TBSラジオ「ACTION」月~金曜日の15時30分から生放送。金曜パーソナリティは武田砂鉄さん。
1月31日(金)のゲストは作家の山田詠美さん。ブースの外ではジェーン・スーさんが見守っており、武田砂鉄さんも「今日のゲストは山田詠美さんなんだね」といろんな人に言われたそうです。今回は、山田さんと武田さんでエッセイや小説での言葉のお話をしました。
武田:一度、女性セブンで対談させてもらいまして。そのときに詠美さんから「砂鉄君は、私と、嫌いな人が一緒だね」と言ってくださって。
山田:そこは重要です(笑)あと、「重箱の隅をつつく」という共通点もあってね。
武田:重箱の隅をつつくのは、昔からですか?
山田:そうです(笑)
武田:重箱の隅をつついても、つついても、つつくべきものがどんどん浮上してきますよね。
山田:そうなんです。それで、ほかの人とは違うところをつついてるみたいで…
武田:エッセイを読んでいて…、たくさんワイドショーをご覧になってるじゃないですか。そのときに、「TBS『あさチャン!』の沢松奈生子さんのワイプが一番素晴らしい」と書かれていて。それをエッセイで読んでから沢松さんのことをずっと気になっているのですが(笑)ワイドショーは何目的で見てますか?
山田:単なる野次馬になって見るというのが面白いと思うの。あそこに倫理的な批評を入れるとあんまり面白くなくなるので。
武田:倫理的な批評を入れたくなるときはありませんか?
山田:ありますけど、そういうところでそれをやるとゴシップがゴシップじゃなくなるというか。だからあんまりやらないようにしてますけど、どうしても文句言いたくなることもありますよね。
武田:その時々で石を投げられている人が映っていると思うのですが、詠美さんは石を投げる側の顔を見るのがお好きだと。
山田:そうなんです。石を投げる人を正面から見て、「この人ってこんな卑しい顔をしている」とか、「この人にこういうことを言う権利ってあったっけ?」とか。そういうことを感じながら楽しんでいます。
武田:そのズレがエッセイで書かれてて非常に面白くて。今って総攻撃する相手を常に用意している、ここ1~2週間ですと俳優さんと俳優さんの不倫がずっと出ていますが。それこそ、「なんで石を投げる権限がおありなんだろうか?」と思ったりしますが。
山田:あれは単なる野次馬にならないと面白くないというか。そんな感じがしますね。
武田:僕が『女性自身』という雑誌で、詠美さんが『女性セブン』という雑誌で連載をしているので、ライバル関係にありますね。
山田:そうなの、時々読んでる(笑)
武田:ありがとうございます(苦笑)この『女性セブン』の連載も200回ぐらいですよね?
山田:いつの間にかね。続いています。
武田:いつもちょっとした気付きから入っていくというのが、自分もエッセイを書く上で勉強になるといいますか。その取っ掛かりはいつも、ちょっとしたことですよね?
山田:ちょっとしたことですね。「こいつ気に食わない」というところから始まることが多いですが(笑)
武田:そのちょっとした気付きというのは頭の貯蓄からですか?それとも突発的なところからですか?
山田:その都度ですね。私が週刊誌の連載がかなり久々だったので、「どうやるんだっけ?」と思い出しながらだったのですが、やっぱり日々アップデートしながらやっていかないと駄目なので、そこは小説と全然違うところですね。
武田:「作家に必要なのは記憶力」とよくおっしゃっていますが、小説を書くときとエッセイを書くときだと、記憶の使い方は違いますか?
山田:違いますね。小説を書くときの記憶力は、事件や起こったことへの記憶力ではなくて、そこで感じた肌合いみたいなもの、自分の感覚を駆使した記憶力ですね。エッセイのときは細々とした事実関係や社会状態、そこにどういう立場で自分がいたかという記憶ですね。
武田:その小説を書くときの記憶の肌合いって、なかなか言語化ができないことかもしれませんが、感覚的だけど緻密に覚えているということですか?
