6月3日に89歳で死去した長嶋茂雄さんの「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」が21日、東京ドームで開催される。まな弟子の松井秀喜氏(51)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=はくしくも33年前、1992年11月21日のドラフト会議1位指名で4球団競合となり、当時の巨人・長嶋監督が“当たりくじ”を引き当てた場面を回想。
生涯の師、長嶋さんとの縁が結ばれた運命のドラフト会議から33年がたった。壮大な師弟の物語が始まった「11・21」に「お別れの会」が開かれるのが必然とも感じられるほどに、2人の絆は強い。当時は星稜3年の18歳だったまな弟子の松井氏も、あの日を思い返した。
「1992年11月21日、ちょうど33年前のドラフト会議で、長嶋監督が引き当ててくれていなければ、私の野球選手としての道のりはきっと、全く違ったものになっていたと思います。当時は阪神ファンで、33年前のあの瞬間は内心、少し落胆しましたが、ドラフト会場で右手の親指を上げて喜んでくださりました。すぐに監督から学校に電話があり『待っているぞ』と言っていただき、目の前が明るくなりました」
51歳になった今でも、テレビに映った長嶋さんが満面の笑みでサムアップしながら喜ぶ姿が目に浮かぶ。自身が生まれた1974年に現役を引退した長嶋さんは、松井氏にとってはすでにミスタープロ野球だった。燃える男から、将来は巨人、球界の4番になれる逸材と見込まれ、語りぐさとなった素振りの猛特訓でバットを振り込んだ。
「あのときからのご縁で、プロとして大切なことをたくさん教えていただき、私の野球選手としての礎となり、正しい道を示してくださいました」
技術はもちろん、試合に出続ける頑丈な心身や、常にファンを大切にするグラウンド内外での振る舞い…。巨人、ヤンキースを含めたMLB4球団、そして現役引退後も松井さんのど真ん中にあるミスターの教え。野球教室などでもミスター直伝の素振りや、気持ちの切り替えの重要性などを子供たちに伝授している。
「監督がお亡くなりになって半年近くたちましたが、監督と過ごしたかけがえのない時間を思い出す機会が増えました。改めて、監督が私に多くのことを授けて下さったことに感謝いたします。これからもその気持ちを胸に、過ごしていこうと思います」
長嶋さんが6月3日に死去して以来、2人で歩んだ日々を思い返すことが多くなったという。同4日早朝の弔問後、「長嶋監督と生前、約束したこともあります」と告白し、8月のイベントでも「ジャイアンツの未来に自分自身が関わっても不思議はないかなと思っています」と明かすなど、まるで長嶋さんに導かれるように積極的に将来の話をするようになった。「お別れの会」では球団OBの王貞治氏(85)=ソフトバンク球団会長=、俳優の北大路欣也(82)と「お別れの言葉」を述べて、天国の恩師に思いを伝える。(阿見 俊輔)
◆長嶋さんと松井氏のメモリアル
▼92年11月21日 ドラフト会議の1位指名で4球団競合。長嶋監督が“当たりくじ”を引く。
▼93年2月 宮崎キャンプは長嶋監督と松井氏の共演などで大フィーバー。
▼94年10月8日 勝った方がリーグ優勝という中日との「10・8」決戦を制す。
▼95年8月25日 阪神戦に巨人の「第62代4番」として出場。
▼96年 打率3割1分4厘、38本塁打、99打点で「メークドラマ」の立役者となる。
▼00年 長嶋監督の「背番3」復活年に日本一。
▼13年5月5日 2人そろって国民栄誉賞を受賞し、東京Dで授与式に出席。
▼21年7月23日 東京五輪で長嶋さん、ソフトバンク・王球団会長、松井氏で聖火リレー。
▼24年5月3日 「長嶋茂雄DAY」と銘打たれた阪神戦(東京D)で松井氏がセレモニアルピッチ。
▼25年8月16日 「長嶋茂雄終身名誉監督追悼試合」として行われた阪神戦(東京D)で始球式。背番3のユニホームで感謝の思いを込めたノーバウンド投球を恩師にささげた。










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