TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!コシノミチコさん(Part1)朝の連続ドラマ小説『カーネーション』のモデルとなった小篠綾子さんの三女として生まれ、1973年にロンドンへ渡り、デザイナーとして活躍。1986年にMICHIKO LONDONをスタートし、日本人初の英国ファッション協会正式会員になりました。
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出水:今日は姉妹対談ですね! 全く予測がつきません。JK:コロナで帰ってきたんだけど、まずはその時の過酷な体験を話して!MK:まずは飛行機降りてから、お金も日本円に換えたいと思ってもダメ。そのあとずーっと6か所ぐらい回されて、そのたびに並んで並んで並んで・・・最終的に抗原検査をしたあと、また結果をじぃ~っと待つわけ。それで結果が呼ばれて、バスをあてがわれる。それでバスで横浜に送られる、という。出水:隔離用の施設にですね?MK:友達からも「そうとう覚悟して行った方がいいですよ」って言われてたんですよ。
それでそうとう覚悟して来たんですけど・・・ものすごいホテルの部屋があてがわれて! 横浜の観覧車と海が見えるど真ん中の部屋だったんです! 風景がすごいよくて! で1週間どうしようかと思って。朝もお昼も寝れるし(笑)いつもできないことをしようと思って、パックしよう!って。JK:あははは! お肌のパックね!MK:いっつも忙しくて、パックで1時間とか30分なんてできないですもの。ここなら毎日できるわ!と思って(笑)JK:そういうつもりでそういうのを持ってきてたの?MK:そうそう、リストを書いてね。「隔離中のホテルですること:①パック」って(^^)②はイタリア語を勉強する。JK:じゃあ有意義だったわね。
ボンジョルノ!MK:素晴らしい窓をみながらイタリア語を勉強して。優雅な生活でしたよ!JK:「何食べてるの?」って聞いたら、写真を送ってきて・・・あれは中華街?MK:横浜だからシュウマイとかそんなのがいっぱい入ってて、すごく美味しかった。小籠包なんかも入ってるの!JK:そのあと身内じゃないと迎えに行けないって言われてね。MK:それでお姉ちゃんの息子に来ていただいた。ホテルを出て、もう1回羽田に落とされるわけ。そこでヤッター!って解放感まるだし(^^)でもそのあと、毎日顔認証とかで電話がくるの。
朝の9時半とか顔がまだこんなになってるときにリンリンくるわけ(^^;)顔もまだ洗ってないのに!JK:それが毎日?MK:毎日毎日。ホテルでも2回検査。隔離されてるからどこも行ってへんやんか? ホテルに入って3日目に検査。帰る前に検査。バスに乗る前にまた検査。よく知らんけど、1週間後に症状が出てくるとかいうこともあるらしいから。
夢の姉妹対談! コシノミチコさん
JK:ロンドンではどうだったの? ロックダウンすごかったけど。MK:ロンドンでは6月15日にほとんど解除。自分で検査を受けに行って、QRコードもらって、陰性ですっていう証明をもらって、レストランでピッてやって入るわけ。でも私らはイギリスでワクチン2本打ってきたから、帰ったら隔離なしなの。JK:でも一時ロンドンすごかったじゃない?MK:とにかく私ら、すごい鍛えられましたよ! 去年の4月とか1日1500人が亡くなるのよ。これはビビりますよ。
私らが外歩いてますやんか。前から2人来るとぱっと道を渡るの。すれ違わないようにしてくださいって。そういう歩き方もしてたね。JK:なのに日本はそういうルール全然ないでしょ。MK:そう、びっくりした。
もうぐちゃぐちゃやから。あんだけ私ら調べられて大変な思いしてるのに、出てきたらさ、みんなぐちゃぐちゃ。こりゃ伝染るわと思った。でもあれだけ死者が多いと、もう自己管理のみ。本当に。出水:その辛い時期をのりこえて、今日姉妹対談が実現したわけですね!JK:「もう懲りて日本に来るのがいやんなっちゃった」って言うから、じゃあラジオ出ておいたほうがいいわね、って(^^)出水:ミチコさんは短大卒業後、お母さんの綾子さんのお店を手伝っていたんですが、1973年に単身でロンドンに渡っています。ロンドンを選んだきっかけは何だったんでしょう?MK:ニューヨークとかパリとかのオプションもあったんだけど、どこに行くにもうちの姉のコネクションがぎっしりで。私が貧しそうな格好をしてウロウロしてたら、あくる日にお姉ちゃんにインフォメーションがバッチーン!と行くんで(笑)これは自由なところにいかなきゃいけないと思って。姉の手の届かないところはロンドンしかなかったんです。出水:そういう理由だったんですね! ジュンコさんにはご相談したんですか?JK:相談? 相談はないね。うちの親はね、何をしなさいとか何をしちゃだめとかないの。MK:自分で決めたことは確実に実行せい、っていう。JK:行った限り二度と帰ってこない気で行ってるからね。でも1973年の石油ショックの時で、一番哀れな時に行ったわね。MK:そう。電気とか点いてないのよ。ブックショップなんか見えなかったら本買えないじゃないですか! そういうところでもろうそくがぼうっと点いてて。11月は日暮れが3時半。3時半には暗いの。朝は8時まで明るくならない。でも一番最低な時に行ってよかった! あとはすべて儲けもん、みたいな(^^)JK:そうね、過酷な時ね。最初どこか仕事しないと食べていけないし。
