ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。ここではその放送書き起こしをノーカットで掲載いたします。
今回は『デス・ウィッシュ』(2018年10月19日公開)です。
宇多丸:
さあ、(今回は話す分量が多いと予想されるので)テーマ曲を省いて時間を使えるようにしました。ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『デス・ウィッシュ』!
(AC/DC『Back In Black』が流れる)
フフフ……このAC/DCの『Back In Black』が非常に印象的に使われておりますね。チャールズ・ブロンソン主演で1974年に映画化されたブライアン・ガーフィールドの同名小説を、『ダイ・ハード』のブルース・ウィリス主演、『ホステル』や『グリーン・インフェルノ』などのイーライ・ロス監督でリメイク、再映画化したアクション映画でございます。
シカゴで外科医として働くポール・カージーはある日、妻子を襲われたことから自ら銃を取り、犯人抹殺のために街へとくり出す……。主な出演はブルース・ウィリスの他、ビンセント・ドノフリオ、エリザベス・シューなどということございます。
ということで、この『デス・ウィッシュ』をもう見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。賛否の比率は、賛(褒める意見)が6割、否(否体的な意見)が4割。割れているということですね。
否定的な意見としては、「現実世界での銃犯罪が問題なっているいま、リメイクするのに相応しい映画だったのか? と疑問を感じてしまう映画だった」。これ、まさにこういう理由でアメリカでも公開時、かなり叩かれちゃったという作品ではありますね。「予想を越えない展開。目を見張るもののないアクションと正直、期待外れだった」ということでございます。
■「リベンジ適性職業1位は医者!」(byリスナー)
代表的なところをご紹介いたしましょう。「館内機器」さん。「『デス・ウィッシュ』、見てきました。最高でした。『狼よさらば』のリメイクと聞いていたのですが、良い意味で裏切られました。特に犯人との直接対決があることが良かったです。
一方、「タクヤカンダ」さん。これはダメだったという方。「個人的には全く評価できない映画でした。チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』のリメイクということですが、『狼よさらば』が自警団として悪人を殺していくのに比べ、『デス・ウィッシュ』はあくまで愛する家族のための復讐。自警団的活動と復讐は言うまでもなく全く違うもので、『狼よさらば』で考えさせた社会的テーマをほとんど感じられませんでした」。たしかに今回、モードが変わっているっていうのはありますよね。
■1974年のオリジナル『狼よさらば』はいま見返しても変わった作品
はい。ということでみなさん、メールありがとうございます。私も『デス・ウィッシュ』、実は公開のちょっと前にとあるツテでいち早く拝見させていただいた後、今週TOHOシネマズ日比谷に行ってまいりました。
原作はブライアン・ガーフィールドという作家が1972年に発表した小説で、いま日本語翻訳版は絶版になっていて。僕は、全部読みこなせているわけじゃないんだけど、Kindleで元の英語版をもう1回読んでみたりしたんですけど。もともとはシドニー・ルメット監督、ジャック・レモン主演で、社会派ドラマとして映画化が進んでいたわけですね。で、ブライアン・ガーフィールドさんご自身もそっちを望んでいたんだけど、それは中止になって……という。このあたりの経緯については、映画評論家の町山智浩さんが書かれた『狼たちは天使の匂い: 我が偏愛のアクション映画1964~1980』という評論集に詳しいので、こちらを読んでいただきたいのですが。
で、代わりにですね、1972年の『メカニック』とか、1973年の『シンジケート』と、続けて組んできたマイケル・ウィナー監督、チャールズ・ブロンソン主演のシフトに変わったという。実はチャールズ・ブロンソン自身が当初は、企画・脚本を渡されて、「これは本来、ダスティン・ホフマンのような男が演じるべき役なんじゃないか?」と戸惑っていた……これは要は、「気弱なインテリ男が暴力にまみれて、決定的に変質していく」という話(という意味で)、1971年、サム・ペキンパー『わらの犬』のイメージを踏まえた発言だと思うんですけど。
