ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
4月3日(木)評論した映画は、『人間の時間』(2020年3月20日公開)です。
宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『人間の時間』。(曲が流れる)『嘆きのピエタ』『殺されたミンジュ』などで知られるキム・ギドクが監督・脚本を務めた異色のファンタジー。舞台はさまざまな乗客を乗せたクルーズ旅行中の元軍艦。いつしか未知の空間に迷いこんだ艦内は、やがて乗客たちの生き残りをかけたサバイバルの舞台となっていく。出演は韓国で活躍中の藤井美菜さん、日本でも高い人気を誇るチャン・グンソクさん、そしてアジアを中心に活躍されているオダギリジョーさんなどなど……キム・ギドク映画としては、わりと実はスターキャストが揃っている作品でもありますよね。
ということでね、この『人間の時間』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量はまあまあ、「少なめ」っていうのはありますけども。
褒めてる人の主な意見は、「変な映画だが中毒性があり、忘れ難い魅力がある」「寓話にしてはあまりにも生々しく、目を背けることができない」「新型コロナウイルスの影響下にある、現代の我々を描いてるかのようでいたたまれなくなった」などがございました。一方、否定的な意見は「脚本・演出が粗すぎて寓話としても飲み込みづらい」「映画自体が持つメッセージはいいのだが、女性暴行事件を起こしたキム・ギドク監督の作品であることを考えると素直に受け取れない」などなどございました。ちょっとその件についても後ほど、触れますが。
■「目を背けたくなるようなものがあえて映し出されることでしか感じえない何か」(byリスナー)
代表的なところをご紹介しましょう。「サイトウハジメ」さん。「『気付いたら船が宙に浮いていて……』という設定を聞いた時から『見たい』と思っていたキム・ギドクの新作。印象としては昨今稀に見る骨太の怪作でした。主人公夫婦の明らかにちょっと不自然な日本語と不自然な芝居。オダギリジョー演じる主人公の夫の常軌を逸した正義漢ぶり。悪すぎる政治家。
しかしそうした設定は、映画が終わってみれば寓話的な空間として作られていたのだとわかります。船が宙に浮いていることがわかり、生存をかけた争いが始まってからは、それまでの展開とは打って変わって目を見張るものがありました。『政治家が食料を牛耳り、それに反抗する人々』という図式はポン・ジュノの『スノーピアサー』や『マッドマックス/怒りのデス・ロード』を思い起こさせたりもしましたが、食料に群がる人々を見て『これはまさに連日、ドラッグストアの前に人が並んでいる2020年の日本、東京と同じではないか』と感じて、いたたまれない気持ちになりました」と。それでいっぱい書いていただいて。
「……ポン・ジュノやアリ・アスターをはじめ、計算された上手さ――もちろん、彼らの映画の魅力はそれだけではありませんが――それらが評価され目立つ中で、キム・ギドクのフィクション(作り物)で何かを表現しようとする姿勢。目を背けたくなるようなものがあえて映し出されることでしか感じえない何かは、まさにこの時代になくてはならないものだと感じました。万人にすすめるのは難しいかもしれないけど、こういう映画がなくなってはいけないと思わされました。この映画をこのタイミングで見れたのはムービーウォッチメンを続けてくださったおかげです。ありがとうございました」ということでございます。すいません。マスクのあれが……(※当日はマスクをしたまま放送をしていた)オレ、ムービーウォッチメンだとダメだ! 倒れちゃうからちょっと(鼻と口を)出しますね。
ラジオネーム「パエリャで卵かけご飯」さん。この方は不満だったという方。「今回、キム・ギドク作品『人間の時間』を見れてよかったし、非常に濃密な鑑賞時間を過ごせたのですが、見終えてみると不満が残りました。本作は最近名作が立て続けに公開されている格差社会を描いた作品というよりは、上級国民とそれ以外しか存在しない世界を描いた寓話であり、今の日本で公開されるべき映画だと思います。寓話という点で本作はポン・ジュノの『スノーピアサー』と同様、社会の縮図である乗り物が唯一の舞台になる作品ですが、寓話の要素が強すぎて遊びが少ないと思うのです」という。まあ、いろいろとそうやって書いていただいてですね。