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MK:あのころレートがいくらだったと思います? 今は148円とか152円とかでしょ? あのころは1ポンド760円。出水:ええ~~っ!!(@w@)MK:それこそパン買って、牛乳買って、ベーシックなもの買って、あっといういまに10ポンド使っちゃう。何にも贅沢してないのに。お母ちゃんから100万円もらったんだけど、ヒロコ姉ちゃんには「あんた200万円持ってったやろ」っていまだに言われる(笑)JK:始めて妹がロンドンに行くっていうんで、姉が一緒についていくってことになったんですよ。あの当時外国に行くのは羽田で、姉が羽田でバッグもなにも全部取られちゃったの! そこから災難だったわね。MK:でも私ね、上空に上がっていきなり嬉しくなって。「あの人と行ったらアカンやったやん!」って(笑) 一人で自由だと思ってたら、いきなり来るっていうからあんなことになったんやと思う(^^) いきなり嬉しくなって、これからどんなことがあっても後ろから神様が押してくれるから楽勝!って自信を持ったの。JK:それ以来ずーっとロンドンにいるんですよ。出水:最初はどうやって生計を立てていたんですか?MK:いろいろ・・・ファクトリーみたいなところに訪ねて行って「仕事ください」って言って、500ポンドもらっては「ありがとう、辞めます」みたいな感じ。でもついに29ポンドしかなくなって、もうダメっていう時があって・・・。JK:よく覚えてるわね(^^)MK:ちょっと前にポートベロで知り合った日本人の人がデザイナーで、「明日友達がいっぱい来るから食事に来ない?」って言われて。ヤッター!助かったー!と思ったの。そしたらデザイナーみたいな人が5人いて、そのうちの1人が「パリのオートクチュールに働きに行くことになったんだけど、今勤めてるところに誰かを紹介しないと辞められない。あんた行ったら?」って!。出水:えーっ!MK:それで行ったの、みんなロイヤル・カレッジ出身とかセント・マーチン出身とか、でかいファイルを持ってて。私は何も持たないでポツーンと座ってたら「あなたを信用するにはどうしたらいいの?」って言われたので、「明日もう一回来ていいか?」って言って、あくる日VTRを見せたの。「あなたのコレクションか?」「NO!」「誰のや!」「姉のや!」って(笑)出水:お姉さまのを持って行ったんですね!MK:一緒に仕事してたからテイスト認めてや!って言いきって(^^)変わった子が来たなぁって思いで「じゃあスタジオ見せてあげる」って。そしたらお母ちゃんのところにレイアウトが似てたの。ここやったらいけると思って。「他の人より私のほうができるよ」って言って(笑)JK:ゆうてしまった?!MK:なんか言わなアカンと思って(^^;)それで捨てるような生地をもらって、「これでコレクションする」って。それで2~3着作ったら、モデルさんが「今度来た子なかなかええの作ってるで」って。それを展示会に出したらバカ売れしたの! それで他のところが私をヘッドハンティングして・・・不思議な感じ。JK:みっちゃんは別にファッションの学校出てるわけじゃなくて、ずっとテニス1本でやってきたでしょ。興味なかったのよね。MK:そう。生地を見るから家に入るのすらも嫌やったの! こんな家に生まれて!って(笑)JK:それで中学高校大学ずーっとテニスで、全部優勝して家の中トロフィーだらけ。なのにうちの家族だれもテニスに興味なくてかわいそうだったわね。MK:それでついに全日本選手権を獲って、お母ちゃんに電話したら「あんたどこにおんねん、帰っておいで」って。「おめでとう」どころか「良かったね」も何も言ってくれない(^^;)じーっと無言で、通じてんのかな?と思ったら「はよ帰っておいで」(笑)JK:「お宅のお嬢さん、また新聞に載ってましたね」って言われても「あっそう」って、全然興味ないのよ。MK:でも私、賞品でラケットに鏡がついてるのをもらったの。それだけ褒めてくれて! 「お客さんに『よう似合いますね~』ってできるなあ。持つとこもついてるし、なかなか便利やな」って! 初めて褒められたのがそれですよ!!
夢の姉妹対談! コシノミチコさん
==OA楽曲==M. カーネーション ~メインテーマ~ / 佐藤直紀