TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!
魔裟斗さん(Part1)1979年、千葉県柏市生まれ。1997年に全日本キックボクシング連盟の試合でプロデビュー。
2003年にはK1 WORLD
MAXで日本人初のK1世界チャンピオンとなり、2008年には2度目の優勝を果たしました。2009年12月31日の試合で引退し、現在はスポーツ解説、タレント活動、講演など幅広く活躍しています。
JK:共通のお友達がいてね。家族ぐるみですよね。 魔裟斗:そう、伊豆にみんなで集まったりしてね。 JK:収録もあそこでやりたいな、なんて言ってたのよね。 魔裟斗:でもジュンコ先生はK1のプロデューサーとも仕事をしてたんじゃないですか? JK:そう。私、
具志堅用高さんのガウンを作ったことがあるの! 笑っちゃうでしょ。ボクシングなんて見たこともないのに。いやぁ頑張って作って面白かった。 魔裟斗:今も武尊や賢史郎のガウン作ったりしてますよね。武尊のガウンもそうだし、もう普通のガウンじゃないですよね。
カッコよくてうらやましいですよ。 JK:ガウンっていうより超ファッションショーですよ(笑) これ作るときにコロナになっちゃったのよ。スタッズもイタリアから取り寄せるんだけど、コロナだから来るかなあと思ったら、延びて延びて・・・でも出番も延びたから。 魔裟斗:これ500万ぐらいするんじゃないですか? JK:いや、そのぐらい見えるっていうだけで(^^) そのぐらい儲かったら最高だなあ(笑)賢史郎さんって少年みたいで、かわいくて弱そうに見えるのよね。 出水:先生、なんてこと言うんですかっ! 魔裟斗:このガウンを作るとき、ちょうど僕も賢史郎と先生と他の人と一緒に食事してたんですよ。「賢史郎のガウン、先生に作ってもらえばいいじゃん」みたいな話になって。北斗の拳をイメージしてるんじゃないですか? JK:そうです(^^)でも私が作るものって、負けたらカッコ悪い。これ来て負けたらカッコ悪いじゃないですか! だから気合入るんです。勝負服! 魔裟斗:負けられないですよ! あと先生のすごいところは、一戦でずっと活躍してるじゃないですか。その秘訣を聴きたいなと思って。頑張る気力とかよく起きるなって。普通は「もういいや」とか「ゆっくりしたいな」とか思うじゃないですか。
JK:ないない! そんなの全然ない。ゆっくりなんかする必要ない。毎日が楽しいのが一番。自分から楽しくしていかなきゃ。いい人と出会えますよね。楽しい人と出会ってるっていうのが一番。友達が一番の財産ですよ。そう思わない? 魔裟斗:そうですね。家族と、友達と。 JK:だからK1も好きなんですよ! 力入るわよね、あそこに行くと。魔裟斗さんも解説してるときは近寄れない。「来たわよ!」って声かけに行きたいんだけど、真剣勝負だから。
出水:魔裟斗さんは今年3月に行われたK1 WORLD GRAND PRIXスーパーフェザー級タイトルマッチの武尊選手とペタス選手の試合で解説をしていました。魔裟斗さんから見て、 武尊選手はどんな選手ですか? 魔裟斗:60㎏っていう体重で試合してるんですけど、その体重で、しかもK1って3Rしかないんですよ。その中で倒して勝つ。KO率が高いので、ただ勝てばいいだけじゃなくて、いかにお客さんにアピールして勝つかを大事にしている選手かなと思います。 JK:この人、使命感がある。だからK1を今後もよろしく!って言うために自分が勝たなきゃいけないと思ってる。そこが私好き。プロです! 途中で負けそうでハラハラしてると、あの人笑うじゃない? 魔裟斗:そう、打ち合いになると笑うんですよ。アドレナリンが出てるのと、あとはパンチをもらってるように見えるんですけど、自分では大丈夫だってわかってるんですよ。大丈夫じゃなかったら笑えないんで。自信があるんだと思います。僕も2004年に山本KID選手と試合したときに笑みが出たんです。