とにかく、ブロンソンとマイケル・ウィナーのコンビになった時点で、よりエンターテイメント色、ジャンル色の強い……要するに批評性みたいなもの、社会的メッセージみたいなものは下がって。エンターテインメント映画、バイオレンス映画……要するに、「悪党を殺してスカッとしようぜ!」方向に振れまくるのは、必然だったといえると思います。ただ、それでもですね、一作目のこの『狼よさらば』という映画はですね、この頃のブロンソンとマイケル・ウィナーコンビ作、たとえば『メカニック』とかが本当にそうなんですけど、なんかね、異様にひんやりした、すごい突き放したタッチの……いま見返しても、かなり変わった感じがする映画なんですよね。
■「やられたらやりかえす」暗い欲望を満たすビジランテムービー
街のチンピラに妻を殺され、娘をレイプされ……ちなみにこの街のチンピラ、若き日のジェフ・ゴールドブラムを含むメンバーなんですけども。まさに「ケダモノ」という表現が相応しい無軌道ぶりというか、ド外道ぶりなんですけど。特にそのレイプの場面で、あの、お尻にスプレーをかけるっていう最低の描写がね……もう本当に気分が悪くなる描写があるんですけども。まあ、そんなひどい目にあってるのに、警察も全く頼りにならない。
そういう風に悟ったその主人公のポール・カージーは、それまで非常に平和主義者のインテリだったんだけど、次第に夜な夜な――まあ、チャールズ・ブロンソンが平和主義者のインテリに見えるかどうかっていうのはまた別問題として(笑)――次第に夜な夜な、わざと危なそうな地域をうろついては、寄ってくるゴロツキたちを問答無用で射殺して回るという、自警団、ビジランテ活動と言えば聞こえはいいけど、要は無差別殺人に、どんどん、まさに麻薬的にハマっていってしまう、という話なんですけどね。
で、もちろん道義的・社会的には全く許されない、正しくはないこの行為なんだけど、そこにたしかに一種のカタルシスがある、というのが、まさにビジランテムービーというジャンルの、身も蓋もない言い方をすれば「大人向けヒーロー物」としての……まあヒーローっていうのは基本的に、本質的に自警団なわけですけども、そのエンターテイメントとしてのキモの部分ではあるわけですね。なぜかといえば当然ながら、もちろん我々の現実の人生では満たされない、暗い欲求……要するに、暴力とかで何かやり返せるわけでもないし。理不尽な目にあっても、基本的には泣き寝入りするしかないのが基本、というような我々の実際の人生っていうのに対して、「なんかやり返してやりてえな、本当は」っていうその黒い、暗い欲望っていうのを満たしてくれるから、っていうことですね。
■『狼よさらば』への批判精神を込めた続編『Death Sentence』/『狼の死刑宣告』
で、この『狼よさらば』の場合、恐ろしいのは、このブロンソン演じるポール・カージーは、結局――先ほどのメールでもちょっと触れていましたけど――結局、妻殺しの実行犯とは、直接対峙しないんですね。無関係な連中を殺しまくるだけの映画なんですよ。なので、ラスト、ポール・カージーがですね、今回の映画とは逆に、もともとはニューヨークからシカゴに引っ越す、っていうところで終わるんですけど……要するに、そのニューヨークとシカゴ犯罪率がいまでは逆転しちゃっている、っていうのがあるんですよね。いま、シカゴがいちばん犯罪率が高いということなんですけど。(1974年版では、最後に主人公が)シカゴに行って、「おとなしくします」なんつって。シカゴに移住してきたポール・カージーが、結局でもやっぱり、全く懲りてない!ということを示す……「また殺るぞぉーっ!」っていう感じの、ポール・カージー・ポーズ(笑)で終わるエンディングは、大変不気味な……もう、ほとんどサイコホラー的と言っていいような、怖い印象を残すエンディングなんですね。