「……また『人間の時間』は先週取り上げた『ミッドサマー』とよく似たゴア描写のある作品ですが、作中美しい画面で醜い出来事が起こるアリ・アスターの対位法が効果的であった『ミッドサマー』と違って、キム・ギドクの作品では、汚い画面の中で酷い出来事が、エスカレートはするものの次々と起こるだけなので、単調に感じられてしまいました。ずっと記憶に残る、人に語りたくなるようなシーンを見たいがために映画館に行ってるのに、本作はあまりにも寓話寓話しすぎており、ゴア描写も単調でユーモアも少ないために、上映終了後に持ち帰れるお土産、思い出が少ないと感じました。また、監督が#MeToo運動でやり玉に挙がった後の作品なので、1人の男をめぐる内省的な内容の作品を期待してたのですが、『人間とは……』と大上段に構えた作品だったのが少し期待外れでした」ということでございます。
あと、音楽プロデューサーの加茂啓太郎さん。フィロソフィーのダンスなどでおなじみの名プロデューサーである加茂啓太郎さんが、キム・ギドクファンとしてかなりドスンとしたメールをいっぱい送っていただきました。

■「その人にしかつくれない変な映画」だらけのキム・ギドク監督。好きな作品、そんなでもない作品、嫌いな作品もなくはない。
ということで『人間の時間』、私もシネマート新宿で2回、見てまいりました。でもね、このコロナ自粛期のわりには……というか、平日の昼としては、まあそこそこ入っていて。とはいえ、結構劇場が大きい劇場だったので、人の距離的には充分、かなり離れている状態で、という鑑賞でございましたが。
ということで、キム・ギドクね、僕のこの映画時評コーナー的には、2013年7月6日、前の番組『ウィークエンド・シャッフル』時代に、『嘆きのピエタ』っていう作品を扱いました。その時にですね、彼のキャリアとか作品についても一通り概観しましたね。世界的にはすごく評価を得ている作家だけども、韓国国内ではわりと批判的だったり、あとは論議の的になったりするタイプの人ですよ、と。で、この間、その後も『メビウス』とか、あとは『殺されたミンジュ』とかね。あと、これだけ僕ね、見れてなくてすいません、福島原発事故を題材にした、日本で撮った『STOP』という作品。
まさに先週、『ミッドサマー』評の最後でも言った、「その人にしかつくれない変な映画」ばっかりを引き続き連発してきた、というキム・ギドクさんなんです。僕ももちろん、好きな作品、そんなでもない作品、あとはまああんまり……嫌いだな、っていうような作品もなくはない。まあ、評価の波は作品ごとにいろいろあるんですが、毎作やっぱり他では得難い鑑賞体験を残してくれる、という意味で、まあ新作を楽しみにしている作家の1人だった、ってのは間違いないですが。
ただまあ今回の『人間の時間』、作品そのものの評に行く前に、どうしても触れておかなければいけないこととして、要は2017年の『メビウス』という作品に出演予定だった女性からの暴力・セクハラの訴え。続いて2018年には他の女優2名からも……要するに彼から過去にセクシャルハラスメントと性的暴行を受けていた、という訴えが出て。キム・ギドク自身は逆にそれを名誉毀損で告訴し返したりしてるんですよね。要は、「演出上必要なことで暴力じゃない」って言ったりとか。あとは「相手の意に反した性行為の強要などはしていない」っていう風にキム・ギドク側は主張をしていて、ということなんだけども。まあ、とにかくそういう問題があって。
この『人間の時間』もですね、韓国では上映されていない。それで映画祭での上映などにも抗議が集まったりしていたという。
つまり、作品というのも「なかったこと」にはできないだろう、という。事実は事実として認識しつつも、作品そのものもなかったことにはしたくない、という考え方なので。まあ公開されている以上は、ちょっと今回は正面から論じたいなと思っております。
■原題は『人間、空間、時間、そして人間』
ただね、結論から言いますと、もちろん寓話として面白い、スリリングなところも多い作品でしたし、もちろんキム・ギドク作品ならではエクストリームさ、楽しんだ部分も多々あるんですが。まあそれでもやっぱり、不満に感じる部分、あるいははっきり同意しかねる部分っていうのもあったりしてですね。まあそういう風に、もちろん思考をうながして、賛否両論分かれることは、たぶんキム・ギドク的にも全然望むところではあると思うんですが。ということで、はっきりと同意しかねるな、という風に感じる部分もあったりしました。実際には、どうなのか。ちょっと行ってみましょう。