本当の一瞬でよけるみたいな勝負をしていて、自分の中では自信があったんです。だから笑顔が出るというか。見ている人からすると一瞬の勝負に見えるんですけど、やってる本人からすると、笑顔が出る瞬間は自信があるときだと思います。 JK:不思議な時間ね。あんな真剣勝負でよく笑うなあと思って! だけど魔裟斗さんがすごいのは、日本人で初めて世界チャンピオンになった人でしょう? 名前も「魔裟斗」って怖そうな漢字で書いてあるじゃないですか。これは誰が考えたの? 魔裟斗:当時キックボクシングのジムの会長が決めた名前なんですけど、本名で闘って大成した人はいない、っていうのが会長のジンクスだったんです。本当は
小林雅人っていって、本当は本名がよかったんですけど会長のジンクスがあって・・・プロデビューする前に「リングネームを決めたぞ、サンカイザンだ」って言われたんです。 出水:えーっ! 魔裟斗:でもサンカイザンを断ったんですよ。できれば自分の名前でデビューしたいと思ってるって断って、しばらくしたらまた「いい名前ができたんだよ」って言われた。それが「魔裟斗」だったんです。見た瞬間に「暴走族だなあ」と思いました(^^;) 断ろうと思ったんですけど、さすがに2回は断れないなと思って・・・「いい名前だろ」「は、はぁ、いい名前・・・ですね・・・」って押し切られました(笑) JK:でもすっごい印象的! 魔裟斗:でも僕の悩みとしては、何歳までこの名前で生きていくんだろう、というのがあって・・・まあジュンコ先生と同じで「魔裟斗」というブランドかなあって。 出水:世界一になったときって、見る景色が変わったりするんですか? 魔裟斗:世界一になったらどうなるのかなと思ってやってましたが、実際なったらそんなに変わらないんですけど、次の試合から追われるプレッシャーがすごかったです。
JK:ああ、そこですね! やっぱりそれを超えるっていうのは難しいよね。何でもそうなんだけど、2位の時が頑張ってる。1位になると次がないからね。 魔裟斗:なんか追ってる時の方が楽だったなって。先生はどうしたんですか? コシノ・ジュンコって名前がばーんと出た後は? JK:私も19歳で賞を獲ったとき、本当は2位ぐらいがよかったのよね。今も審査員してるけど、2位の人におめでとうって言ってあげるの。1位の人は将来難しいんですよ。私の場合は時代ですね。 魔裟斗:時代ってことは運っていうことですか? JK:運っていうか、ファッションで誰もやってない革命。そこが始まりって言うのがね。時代に乗るっていうのが大事ですよね。
出水:魔裟斗さんも1度王者になってから再びトップを獲るまで5年かかってるんですよね。
魔裟斗:この5年はキツかったですね。チャンピオンになった後って、格闘技ブームだったので忙しくなりすぎちゃったんですよね。いろんな仕事がバンバンきて・・・チャンピオンになった後は
昼ドラやりながら試合してましたからね! 『はるちゃん』をレギュラーでやってましたから。朝走って、撮影所に行って、午後3時ぐらいから抜けて、練習してまた戻る、みたいな選手してましたから。 JK:そりゃスター選手ですもん。いろんなところから目をつけられるわよ。 魔裟斗:試合の1か月前には台本を変えてもらって、漁師役だったんですけど、船で
嵐に巻き込まれていなくなっちゃった、って設定にしてもらって(笑) JK:嵐に巻き込まれた間にボクシング(^^) 魔裟斗:でもそれをやってると勝てないんですよね。だからもう一度チャンピオンになるまでに5年間っていう時間がかかってしまったんです。だからチャンピオンになるまでの最後の2年間は格闘技に集中して、なるべく他の仕事をやらないようにして。 JK:でもその信念がすごいですね、もう1回チャンレンジっていう。なかなかできないですよ、普通は先がないって思う。 魔裟斗:よくマスコミとかには「魔裟斗は終わった」とか書かれて、負けず嫌いだったんですよね。逆に言うと、もう1回チャンピオンになることができたんでスパッと引退したんです。自分の中の目標として、もう1回チャンピオンになるっていうのがあったんで、それを成し遂げることができたんで、30歳で引退できました。 JK:逆に1回目より2回目の方が努力ですね。 魔裟斗:取った時の嬉しさは2回目のほうが全然。あれがあったから今の僕があるんだと思います。==OA楽曲==M.香水/
瑛人