なので、その意味で、当時からしてこの『狼よさらば』自体も、「タカ派的だ」とか「暴力賛美だ」っていう風に批難を浴びた作品なんですね。なんだけど、やっぱり原作の批判精神は、僕は一応この一作目までは、はっきりと表現されてるじゃないか、という風には思います。要するに、エンターテイメントとして溜飲が下がるところもあるけど、でもやっぱり、「これは異常だよ、この話は」っていう風にちゃんと終わってる、と思うんですね。
で、原作者のブライアン・ガーフィールドさん自身、本来の意図を超えて主人公が英雄視されるという世の中の傾向に危機感を覚えて。このあたり、まさにそのビジランテムービーの変種といえる、1976年の『タクシードライバー』の、観客の反応を見て……要するに主人公のトラヴィスに拍手喝采をしてるという観客の反応を見て、監督のマーティン・スコセッシがショックを受けた、という話とも完全に重なるあたりですけども。
で、そのブライアン・ガーフィールドさん。「これじゃイカン」ということで、続編の『Death Sentence』っていうのを書くわけですね。で、これは主人公の自警団行為の模倣犯が次々と出てきてしまい……というような展開。で、この内容は、今回のリメイク版『デス・ウィッシュ』の中でも、オマージュ的に取り込まれてますよね。で、ちなみにその『Death Sentence』の映画化こそが、ジェームズ・ワン監督、ケビン・ベーコン主演の、これまたビジランテ物の大傑作だと思っています、『狼の死刑宣告』。2007年。これね、シネマハスラーの初期に取り上げました。
■『狼よさらば』の続編企画が紆余曲折を経てイーライ・ロスのもとに
ストーリーは原作小説とは全く違っている、変わっているんだけども、主人公が、自らの自警団行為、個人的復讐行為のしっぺ返しを食らう……そして、よりひどい事態を招いてしまうという、まあ批評的、批判精神の部分は、やっぱりしっかりと表現されていたな、という風に思う作品でした。で、ともあれそのチャールズ・ブロンソン主演……『狼よさらば』の大ヒットを受けて、チャールズ・ブロンソン主演の『デス・ウィッシュ』シリーズっていうのがシリーズ化していく。これは全部日本題ですけども、82年の『ロサンゼルス』、85年の『スーパー・マグナム』、これはウィルディマグナムっていうオートマチックのマグナムを使うという。そして87年『バトルガンM‐16』、そして94年『狼よさらば 地獄のリベンジャー』、と全5作品が作られて。
当然のごとく、シリーズ化がどんどん進んでいくに従って、荒唐無稽にスケールアップして、その原作小説の精神からは遠く離れた、大味アクション映画化していく、というね。まあ、これはこれで楽しい作品群なんだけどね。で、その一方で、『狼よさらば』以降、ビジランテ物っていうのは映画の中の一大ジャンルとなって、玉石混淆ではあるけども、多くの作品を生み出してきたという。このあたりは、この間、ギンティ小林さんをお迎えしてやった「ナメてた相手が殺人マシンでした映画」特集なんかでも触れたあたりでございます。
で、当然『狼よさらば』自体のリメイク企画も、随分前から何度も上がっていて。10年以上前には、スタローンが自ら主演・監督でやると発表したこともあったし。あとその後、『ザ・グレイ』とか『特攻野郎Aチーム』とか、あとは『NARC ナーク』とか、主に男臭い作風で知られるジョー・カーナハンが、『ザ・グレイ』と同じくリーアム・ニーソン主演で映画化を進めていた。リーアム・ニーソンはかなりハマり役だと思いますね。なんだけど、まあすったもんだがあって降板して。で、今回の出来上がった『デス・ウィッシュ』にも、一応脚本としてジョー・カーナハンさんはクレジットが残っていますけど、実際には何人ものライターの手を経て、ほとんど痕跡をとどめていないそうです。
で、今回出来上がったやつの最終稿は、クレジットはされてないけどディーン・ジョーガリスさんという、『ペイチェック』とかの脚本をやっている人と、監督のイーライ・ロスが全面リライトしたものが最終稿になっているらしいんですけど。これはまあ、インターネット・ムービー・データベース情報でございます。とにかく、最終的にこの企画を引き取ったのは、我らがイーライ・ロス! というね。イーライ・ロスは、プロデュース、脚本、出演の『アフターショック』という作品、これを2013年11月21日に僕、前の番組で取り上げましたけども。イーライ・ロス監督作は、ちゃんとやるの、はじめてなんですよ!
