60年前の1966年。日本のテレビドラマ界に革新的な作品が登場した。

1月からTBS系で放送された「ウルトラQ」と、それに続いて7月からオンエアされた「ウルトラマン」だ。「空想特撮シリーズ」と銘打たれた、この2作から、実に半世紀以上にも渡って後継作品が誕生し、日本の、世界中の子供たちに「勇気」「希望」「思いやり」といったテーマを教示している。スポーツ報知では「―Q」「―マン」にヒロイン的な立ち位置(江戸川由利子、フジ・アキコ)で出演した桜井浩子(80)にロングインタビューを敢行。自身の半生、クリエイターの“梁山泊“とも言えた当時の撮影現場での逸話などを聞いた。 (名取 広紀)

 桜井浩子が俳優として壁に当たっていた1964年のある日。東京・世田谷の砧(きぬた)にある東宝撮影所の所長・柴山胖から「ある作品のオーディションを受けるように」と指示された。

 「『スリー・チャッピーズ』で人気になって、東宝のカレンダーにまで出たスターが『またオーディションなのっ!』なんて思っちゃいました(笑い)。でも、こういう場合、普通は演技課から言われるのに、所長から直接、指示されるのは珍しいんです。で、呼ばれたところが『円谷プロ』作品のオーディションだった。東宝撮影所の中で2回くらい面接を受けた後に、柴山所長から『円谷さんの所にいってらっしゃい』と言われたんです」

 東宝撮影所のすぐ近くに円谷プロダクション(当時・円谷特技プロダクション)はあった。日本における特撮界のパイオニア・円谷英二が設立し、円谷を慕って、才能あるクリエイターが集っていた。

 てくてくと歩いて行った桜井の第一印象は「なんだか小汚いところだなあ」というものだった。

「そこにいらしたのが円谷一さん(当時TBS=円谷英二の長男)、金城哲夫さん(脚本家)、中川晴之助さん(TBS)でした。その時の印象は、すごく異質なものを感じました。映画界の人ではない、何かパキパキしたものを感じたんです。金城さんから台本をもらったんですが、『変なの』っていう感想でした(笑い)」

 面接にいた3人は、監督として、脚本家として「ウルトラQ」に携わっていく男たちだった。円谷プロの企画文芸室長の金城から「君がこの作品のヒロインだよ」と言われても、ピンと来なかった。

 だって、テレビでしょ。映画じゃない―

 桜井には、そんな感情が溢れていた。

 ※参考資料 ウルトラマン45周年特別号、ウルトラマン50周年特別号(報知新聞社・2011年、16年)ヒロコ ウルトラの女神(ミューズ)誕生物語(小学館・2011年)

 ◆金城 哲夫(きんじょう・てつお) 1938年7月5日、沖縄生まれ。玉川大卒業後、円谷特技プロに入社。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」などを担当。69年に同プロを退社、沖縄に戻り、演劇やテレビの脚本、構成などを担当した。76年2月26日、37歳の若さで死去。

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