TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!
2021年1月3日(日)放送
河瀨直美さん(part 1)
1969年奈良県生まれ。大阪写真専門学校映画科を卒業後、同校の講師を務めながら8mm作品を制作して注目を浴び、初の商業作品『萌の朱雀』が第50回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞。
JK:いつも美しいですね!
河瀨:とんでもございません(^^)今日は奈良から、新幹線を降りてすぐきました。
JK:あら本当! ありがとう~!
出水:河瀨家の奈良のお正月のようすを聞きたいんですが?
河瀨:あまり知られていないんですが、東大寺に手向山八幡宮という神社さんがあるんです。そこがうちのお宮さんなので、1日はそこへお参りをする。でも朝はぼんやりしているというか。ゆく年くる年で夜が明けたらゴーンと鐘を鳴らして、そのあと実は息子とバッティングセンターに行くんですよ。
JK:それは恒例? お子さんがいくつの時から?
河瀨:恒例。小学校低学年から行ってるんですけど、オールナイトでやっているんです。その年一番のホームランを打った人は写真に撮られて掲載されるんですよ。それを狙いに。
JK:あ、阪神ファン!
河瀨:私がわからない選手の名前をばーっと言い出すくらい大好きで。高校まで一貫の学校に通ってるので、7~9年生までは野球部に入ってピッチャーとかやってました。しかも4番。
JK:かっこいい! でも外国に一緒に連れて行ったりもするんですか?
河瀨:しますね。私と一緒に20か国以上行ってるかな? 今16歳なんですけど、生後7か月から行ってるから覚えてるかどうかって感じですが。今もインターナショナルの学校なんですけど、国籍や肌の色が違うとか、日本語話してないとかいう子ともすぐにお友達になる。島国日本はどうしても同じ言語を話す、同じ肌の色の人がいるので、公立の学校だと英語を話すのが恥ずかしい。自分たちと違うものを恐れたりするという感じはどうしてもあるんですよね。そのあたりは、自分が表現をしているということもあって、垣根をなくしていきたいなとは思っています。
JK:違いがわかるっていいですよね。国によって、言葉だけでなく考え方も違ってくるから。
河瀨:そうですね。1回外に出ると、日本を客観的に見て「あ、日本ってこうだったんだ」ってわかるんですけど、みんなどうしても経験としてないから。
JK:とくに奈良はね! 日本の歴史の代表だもの。
河瀨:連々と続いてきたものがあって、それはそれで素晴らしいものがあるんですけどね。今年で1270回途絶えることなく続いている東大寺のお水取りとか。1270回、戦国時代から何も変わらずにですよ! 3月12日に赤い井戸からお水をくむという行事なんですけど、3月1~14日までは松明を欄干まで上げて火の粉を上げるんです。1~12日までは制限がありながら皆さん来ていただけるんですけど、今年は12日からが金土日なんです。平均来場者が3万人だったかな? だから今年はコロナでちょっと難しい。
JK:でも、ああいうところって制限できないでしょう?
河瀨:なので今年は立ち入らないってことで、実はそれを河瀨が撮影して配信する、という形を始めます。
出水:それは東大寺からのご依頼ですか? 貴重な資料としても残りますね。
河瀨:はい、東大寺からご依頼いただきまして、光栄なことだと思います。東大寺さんって、1270年前からずっと文字で記録を残されている。
JK:大仏様を作るのに?!
河瀨:そうなんです。さかのぼれば私たちのご先祖様も関わっていたっていうぐらい。なので、1300年経っても大仏が残っているんだと思うんですよ。時の権力者の力だけだと、次の権力者が出てくればつぶされるけど、みんなの総意で作った。それがすごいな、と。
JK:それが奈良の歴史ですね! やっぱり祈り、人とのかかわりですね。
出水:河瀨さんは東京オリンピックの公式映画の監督にも就任しているんですよね。
JK:本当うれしい! どういう映画を撮るのか、とにかく楽しみ! 何か構想はあるんですか?