■「映画の語り」を使いこなすイーライ・ロス監督
代表作『ホステル』シリーズのイメージで、とかく「残酷、悪趣味」という表面的イメージばかりで語られがちな監督ですけども、実は……これは僕の評価ですけど、今時珍しいほど堅実な、奇をてらわない、正攻法な「映画の語り」。人間ドラマの部分を含めて、非常に正攻法な「映画の語り」ができる人。その上で、これまた映画ならではのケレンとか飛躍、あるいは社会に対する鋭い批評性などもサラリと盛り込める、非常に腕のある、本当に信頼できる映画監督だ、という風に僕は、前から最大限に高く評価してきた大好きな監督なんですけども。
で、特にこのところのフィルモグラフィー。『食人族』をはじめとする「食人物ジャンル」を現代にアップデートして見せた『グリーン・インフェルノ』(2015年)。あとは、言ってみれば理不尽・不条理嫌がらせホラーのカルト的傑作『メイク・アップ』というね、終わり方がすさまじい1977年の怪作を、まさかのキアヌ・リーブス主演で現代にリメイクした、『ノック・ノック』。これも楽しい映画でしたね! そして今回の『デス・ウィッシュ』。これはだから、ビジランテムービー・ジャンルのパイオニアの今日的リメイク、ということで。要は、1970年代から80年代にかけて流行った、いまとなっては俗悪という風に切り捨てられて終わりがち、埋もれがちなジャンルとか作品を、「俺がもう一度もり立てる!」という気概が、ビンビンにあふれたラインナップになっているわけですね、ここのところのフィルモグラフィーは。さすがタランティーノの盟友というか、そんな感じですけども。
その意味では、いま日本では同時に劇場でかかっているという……イーライ・ロスの映画が同時にシネコンでかかっている!という奇跡的事態がいま、起こっているんですけども。『ルイスと不思議の時計』というね、児童向けファンタジー作品ですけども、これも、ティム・バートンが自分の趣味性を全開にした時にも通じるような、クラシックモンスター映画、クラシックホラー映画ジャンルへの愛があふれる、そしてちゃんとバッドテイストもふんだんに盛り込まれているという、非常に愉快な作品で。実は、フィルモグラフィーとしては全くブレてない、という風に言えると思います。ということで、まあ面白くならないわけがないイーライ・ロス版『狼よさらば』、というわけなんですけども。
■堅実な手腕で不穏さを盛り立てるイーライ・ロス
まず今回、素晴らしいのはですね、あのカージー一家が襲われることになるまでの、不穏なテンションの、徐々に徐々に……の高め方ですね。今回は「医者」という、要するに人の命を無条件で助けるべき立場のポール・カージー、という設定になっている。悪人の延命にも力を尽くす人だったはずが……っていう、それをまずド頭で示しつつ。あそこは面白いですね。あと、娘のサッカーの試合を応援してるところで、横にいた、非常に粗野な……カタギじゃないんでしょうね、その父親と、一瞬、ポール・カージーとの間に緊張が走る、という。これは一見、本筋とは関係ないくだりなんだけど。ただ、こういうところでの、やっぱりたしかなドラマ演出力、みたいなのもちゃんとね、イーライ・ロス作品はわかるあたりですけども。
要は、「世界は本質的には暴力的だし、いつこっちに向かって牙をむいてくるとも限らない」。でも、そういうサイクルからはしっかり、冷静に距離を取って生きてきた人たち、だったはずなのに……ということを示す場面が入る。これを挟み込むあたりも、見事なものだと思いますし。あと、問題の襲撃シーン。行為自体の暴力性という意味では、実はその74年の『狼よさらば』よりは、だいぶソフトな範囲にとどめられてはいるんです。今回は計画犯だしね。前みたいにただ無軌道に暴れているだけじゃないんだけど、にもかかわらず、エリザベス・シュー演じる奥さんが家の中の異変に気づいて……「本のページが、あれ? めくれてる……」っていうところから異変に気づいて。実際に強盗たちが姿を現すまでの、プロセス。ここはさすがホラーの名手。本当にここだけでもう、めちゃくちゃ怖いですし。
あとポイントは、実際に強盗たちが姿を現してみると、マスクをかぶっているんですけど、あのマスクが……「どこでこんなマスクを探してきたの?」っていう気持ち悪さ。人の顔がプリントされたマスクをかぶっているんですかね? すっごい気持ち悪いマスクをかぶっている、というあたり。このあたりもやっぱりイーライ・ロス、さすがこういう風に、嫌な感じをさせてくれる!という感じですね。あと、不穏なテンションといえば、弟のフランクという役を演じているビンセント・ドノフリオがですね、ぶっちゃけキャラクターとして必要とされる範囲以上に、不穏な空気を無駄に発散しまくっていて(笑)。これも楽しい。「なんかこいつ、怪しいな。なんかこいつが悪いんじゃないかな?」って見ていると……っていう。実は必要以上に不穏な空気、っていう、これも楽しいあたり。