原題はですね、『人間、空間、時間、そして人間』というタイトルなんですけど。これ、実は、映画全体の章立てがそういう風になってるわけです。最後の「そして人間」というパートはほぼエピローグ的なものなので、実質「人間、空間、時間」の三幕仕立てだと思ってください。で、ですね、前述したその『嘆きのピエタ』評の時にも触れましたけど、キム・ギドク監督は、自作のフィルモグラフィーに対してですね、3つに分類して、自作を分析していると。
平たく言えば、人物たちそのものに焦点を当てた小さな物語、個人的な物語の場合を描いた、「クローズアップ映画」というくくり。そしてもうひとつは、背景にある社会の問題などが浮き彫りにされていくという、「フルショット映画」というくくり。そして最後に、神的な俯瞰視点になった、「ロングショット映画」というくくり。この3種がキム・ギドク作品にはある、という風に、ご自分でもおっしゃっているということなんですけども。
その意味で今回の『人間の時間』……原題『人間、空間、時間、そして人間』は、最初のその「人間」の章と、あと「空間」の章――この「空間」というのは、「世界」って言い換えてもいいと思うんですけども――その章は、『殺されたミンジュ』『STOP』『The NET』と、このところ続いたその「フルショット映画」、つまり社会のあり方、構造が浮き彫りにされるような作品、今回で言えば暴力をバックにした権力の支配構造みたいなもの、つまりその社会的メッセージが前面に出た路線なのかな、という風に思いきや……次第により長いスパンの視点、すなわち「時間」ですね。
要するに、人間が生きているよりさらに長い、時間が全てを支配する、個々の人間社会を超越した、神的目線。つまり結局は「ロングショット映画」なんだな、ということが明らかになっていくという、そういう構成になってるわけですね。
で、もちろんですね、『嘆きのピエタ』評の時も言いましたが、とはいえキム・ギドク作品、たとえその社会の「リアル」を切り取るような題材、あるいは暴力や性などの生々しい描写がいっぱい扱われていてもですね、基本、寓話なんですね、やっぱりね。全部ね。どこか現実の社会からは隔絶したような限定空間、ちょっとファンタジックな空間というのが舞台になってることが多い、というか、ほとんど全部がそうだという風に言ってもいいと思います。まあ自伝的なあの『受取人不明』とか以外は、たぶんそうかなっていう感じですね。
で、その意味では今回、寓話度は、はなからマックスですね。最初からもうはっきり「全てはたとえ話、メタファーですよ」っていうことが打ち出された作品、ということが言えると思います。
■設定やセリフ回しからしてすでに寓話的
まずその最初のかも「人間」パートから行きますと……非常に極端な俯瞰ショットで、洋上にポツンと浮かんでいる、その古い元戦艦っていうのがある。元戦艦が客船として使われている。これがまず、もうあり得ないわけですし。
で、そこになぜか新婚旅行に来ている、現在は韓国でも活躍されている藤井美菜さん演じる女性と、オダギリジョーさん、こちらもアジアを股にかけて活躍されている(彼が演じる)男性、この2人の日本人の夫婦がですね、船に乗っていて、「なんか血の匂いがする気がするな」なんてことを言っていて。まあ、これ自体もかなりフィクショナルなセリフですけど。そうしたらですね、ふとデッキの方を見ると、「あら、次の大統領候補よ。息子さんと旅行かしら?」って……もう現実には絶対にあり得ないような(笑)、寓話的なセリフを口にしたりする。
で、しかもその後に、この大統領親子だけはいい飯といい客室を当てがわれている、というね。ただ、そういう風にセリフでは言われるんですけど、言うほどいい客室にも見えないっていうか(笑)。一般客室の様子が映されない、つまり、そのロケをしている元戦艦は客室なんて当然ないから、「一般客室と違うじゃないか!」って言うんだけども、そこも映し出されないので。どんだけそれがギャップがあるのかよくわかんない、っていうあたりもまあ、いかにも低予算作品ならではのご愛敬、という感じなんだけど。