山田:そうですね。たとえば大昔に火傷をするぐらいに傷付いた、ヒリヒリするようなことをそのままもう1回思い出して、追体験するような。その記憶力というのが小説を書く上では重要なんじゃないかとよく言っています。
武田:その記憶というのは、自分の都合良く加工されることはないですか?
山田:記憶って、記憶になった段階で当人が捏造していると思います(笑)その捏造をいかに、無駄を省いて抽出したエッセンスを文章にするというか。そのようなことを気にしています。
武田:捏造の自覚ってあるんですね。
山田:そりゃそうですよ。ただ捏造の自覚がなくて書いている人もいっぱいいると思うんですが、そういうのはあんまり評価しません(笑)
武田:その人の記憶の捏造というのは、小説であれば読んでいれば分かりますか?
山田:分かりません。それで分からないように書くのが才能だと思います。
武田:それを読み手に分からしてはいけないんですね。
山田:そうですね。ただ、どうしても見えちゃう人もいるので、そのときは意見の合う人や作家と「あれは良くないよね」と話します(笑)
武田:それは作家同士で話したら、その感覚は割とシンパシーが合うものですか?
山田:そうですね。私が思う優れた作家とは全部合いますね。
武田:そういうものなんですね。
山田:文学賞の選考会なんかでも、そこの部分は重要視されるところだと思います。
武田:詠美さんの小説を読んでいると、「ここにはこの言葉しかはまらないだろうな」みたいな、パズルが完成される瞬間が続いているような感覚を持つことがあって。いろんなパターンがあるかと思いますが、言葉を見つけに行くのか、自然に入り込んでいくのかって読者として思うところなのですが。
山田:見つけに行くのはないですね。そこにあるものを掘っていって、「あった」みたいな感じで。見つけにいかなきゃいけないようなものは、あんまりいらないもののような気がして。自分が書きたいものがそこに眠っていると信じて書いています。
武田:小説について、「なんとなく雰囲気で書いているようなものは絶対にしたくないし、読みたくない」とおっしゃっていましたが、”雰囲気”と”言葉がたどり着いている”というのは、ちょっと似ている感覚もあると思うのですが。
山田:私が嫌いなのは「行間を読ませる」と当人が思っている小説で、私は洒落臭いと思ってるんだけど、行間を読ませるんじゃなくて、行間まで作者が文字にはしていないけど、限定させた世界を作ってほしいと思っていて。
武田:僕、『文藝』2005年の詠美さん特集号を持ってきたのですが…。

山田:うわぁ~(笑)
武田:この中で、作家さんから詠美さんへの質問のコーナーがあって、江國香織さんから「詠美さんにとって我慢ならない、あるいは唾棄すべき小説とはどういう小説でしょう?」という質問に対しての答えが、「行間に感性があると勘違いした小説」と(笑)
山田:一貫してますね!
武田:あと、「『人間なんてこんなもの』と安易にシュミレーションした小説」と。これもお変わりなく(笑)あと、「一行ごとに改行して原稿料を稼いでいる小説」と(笑)
山田:許せないよね。あと私、偉そうじゃない?
武田:いやいや(笑)でも、「感性」って言葉って小説家のインタビューや批評する側も便利に使う言葉な気がしますけど、そこは認めない感じですか?
