サッカーで歴代最多に並ぶ6度のW杯出場記録を持つアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(39)=米MLS・マイアミ=が8月31日、北中米W杯を最後に代表から引退すると表明した。自身のSNSで「心が張り裂けそうな痛みを伴う決断だが、今がその時だと理解している」などと記した。

最後のW杯は準優勝に終わったが、22年カタールW杯でアルゼンチンを優勝に導いた現代サッカー最高のスター選手が、18歳だった2005年から、袖を通した愛する水色と白のユニホームに別れを告げた。

 とうとうこの時が来た。北中米W杯の決勝でスペインに敗れた後、去就を明らかにしていなかったメッシが、W杯決勝(7月19日)の2日後に記した手書きのメッセージを自身のインスタグラムに掲載。メモ用紙3枚には「心が張り裂けそうな痛みを伴う決断だが、今がその時だと理解している。私は、このユニホームのために常に全力を尽くしてきました」などと、引退への思いがつづられていた。

 2005年、18歳で代表デビューした。クラブではバルセロナなどで数々のタイトルを獲得し、個人でもバロンドール受賞など名実ともにサッカー界のトップに君臨してきた。それでも心から欲し続けてきたのが、アルゼンチン代表としての栄誉だった。W杯は06年ドイツ大会で初出場したが、なかなか結果を残せず、16年に一度は代表引退を口にした。その後撤回し、5度目のW杯だった前回カタールW杯で自身初の優勝を果たした。

 途方もない重圧と期待を背負い続け、やっとつかんだ世界一だった。それでも情熱はかれなかった。

美しい形で代表を去ることもできたが、まだその左足を母国のためにささげた。大会中に39歳を迎えた北中米W杯。前大会から続く9試合連続得点などでチームを決勝に導き、最後まで国民の期待を背負って戦った。「全て出し尽くした。与えられるものはもう残っていない」と結論に達した。長年闘病していた父ホルヘさんが68歳で死去したことを受け、代表を退く意向を強くしたという。

 しかし、その左足の魔法が消えたわけではない。MLSマイアミに所属し、8月29日のモントリオール戦では4得点を叩き出し、7―1の大勝を演出するなど、クラブの舞台ではいまだ異次元の輝きを放ち続けている。W杯通算21得点は歴代2位。代表通算207試合出場125得点。「みなさんに夢のような瞬間を贈ることができたという安らぎと誇りを胸に、ここを去ります」。完全燃焼で代表という最大の旅路は終わったが、サッカー界の生ける伝説は、もう少しだけファンを魅了し続ける。

 ◆同じ時代にメッシがいてくれた幸福

 メッシをここまで駆り立てたものは、W杯決勝後の光景に全て詰まっていた。決勝でスペインに敗れ、打ちひしがれた様子でアルゼンチンサポーターの前へ。すると、サポーターたちは絞り出すようにチャント(応援歌)を歌い、その名を叫び続けた。メッシはあふれる涙をぬぐうこともせず、ただじっとその声を聞いていた。北中米W杯を決勝まで取材した中でも、最も印象深いシーンの一つだ。

 かつてのW杯では「期待」という重圧に押しつぶされているようにも見えたが、時を重ねるごとにそれを大きなエネルギーへと変えていった。カタール大会、そして北中米の舞台で見せたその姿は、アルゼンチンのみならず世界中のサッカーファンの心を深く打った。「チームメートとともに、みなさんに夢のような瞬間を贈ることができたという安らぎと誇りを胸に、ここを去ります」という言葉の通り、重責を越えた先にある誇りに満ちていた。

 もうそのプレーをW杯のピッチで見られないのは寂しさこそ残るが、多くの人々は同じ時代にメッシが存在したことへの幸福感をかみ締めているはずだ。(サッカー担当キャップ・金川 誉)

 ◇リオネル・メッシ 1987年6月24日、アルゼンチン・ロサリオ生まれ。13歳でスペインに渡りバルセロナと契約。成長ホルモンの分泌異常を治療後、17歳でトップチームデビュー。

スペイン1部得点王8度、欧州CL得点王6度、バロンドール(世界最優秀選手賞)受賞8度。アルゼンチン代表通算207試合125得点。08年北京五輪金メダル、21年南米選手権優勝、22年カタールW杯優勝。170センチ、72キロ。左利き。

編集部おすすめ