とにかくですね、その扱いの格差に、オダギリジョーを演じるその男性というのが、非常に抗議したりする。そこのところはですね、同じくオダギリジョー主演の『悲夢(ヒム)』というキム・ギドク作品でもやってたことですけど、韓国語と日本語が、翻訳というプロセスを挟まずに、直接、普通に意思疎通できている、という描き方なんですね。まあたとえばその日本人夫婦が他の韓国人キャラクターとぶつかるというか、衝突を起こす時も、たとえば現実だったら「日本人のくせに」とか、なんかしらのそういう国籍にまつわるセリフは出てきそうなところだけども、そういうセリフは一切なくて。つまりやはりこれは、どこの国、どこの時代というのが特定できないような、寓話なんですよ、っていうことをはっきりと打ち出したような作り方になっている、という。
で、まあ事程左様にですね、イ・ソンジュさん演じる政治家、権力者と、その息子……これをチャン・グンソクさんがね、よくこんな役を演じてくれた、っていう感じですけどね。その息子と、あるいはその彼、政治家の権力行使の後ろ盾になり、そしてまた自らもそれで甘い汁を吸おうとする、リュ・スンボムさん演じるリーダー率いる、ヤクザ軍団。あるいは、非常にちょっと素行不良気味な男子学生たち、とかですね。あるいは、売春婦たちが3人いたりとか。あとは、韓国人の若いカップルもいたり。あと、その韓国人の若いカップルをギャンブルでカモにする、おじさんたちがいたりとか。そしてまた、この場本来の秩序を守る立場である、船のクルーたちがいるよとか。
そしてなぜかですね、土をその船のところから集めている、アン・ソンギさん演じる謎の仙人めいた老人。などなどがですね、いかにも象徴的に……まあ言ってしまえば記号的に配されていくわけですね。で、この「人間」パート。要は、人間社会の通常運転モードのはずなんですよね、これはね。その後に異常事態にどんどんなっていくんだけど……ただ、すでにこの時点でこの作品、実際のところ、暴力がすべてを制している状態なんですね。で、そのいろんな暴力が、結構もう最初の時点で起こっていて、さっきの老人が、いろんなところからそれを覗いている、っていうね。普通に見てると、「助けんかい!」って思うんだけど(笑)。まあ、ちょっとそれは理由があるんですけど。
まあ、老人がいろんなところから……っていうか、「覗かれすぎ」ですよね、この話(笑)。まあ寓話だからね。リアリズムツッコみってこれは、わざとやっていますけども。覗かれすぎ!っていうね。いろんなことが覗かれすぎ、っていうのがありますけども。とにかく、権力は暴力をバックにもう平然と腐敗してるし、公正を主張するものも、力の弱いものも、結局暴力の前に屈服させられていく、というまあ最低の状態が、既にもう最初の時点で描かれているわけですね。
■最初から現実の醜悪さが剥き出しで、現実を撃ち抜くメタファーとしては弱い
たとえばここでそのチャン・グンソクさん演じる権力者の息子。本当にね、善意の人ぶってるだけに、最低!っていう。よくこんな役をチャン・グンソクはやってくれたなっていう。だからそれだけでチャン・グンソク、偉いなって本当に思うんだけど……みたいなことが描かれ出していく。本当に目を背けたくなるような場面の連続なんですけど。それでまあ、おそらくキム・ギドクとしてはですね、なるほど「平常時でさえ世界の仕組みっていうのはこうだろう? だって現にこういう現実、世界中にあるじゃないか」っていうことを突き付けたかったのかもしれないし、それはそれで論理としては分からないではないんですけど。
ただ、僕はね、ここの最初の人間パートは、その真実の醜悪さというのがしかし、表面上は隠蔽されて、「ないこと」にされている、要するに欺瞞に満ちた状態、というくらいに描写を止めておいた方が、現実を撃ち抜くメタファーとしてもやっぱりより適切だし、その「空間」パート以降、食べ物が逼迫していくにつれ現出していく異常状態というのが、より効果的に際立ったはずだろうとも思う。現状はやっぱり、「えっ、だってこいつら最初から全部、めちゃくちゃだったじゃん? 最初からめちゃくちゃな人たちがめちゃくちゃになってるだけなんですけど」っていうバランスになっちゃっていて、あんまり効果的じゃないし。
あと、これは真魚八重子さんがキネマ旬報でも指摘されてましたけど、やっぱり女性の描き方が、売春婦かレイプ被害者しかいない……他にも女性は乗ってはいるんですよ。映り込んではいるんですけども、彼女たちが人間的に描かれてるところがないので、キャラクターとして描かれているのが売春婦かレイプ被害者だけかっていう、これはちょっとどうなんだ?っていう風に思ったりもしまいます。要するに現実社会のメタファーとしても、「そういう認識なわけ?」という風に思っちゃうような感じになっちゃう。
■船が宙に浮かんでからがスリリングで面白い。雑な暴力シーンもこわい!