山田:認めないというか、そういうことでごまかすようなことじゃないと思いますね。
武田:変な女優さん…(苦笑)
山田:ああいうのは許せないなと思います(笑)
武田:でもそれは、そういう人たちもたくさんインタビューを受ける中で、「こういう言葉で言っておくと、話を聞く側も良さ気に取ってくれる」ということもあるから、そこで強化されたことな気もしますね。
山田:「感性」って言葉に良いイメージがあるのかもしれませんね。でも、小説の場合はあんまり過信するとよくない方向にいくと思いますけどね。
武田:詠美さんはインタビューの中で、「言葉を使って波風を立てたい」という言い方をされていて、それは素敵な考え方だと思って。なにかシチュエーションとかではなくて、言葉自体で波風を立てていくというのは。
山田:すごくいろんな可能性があると思うんです。音楽もそうだと思うんだけど、ほとんど古今東西でやり尽くされたことだと思うんです。だけど、それを組み合わせによって世界を変えることはできると思うんです。「こんな形容詞と名詞を組み合わせたものはこれまで一度もなかった」みたいな感じで心がざわっとするというか。
武田:僕はかつて、河出書房というところの文芸の編集部にいて、文芸賞の下読みをやっていたのですが、自分が良い小説、悪い小説を見抜けるようになったとは思っていないですが、悪い小説というのは、やたら難しい言葉を使う傾向があって。「この人はこの言葉をあんまり身体に入れたことないだろうな」という言葉を使ってくるので。むしろ読ませる小説って、普段使う言葉の組み合わせで別の形になるものが多い気がしますね。
山田:音楽でもサンプリングという手法がありますが、組み合わせによって全く新しい世界ができるので、言葉によっても、それはできるのではないかと思っています。
武田:「この言葉は自分の身体の中に入っているな」とか、「この言葉はそれほど入っていないな」みたいな感覚って、その言葉ごとに存在しますか?
山田:あると思いますね。小説家によって方法論は違うと思いますが、ちゃんとその仕事を続けてきた人、自分のワールドを作ってきた人は、それを持っていると思います。
武田:それは最初、自分でお書きになったころは、体得できていなかったものですか?
山田:私は習作もなにもないんですよ。練習した文章もないので、デビュー作からそれは決まっていたと思います。ただ、経験やキャリアを積んでいく中で、外しのテクはあると思っていて。力を抜いて。たとえば着物を着るときに襟を抜いたりね。そういう書き方をしてみたいと思ってから、私にしかできない手練手管みたいなものを身につけたいと思いました。ただ、その芯になるのは「これしかない言葉」をちゃんと掘り起こすことだと思うので、そこは変わりないです。
武田:一度固まったものか抜いていくというのは、たとえば着物から襟を抜くって抜きすぎたら全部脱げちゃったみたいなこともありますよね。
山田:うん、羽織の紐を外すみたいなことをやってみたいと思ったのがもう何十年も前なんですけど、そこからだんだん力が抜けて、「いなせな文章に近付きたい」と思って、そこから世界も広がって。なんてことをしていたら直木賞をいただきました(笑)
武田:一度固まったスタイルから抜くというのは、恐怖心とかはなかったですか?
山田:ないですね。自分の中の冒険なので、「やってみたい」とのことのほうが強かったですね。ただ、そういうことではなくて、必ず「自分が書けないことを書こう」というのを次の作品に課しているので、そこに飛び込むまでに時間がかかっての恐怖感はあるんですが、文章に関しては私の場合は最初からできあがっていた部分があったと思うので、そのことに関してはなかったですね。

武田:「常に新しい作品が最高傑作」とおっしゃっていますが、作品を書いていく中で、「これは、いついつの山田詠美じゃないか?」というような怖さに駆られることはないですか?