河瀨:1964年は市川崑監督が公式映画を作られたんですけど・・・私の中では、これは歴史上はじめての延期、COVID-19にパンデミック、同じ思いを全人類が思っているんです。そのことを経て、どのような形で開催したのか? どのような形をもって成功とするのか? 逆境からの出発。長い長いトンネルを歩いているんだけど、向こうの方に光が見える。それこそがオリンピックだといいなと思っています。開会式そのものも、コロナ前だとものすごくマッチョになっていた。盛るだけ盛って、選手の数も参加国も史上最多だったんです。でもアスリート・ファーストに立ち戻ってみれば、世界の人たちが国境を越えて我が国に集まることだけでも感動的ですよね。
JK:コロナっていう試練を抱えて、あえてやるわけですからね。私も聖火マラソン走ります! 岸和田!
河瀨:おおー! いいなあ! さすが! でも「聖火」って書くのは日本だけなんですって。太陽からの恵み、これこそ人類が持ちえた炎の力であり、この炎のもとにみんなが集まってくる。
JK:オリンピックの火を消さない!ってね。

出水:オリンピックを終えると、2025年には大阪万博が開催されるんですが、こちらでもパビリオンの運営ですとかテーマ事業のプロデューサーに就任されているんですよね。
JK:シニアアドバイザーもやってるのよね。忙しいよ~!
河瀨:そうなんです、なぜか両方やってるんですよね。シニアアドバイザーとして私も先生たちに案を出させていただいて。ほかにも安藤忠雄さんだったり、山極先生だったり・・・「いのち」をテーマにしてましてね。
JK:でも「いのち」って漠然としてるから、形にするのが難しいでしょ。見えるようで見えないから。でも「いのち」って常に動いてる。
河瀨:そうですね、常に生き物であることは確かなので。しかも日本人だけのものではない、私だけのものでもない。本当に世界中に様々な命があって、それを「守る」っていうことをイメージしたときに、「私の中のあなた」をイメージするっていうことが総合的に守られていることになるんじゃないかなと思ったんですよね。
JK:海に囲まれた万博って初めてなんです。生き物、自然って木でもなんでも生きてるじゃない? だから人間だけのことを考えないほうがいいかもしれない。
河瀨:それはまさに大仏さまもそうなんですけど、「生きとし生けるものすべての繁栄」なんです。もちろん動物たちもそうだし、草木、海洋、空・・・。
JK:本当に自然の中で行われるってことだから、ダイナミックで、考え方によっては面白いなと思う。
河瀨:今もITとかデジタルとかどんどん進化していて、プロデューサーの中にはアンドロイドの第一人者の石黒先生もいらっしゃるんです。でも機械と人間の融合って考えたときに、ロボットって命をもってないわけ? でも日本人は人形のなかに命を宿してましたよね。片腕をなくしてしまった人が片腕を機械にして生活を取り戻すことができる時代になっていますし、長寿の国なので、健康とはどういうことなのか、医療はどうあるべきなのか、ということも含まれていくんじゃないかと思います。
JK:とくにオリンピックの後の万博っていうことで、今までの考え方とは違うと思うんです。オリンピックを無視した万博ってないかなと思う。記念的になりますよ。
河瀨:まさに50年前にさかのぼる1970年EXPOもそうだったし。しかもコロナで・・・多分50年後は戦後という課題のなかでの復興・未来・夢希望だったと思うんですけど、この度はある意味、日本は経済的なものも文明も手に入れて、東京を中心に発展してきた。じゃあ次の世界をどう切り開くのか?といった時に、この小さな小さなウイルスに経済活動も停止させられ、人々の生活も先行き不透明な中、私たちのいのちはどこへ行きつけばいいのか?
JK:万博が招致されたときはコロナなんてわからなかったじゃないですか。「いのち輝く未来社会のデザイン」ってながーいタイトルがぴったりだったわね。
出水:まさに、今我々が突き付けられているテーマですよね。
JK:シンボルマークもすっごくリアルなんだけど(笑)ブキミなんです! 安藤忠雄さんは「不気味だから賛否両論だけど、動いてるものはどんどん変化していくからいいんだ」って(笑)
河瀨:私も選考委員だったんですけど(^^;)いわゆる万博とかのキャラクターとか、もう少しわかりよいというか、似通ったものが多かったなかで、明らかに違っていて(笑)動き出しそう。これを発表したときに、いろんな人が勝手にキーホルダーを作ったりとかして、いろんな活用ができるものだった。つまり、マーク自体が生きているような。
JK:印象的で誰しも見たら忘れられないと思う!
河瀨:奈良のせんとくんみたいですね(笑)
=OA楽曲=
M1. Ain't Got No / I Got Life / Nina Simone
◆1月3日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
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