男子テニスの元世界ランキング4位で、2014年全米オープンシングルス準優勝の錦織圭(36)=ユニクロ=が、現役最後の大会となる木下グループ・ジャパン・オープン(30日開幕、東京・有明)に臨む。5歳で初めてラケットを握ってから31年。

その原点は両親、姉とともに世界を夢見て足を運んだ野原と公営コートにあった。生まれ育った島根県松江市から、2003年9月11日に米国に旅立つまでを5回連載で探る。(取材、構成=吉松 忠弘)

 宍道湖畔に建つ松江市役所は、改築された新庁舎が今年の5月に供用を開始した。2期目に入った上定昭仁・松江市長は大のテニス好きとして知られる。7月24日には新庁舎正面玄関前に、錦織の最後の活躍を励ますため、懸垂幕を掲げた。

 「ラストシーズン みんなで応援しよう」と書かれた懸垂幕は縦8メートル、横1メートル。同幕を背に宍道湖大橋を渡り、国道9号線を湖畔に沿って西の端まで行く。そこから南に降りると、圭の父・清志さんの実家がある雲南市に行き着く。

 清志さんは都内の大学でテニスを始め、卒業後に郷里の松江で就職した。勤めた会社の旅行でハワイを訪れた時、「大型スーパーに入ったら、子供用のラケットがあった」。約3000円の子供用ラケットを手に取り、「テニスでもやるか」と土産に思いついた。

 子どもたちにテニスをやらせたいとは思っていなかった。

「テニスは人の弱みや嫌らしいところにつけ込む」。しかし、圭は1歳でアトピー性皮膚炎やぜんそくを患った。健康のため姉・玲奈さんと水泳を習ったが、テニスは母・恵理さんも経験者。「将来は家族でダブルスでもするか」と気楽に考えた。

 恵理さんはピアノの講師をしていた。週末になると、レッスンが立て込んだ。おのずと土、日は会社が休みの清志さんが2人の子どもの面倒を見ることが多くなった。雲南市の実家に、孫の顔を見せに行くついでにテニスを始めた。圭が5歳の時だ。

 ヤマタノオロチ神話の舞台となる斐伊川から500メートルほど北に、錦織家が初詣に行く神社がある。そこに隣接する広場が圭が初めてテニスと触れた場所だ。現在は雑草が茂った広場だが、当時は「土だらけだった」(清志さん)。

近隣の年配の方々がゲートボールを楽しむ場でもあった。

 今でも残るのが生い茂ったバナナの木だ。清志さんは、懐かしそうに「あそこに何度も打ち込むから、探すのが大変だった」と相好を崩した。球がどこに飛んでいくか分からない。「100球出せば、100球拾わないといけない。誰が拾うのかって(笑)」

 気軽なはずが、父も2人の子どももテニスにのめり込んだ。ハワイで買った子供用のラケットは2か月で壊れた。清志さんはいつしか「マージャンも釣りも飲みもゴルフもやめ、テニスしかない人になった」。そして、圭と玲奈さんがテニスコートにデビューする日がやってきた。

 宍道湖の南西。清志さんの実家から約3キロほど北に行ったところに加茂中央公園があり、多くのスポーツ施設が点在していた。野球場の西にある駐車場から細い階段を下りた先に、照明付きの3面のコートがある。

そこが圭が米国に旅立つまでのホームコートになった。その3面のコートから、世界への道が続いていく。

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