山田:自分の模倣をしてしまうということですね。それも様式美としてスタイルとして持っている作家さんもいるかと思いますが、私の場合は「書いてないもの、書けないものを書く」と課しているので、そこはあまり感じたことはないですが、さすがに何十年も続けると「ここは書けちゃうな」というところがあるんですね。でもそこはなるべく「書けないような書き方で書く」ということを常に意識していますね。
武田:「小説は書くのと終わるのはどちらかが大変かというと、終わるのは楽ちんだけど、始めるのがすごく大変だ」とおっしゃっていますね。
山田:そうですね。私は取り掛かるのがすごく腰が重いタイプで、最初の1行を書くのがすごく時間がかかるんです。最初の1行さえできたら、あとは自然といける確信があるので、その最初の1行を最後の1行に持っていくということは心配していないんですけど、最初の1行がね。私、手書きなんですけど、真っ白な原稿用紙に向かい合ったときの緊張感はほかにないなと思っていて。多分、自分の中で、もうなにか作っていると思ってるんですね。
武田:それは言語化しにくい感覚なんでしょうか。「この火曜日で1行をなんとかお願いします!」と言われても無理なんですね。
山田:無理ですね。だから私は小説の場合、締切のある仕事はしていません。
武田:それは別に5ヶ月になることも、3日になることも、3年になることもあるかもしれないということですね。
山田:ある程度書き上げてから編集者に渡すようにしています。急き立てられるのが一番苦手なので。その最初の1行に関しては充分に時間を取って、「いよいよ始めないと自分国に入れないぞ」ぐらいな感じになってから書きます。
武田:自分国を閉じるのにはストレスを感じないのは何故でしょうか?
山田:う~ん、パスポートさえ取っちゃえばどこへも行けるみたいな感じですかね。
武田:なるほど、パスポート取得が大変なんですね。
武田:昨年、『つみびと』という作品を出されて、これは大阪で実際に起こった2人の子供の置き去り事件をモチーフにした作品ですけど。こういった世の中の事象を小説に落とし込むという言い方が正しいかどうかは分かりませんが、ある種インスパイアされて書かれる小説というのは、常に社会と自分の書いている小説の距離感を頭に置いているんですか?
山田:私ノンフィクションを読むのが好きなんですが、読みながら「ノンフィクションには絶対できないことがあるな」と思っていて、それは「当事者たちの内面に入っていって、その内面はどうだったのか?」ということを言語化することだと思うんです。それにトライしました。私にとっても、トライアルな作品になりました。まぁ、大変でしたね(苦笑)
武田:ノンフィクションだとその当事者の内面のモラルや倫理観って推察しすぎてはいけないものですよね。

山田:全く私には共感もなにもない人間に対して、でも「この人のことを言葉にできるのは私しかいない」と信じて、「この人のためにやってやろう」と挑戦していた感じで。ときどき「う~ん」と思うんだけど、それをどうやって自分の元に引き寄せて、「私の中にもそういう部分があるんじゃないか?」と自問自答しながらやっていた作業でした。
武田:それは安直に共感するというわけではないですよね。
山田:そうですね。共感しなくても、「こういうときは、こう言っちゃうときもあるよね」みたいな。その人の心の中に入っていきながらも、その人の心を傍観する気持ちでいました。
武田:小説家の人の中では、具体的な事件を追うときに綿密に取材をされる人もいますが、詠美さんがかつて水上勉さんから、「詠美はキッチンとベットだけ書けばニューヨークの街が書ける」って言われて、これもすごく素敵な発言だなと思ったのですが。
山田:そうそう、すごく嬉しかったですね。私は海外旅行に当時よく行っていたのですが、行ってもあんまりホテルの部屋から出ないで読書していたんです。でもそこで、部屋に来た人や窓の外、ラジオを聞いていたりしていたら、その部屋を書くとその国が書けてしまうというのがあったと思います。それを水上先生が目を留めてくださったのは嬉しかったですね。
武田:その言葉を見かけて「本当にそうだな」と思ったんですよね。そこの街のディテールを追うことと、街の匂いを嗅ぎ取ることって似ているようで全く違うことだなと思いました。
山田:そうなんですよね。小説家の仕事は匂いを書くことだと思います。ノンフィクションの仕事は外側の現実にあるディテールを書くことだと思います。そこがどう融合して新しい作品になるかというのは、これから私もトライしていきたい部分ではあります。
武田:詠美さんの作品が好きな人が「『詠美さんは男の人が好き』と書くんじゃなくて、『雨が降ってきたときに男の人から蒸気が上がる感じ』を書いている」とお書きになっていて。確かにこの蒸気感ね(笑)それがあらゆるところにあって。でもその蒸気って、男性だけではなく女性にもあるじゃないですか。僕、『タイニーストーリーズ』という短編集の中の「電信柱さん」という短編がすごく好きで。電信柱に語らせるっていう。蒸気感という言葉でいうと、男でも女でも大人でも子供でもなくて、さっき匂いという言葉を使いましたが、匂いとか蒸気というものを宿らせることは可能ですよね。それは当初から気付いていましたか?