■ネット時代の自意識を持ったポール・カージー像
で、『ブレイキング・バッド』でもおなじみディーン・ノリスさん演じる刑事。刑事は同情的ではあるんだけど……というあたり。ここで今回のリメイク版オリジナル描写。警察のオフィスの中にある、事件についての情報をボードに貼っているクリップボードがあるんですけど。このボードで、視覚的に、「ああ、これ警察はダメだ」という感じを、もちろんポール・カージーにも我々にも、視覚的に突きつけてくる、という演出。これも、さりげなくも非常にリアルで上手いですし。これはイーライ・ロスが、実際にシカゴの警察とかを取材して、いろいろと得た知見からこうやったらしいですけども。
あとはこれも今回オリジナルの描写ですけども。奥さんのお父さんが、生粋のテキサス人なわけですね。で、非常にリベラルな人間であるポール・カージーに対して、このお父さんは生粋のテキサス人だから、自分の敷地内に侵入者、密猟者が入ってきたってなったら、全く躊躇せずに、ライフルをガチャーン!って取ってボーン!って、普通にぶっ放す。で、その横で見ていたカージーが唖然とするっていう(笑)、価値観を揺さぶられる、というくだり。これも、ストーリー的な必然と同時に、いかにもイーライ・ロスらしい批評的ユーモアですよね。「こいつ、テキサスの人だからさ! 余裕でぶっ放すわけよ!」みたいな。ユーモアとストーリー的必然が同居しているシーンで、非常にこれも、とってもいいですし。
で、ひょんなことからグロッグ17、銃を入手してしまったポール・カージーさん。これはもう『アンブレイカブル』よろしく、フードをかぶって……これはもう本当に、「ヒーローに変身する」わけですね。「フードで変身、ブルース・ウィリス!」っていうね(笑)。で、ネットで勉強して銃の扱いに慣れていく、というね、このあたりの今風感もいいんですけど。やはりですね、実戦では銃の持ち方が上手くなくて。うっかりスライドで手を怪我してしまうという。これ、いままでアクション映画で見たことがない……素人が撃つとこういう怪我をすることがあり得るよ、という、非常にアップデートされたリアルな銃描写。これもすごくフレッシュでしたし。で、彼がそうやって「悪党を成敗する」シーンっていうのが、SNSで拡散され……これが非常に今っぽいところ、ってみなさんが評価されていた部分ですけど。
で、僕はここが今回の『デス・ウィッシュ』、いちばんのキモだと思うんだけど、そのSNSとか、あとはメディアで取り上げられて、自分が時の人になっている、というのをポール・カージーが見て……明らかに彼が悦に入っているわけですね。彼が完全にホクホクしちゃっている、という様子を描いているわけですよ。これが今回のキモだと思います。要するに、非常に現代的な、いかにもネット時代的な自意識を持ったポール・カージー像、いかにも現代的な自意識を持ったビジランテ像、っていうのを描いている。ここがすごくキモだと思います。要するに、見られて喜んでいるっていうか、その感じね。
■批評性抑えめ、エンタメ性高めの今作
で、また終盤。そのビジランテとしての彼のアジトであると同時に、彼の心の深淵のメタファーでもある、地下室。要するに、彼が元々、上(の階)で暮らしてたところから、生活の中心がその地下になってしまう、という地下室。その地下室の変貌ぶりに、弟のフランクが愕然とする。つまり、はっきりこのポール・カージーというキャラクターは、狂ってるんだ、っていうことを示すショット……なども含めて、やっぱり今回の『デス・ウィッシュ』も、原作の批判精神、批評性をちゃんと受け継いだつくりにはなっている、という風に思います。まあ公開当時ね、銃乱射事件が直前にあったりして、非常に……あと、トランプ政権のやっていることとかも含めてシンクロしちゃって、非常に多くの批判を集めた作品ではあるけど。僕はちゃんと批評性は入っている、という風に思います。
