「非難ごうごう…笑われているのもわかっていたし、僕の名前を叫んでいるのもいた」と振り返り、リングに上がった時は「早く終わってイギリスに帰ろうという気持ちになっていました」と明かした。
試合は、それまでのプロレスにはなかった異次元のスタイルで一夜にしてファンの心をわしづかみにした。佐山は「みなさんが後になってすばらしいと言ってくれますが自分にとっては人生の恥みたいな」一戦だったという。
ただ、それは後の評価でキッド戦の直後は「終わった瞬間、さっさと帰ろうという気持ちになっていました」という。控室で記者から「素晴らしかった」と絶賛され「そこで初めて良かったのか」と感じたという。すぐに新間さんから「もう帰るなと言われた」と通告され「それからタイガーマスクが定着していきました」と虎伝説が生まれた瞬間を振り返り「試合と共にタイガーマスクは愛され、格闘技とプロレスがミックスしたスタイルが定着したのはそれからです」と回想した。