山田:それはどうでしょうね。いろいろ書いていくうちにだと思うんですが。ただ、人間を書くと言っても、その人間を書かなくても、その人の周りの空気を正確に書くということをすれば、蒸気とかが見えてくるんじゃないかなと思うんです。それを見逃さないように書くという。人から人へ伝わるバイブレーションみたいなもの。会話だとほかの人にも聞こえるけど、本人同士じゃないと分からないバイブみたいなものを言葉を使って隅々まで書きたいという欲望はありますね。
武田:隅々まで書くと言ったとき、さっきの匂いの話で言ったら、たとえば中華料理屋さんに行ったら多分ラーメンの匂いが一番鼻に来るけど、詠美さんはそこに添えられているたくあんの匂いとか、ご飯の甘みまで入っていて。それって僕らが文章を書こうとすると、ラーメン屋さんならラーメンの匂い、スパゲティ屋さんならスパゲティの匂いなんだけど、詠美さんはそれも嗅ぎ取りながら、そこに添えられているものも嗅ぎ取るみたいな。それはテクニックってあるんですか?
山田:分からないけど、多分それを持ってきたウェイターお皿にかけた指とかを見ているような気がしますね。
武田:まずラーメンが運ばれたときに、ラーメンではなく指を見ているという。それは視点を変えるということだけでは得られるものでもないんでしょうね。
武田:詠美さんの小説を読んでいると、「みんながこう思う」とか「多数決だからこうだ」とかをずっとことごとく嫌っているように思えます。
山田:そうですね、多数決は小説の敵だと思います。
武田:でも小説を書く上で、「多くの人に読んでもらいたい」と考えると多数決感は出しちゃいますよね?
山田:そうですね。書くほうは「多数決は敵」と思っていて、読むほうには「同じものを好きになっている」という連帯感を持ってほしいというすごくアンビバレントな、欲張りな気持ちを持っています(笑)
武田:これまでも教科書検定とか何度も落ちているんですよね?なんで落ちるんでしょうね?
山田:それは、見る目がないんじゃない?(笑)「ヤバイものほど役に立つ」という小説の掟みたいなものを知らない人たちが選んでいるからじゃないですかね。
武田:エッセイを読んでいても、「みんな道徳家になっちゃったよね」とお書きになることが多いですが、一番最初に倫理という言葉も出ましたが、倫理や道徳が、デビューされて今年で35年になられますが、もうガラッと変わったと思いますが、小説を書く上で、倫理観の変説みたいなものとどう付き合っていますか?
山田:それは自分が変説しなければ、それが自分の倫理観になるので、世の中の変わっていくものに注意深く耳を澄ませたりしながらも、自分の中では常に新しい倫理観を自分だけのものとして更新していくことってすごく重要だと思います。そうすると、ずっと長年本を読んでくださっている人は、絶対に私の変わらない倫理観が作品の中にあることを知ってくれているし、それでいながらスモールチェンジしている部分も分かってくれていると思うので。
武田:そこがすごいと思うのですが、自分の倫理観を更新するのと同時に、世の中の倫理観がどうなっているのかをものすごくチェックされていますよね。それをしないで、かなり大文字で「世の中って駄目だよね」と片付けて自分の倫理観を更新するのと、それこそ「沢松奈生子のワイプ良いよね!」っていうのを書きながらによって(笑)、詠美さんが更新されている倫理観に対する読者の信頼みたいなものも更新されているような気がしますね。
山田:それは本当に嬉しいことですね。
◆1月31日放送分より 番組名:「ACTION」
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