で、とにかくその「人間」パートが終わってですね、「空間」っていう章に入って、船全体がなぜか宙に浮かんじゃってですね、完全に孤立した空間、本当にここが世界の全てになってしまう、という風になるわけですね。この「空間」というのは「世界」って言い換えてもいいと思うんだけども。で、限られた食料を巡って、どんどん事態が怖いことになっていく、という。まあ、やっぱりこのパートがね、明らかに本作でも最もスリリングで面白い、というところなのは間違いないと思います。特にですね、はからずもこのご時世にはシンクロする部分も、やっぱり多い。リスナーの方でも書かれている方が多かったですね。
限られた物資を巡ってパニックを起こす人々と、まさに「非常事態宣言」を布告して、「とにかく自分に任せておけ、それからの先のこと、全体のことを考えているからこそ、皆さんに負担やご苦労をお願いしているのですよ、だから、言うことを聞かないものは、分かるね?(チャキッ)」っていうね……みたいなことですね。しかし、実際のところその権力者側は、自分の方が助かるというか、少しでも生き延びる……権力者側も結局、目先のことしか考えてない、ということが見えるみたいな。今、このご時世の中で見ると、なかなか切実に嫌な気持ちにさせられる描写が続いて。ここは、今だからこそ本当に相当見ごたえがありました。いろいろと考えさせられましたし。
ただ、個人的にはここもやはりですね、まずその大衆側、普通の人々側――「普通の人々」というには酷いことしてるんだけど――人々側が、権力者に暴力で最初から脅されて言うことを聞かされる、っていう描写から始まっちゃっているんですけど……最初は自ら、「ああ、異常事態ですからね」っていう風に、自らいろんな全権を委ねてしまう、ってプロセスを一旦は描いておいた方が、これもやはり寓話としての精度はより上がったのにな、っていう。現状はなんか平板で……さっき言ったように最初から全てが剥き出しで暴力的すぎるので、権力のあり方の描き方として、ややちょっとこれは単純化しすぎだろう、という風に思ってしまいました。
つまり、やっぱり寓話化というのが単純化の方に行ってしまっているというか。とはいえ、エスカレートしていく生き残り合戦。そこから現出していく地獄絵図。その一方で、どうやら、他の人たちが今ある食べ物を奪い合うことに汲々としている中で、持続可能な食料生産システムを作ろうとしている……ただしそれは、人々の大量死を礎としてそれを構築しようとしているという、謎の、その黙々と作業を続ける、先ほど言ったアン・ソンギさん演じる謎の老人、というこの「空間」パート。まあキム・ギドクならではの本当にエクストリームな、極端な……まあ、本当にキム・ギドク作品は、前の『嘆きのピエタ』評の時にも言いましたけども、元々全作、粗削りです。特に『嘆きのピエタ』以降は、その粗削り度を増しています。
今回もまあ、もうめっちゃ粗削りなんですけども。雑だし、暴力の振るい方も……ただその雑さがね、また怖かったり。穴の中に手を突っ込んで、斧でゴンゴンゴンッてやるとか、なんかクソ雑なところが(笑)キム・ギドク作品らしいとこではあるし、本作でも最も楽しめる、というあたりだとは思います。で、その後の「時間」パートというね、より長いスパンで物事を見ると……というパートになっていく。
■ある種の本能論的な結末に落とし込むのは、危険だし、よくないと思う
ここでですね、その先ほどの老人のですね、いかにもこれはやっぱりキム・ギドク作品らしい、要はキリスト教的な自己犠牲のプロセスなんかも経つつ……ちなみに、さっきのその日本人の夫婦の女の人、藤井美菜さん演じる役柄と、チャン・グンソク演じる金持ちの権力者の息子は、役柄上、これは映画の中では言われてないですけど、一応役柄上は、「アダム」と「イヴ」という風に、もうめっちゃ分かりやすい役名がついていたりします。