ただ、今回のポール・カージー。たしかに、ただ単に、前の『狼よさらば』のように無差別にチンピラを殺して回る、というわけではなくて。割とピンポイントで、「はっきりと悪いやつ」を狙って狩っていくわけですね。例えばあの、アイスクリーム屋ことドラッグディーラーを襲撃するくだり。あそこ、カットを割らないまま、ドーン!と来るのがすごくショッキングでしたね。向こうから普通に歩いてくるなと思ったら……こっちも、要するにアイスクリーム屋というかドラッグディーラー同様、超油断している状態で。なのに全く間を開けずに、ドーン!っていう。「俺がお前の最後の客だ(ドーン!)」っていう(笑)。あれなんかすごくショッキング、かつユーモラスなところでしたけども。
で、ピンポイントで狙っていくという作りになっている。さらに言えば、1974年の『狼よさらば』と違って、メールでの指摘も多かったですけども、要は実際に自分の家を襲撃してきた犯人一人ひとりに、しっかりと復讐を遂げていく、という話になっている。特にその車工場の場面。みなさん、挙げている方も多かったです。彼が医師であるというこの設定変更が、イヤ~な……これは褒めてますけど、生かされ方をする。ここのみ、一瞬だけ強烈なゴア描写も入ったりして、まあまさにイーライ・ロスの真骨頂という場面ですけども。とにかく、今回のポール・カージーはキャラクターとしての感情移入度が高めな作りになっている。
つまり、エンターテイメント性は高め。で、一作目の『狼よさらば』よりもやっぱり、批評性はちょっと抑え目な作りになってるというのはたしかだと思います。それゆえ、「じゃあやっぱり暴力賛美をしているじゃないか!」っていう風に責められやすかったのかもしれないですけどね。ただまあ、ジャンルムービーなのでね。そんなこんなで、さっき言ったように原作小説の続編である『Death Sentence』オマージュでもあろう、「その模倣犯が出てくる」というくだりがあったり。つまり、悪漢側から再び、その主人公が「見つかり直す」という展開。これは先ほど挙げた『狼の死刑宣告』風でもあるし。
■「世界よ! こんぐらいが映画だ!」
で、クライマックス。ある意味ビジランテ物の源流である、西部劇的な……多人数で襲ってくる敵に対して、主人公は、自分のホームで待ち構えて対決をするっていう、西部劇的な対決のクライマックスを経て、ついに最後、ラスボスをどう倒すのか? というあたり。さっきメールにもあったけど、ラスボスの倒し方が、いかにもイーライ・ロスらしいユーモア、皮肉の効いた伏線回収。これはもう本当にお見事!って。劇場で笑っちゃいましたもんね。「アハハハハハッ! そこで回収するんだ!」っていう(笑)。
で、ラストショットはもちろん、ブロンソンゆずりのポール・カージー・ポーズでキメっ!っていうね。で、AC/DC『Back In Black』がドーン!ってかかるという。さすがイーライ・ロス、要はここのところの何本かと同じく、「アップデートされたジャンル映画というもののあり方」、現代にそのジャンル映画を復興するんだ、っていうのをきっちりと、過不足なくやってらっしゃる、という。で、また期待を裏切らない出来だった。まあ、こんな感じですよね。「世界よ! こんぐらいが映画だ!」(笑)。映画は本来、こんぐらいなんだよっていうね。それを高らかに謳い上げるような。
あとは音楽。ルートヴィッヒ・ヨーランソンさん。『クリード』とか『ブラックパンサー』、そして今年は『ヴェノム』『クリード2』と。もう大活躍のルートヴィッヒ・ヨーランソンさんの、音楽も素晴らしかったですね。ということで、いまなら『ルイスと不思議の時計』とセットで見れるという、非常に稀有な状況が日本の劇場で起こっておりますので。ぜひこの機会に、イーライ・ロスの作家としての腕、引き出しの広さ。そして、志の「低みある高さ」というか。そのあたりを味わっていただければ、イーライ・ロスファンの私としては、これに勝る喜びはございません。
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(次回の課題映画は『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』に決定!)
<以下、ガチャ回しパートで>
宇多丸:本当はもっとね、山本さん好みのイーライ・ロスの作品論というか。我々のこの安穏と生きているこの暮らしも、1枚めくるとそこは地獄なんだ、っていうことを……。
TBSアナウンサー山本匠晃:宇多丸さん、それなんですよ! それ、好きなんだー!
宇多丸:絶対に好きでしょう?
山本:なんか『クリーピー 偽りの隣人』とかも好きだし。ああいう感じの……。
宇多丸:あとでイーライ・ロス、いろいろとおすすめしますよ。