で、要はキム・ギドクさん的には、「世界に悪いやつ、悪いことっていうのは絶えない。それに対してどうしていいかと我々はすごく途方に暮れてしまうけども、より長いスパンから見れば、そういう個々の人間たちというのは、次世代の世界を生むための土壌、サイクルの一部にしか過ぎないんだ」というような視点なわけです。で、これはやはりキム・ギドクなりにですね、切実に到達した結論なんだとは思うんですよね。いろんなことを考えて、いろんな目にあいつつも出した結論だとは思うんですね。作家のメッセージとしてそれは尊重したいとは思うし。納得というか、「まあ、なるほどな」って思うところもやっぱりあるわけですけど。
ただですね、ちょっと今回はこういう風に思うことが本当に多かったんですよ。個人的には、やっぱりラストですね。ラストのラスト。「そしてまた人間」というパートで。でも人間はやっぱりこういうことを繰り返すんだ、っていうところに落ち着いていくんですけど。それがですね、やはり非常にキリスト教的な、その罪、原罪というか、そういう捉え方で……性のあり方とかですね、そういうものは、多分に社会的なものだ、という風に僕の考え方では思うわけです。特にやっぱり、たとえば劇中で何度も描かれるレイプ。男性の性の、暴力的なあり方であるとか。
暴力で人を抑え込んで、ということとセットになった性のあり方っていうのはこれ、多分に社会的な仕組みの産物でもある、という風に僕は思っていて。なので、社会から隔絶したところで育った人間も、同じ暴力、権力、性欲のあり方を繰り返すんだっていう、この「本能」論みたいなものには、完全に同意できない、っていうか。これ、この本能論は、なんなら非常に危険というか。これを本能的なとこに落とし込んでしまうのは、やっぱりそういうものの肯定にもなりかねないし……ということです。
なので、セクハラ・暴力問題というのは別にしても、僕はここは全く同意できないところだったし。まして、そういうところは……まあ本人はもちろん否定しているから本人の立場とは違うのかもしれないけど、その(セクハラや性暴力の訴えが出ている)最中で、っていうところで、ちょっとこの結論は俺はよくないと思う、という感じにすごく思ってしまいました。まあ「個人的には、個人的には」っていう言葉がすごく多くなってしまって申し訳ありませんが、個人的にはキム・ギドク作品はやっぱり、個人の情念に焦点を当てた「クローズアップ作品」の方が、僕は良作が多いような気がしておりますが。でも、これさえも言っちゃえば、たしかに近視眼的な視点かもしれない。
■悩みながらの評。ただし、この時期に日本で公開されている以上、一見の価値はある
まあ、ある1人の作家のね、「こっちがよくてこっちがダメ」って言ってもしょうがないところかもしれないし。今後、ちょっとキム・ギドクはたぶん、もう韓国では映画は撮れない、撮らない、ということでしょうから。あれかな、ロシアに拠点を移したのかな? もうすでに新作の準備もできているようですが。ちょっと作家としての動向……もちろんその作り手の人間性の部分と作品のあり方、簡単に僕も答えを出せている部分ではないので、悩みながらの評ではありましたが。
ただ、この時期にやっぱり、少なくとも日本で公開されている以上は、一見の価値のある作品でございました。いろいろと騒動があって見づらい状況ではありましたが、いずれ、というの含めて、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆4月3日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200403180000