TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』毎週土曜17時から放送中!

6月11日(土)放送後記

ゲストは先週に引き続き、松下奈緒さんです。

ハイアットリージェンシー東京ベイの最上階10階にあり、 東京湾の一望できる『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』でお話伺います。

松下奈緒「朝ドラは、大変だと感じる余裕も無くて…」の画像はこちら >>

作曲は、幼稚園の頃から?!

兵庫県出身の松下さん、自然豊かな場所で育ち、野山を駆け回るような、アクティブな幼少期を過ごされていました。

また、お母様がピアノの先生だったことで 、3歳ごろからピアノに触れてこられたそうで....

松下「私が何度も椅子によじ登ってピアノを弾いていたので、 母が ”習わしてみよう" と。それで習ってみたら、30年以上続いた、という感じですね」

要「自宅じゃなくて、教室に行って?」

松下「最初は自宅で、小中学生は習いに行って先生についてました。 作曲は、幼稚園の時からやってました。作曲といっても 『こんなことがあって、〇〇ちゃんと遊びました』というのを 音にする、という感覚なんですよね」

近藤「絵日記ならぬ、音楽日記ということですね!」

松下「そうですね、音で楽しそうな感じ、とか、悲しそうな音、とかで 作曲というより…創作でしたね(笑)」

その後、名門である東京音楽大学に進学し、上京。
音楽業界での仕事を目指しながらも、 当時はまだ、具体的に何をしたいのか、は明確にはなってなかったそう。

女優への憧れと、実際にデビューして感じたこと

大学進学後には、音楽活動よりも先に、 2004年に女優としてデビューされました。

松下「小さな頃から女優さんに憧れはあったんですけど、 山奥に住んでるし、オーディションを受けようとかは全く考えてなくて。小学校6年生の時に、ドラマ『ロングバケーション』の山口智子さんをみて 女優さんになりたいと思ったんです。 音大に受かった、というのが第2の人生のスタートだと思って女優さんも始めたいと思って始めました。2006年に音楽活動始めました。」

要「よく考えたら、こんなに整った顔で背の高い女性がいたら、町中で噂にならなかった?女優になってとか言われなかった?」

松下「だーーーれも言ってくれませんでしたよ(笑)なれば?って言われたら、頑張ろうとか思えたかもしれないですよ。大学2年生の時、音大生の役をもらいデビューして、ドラマって大変なんだって、そこで初めて知りました(笑)」

要「やりがいはありましたか?」

松下「すごい面白かったですね~人前で泣いたりしたこともなかった中でしなきゃいけない状況になる。

新鮮でしたよね、」

要「じゃあ、やっぱり女優が向いてたんだね」

松下「それは、未だにわかりません(笑)」

朝ドラの思い出 "大変と思う余裕が無くて..."

そして2010年、25歳で朝ドラ『ゲゲゲの女房』でヒロインを務め人気女優としての道をさらに突き進んでいかれました。

松下「撮影大変だったでしょ?って、皆さんに言っていただくんですけど…。大変だったと思う余裕が無くて、楽しいというので終わってるんです。毎日渋谷のNHKに通い、食堂でごはんを食べて、学校みたいでした。10ヶ月間それが日常になって、当たり前すぎて、撮影無かったのにNHKに行っちゃったことありましたもんね(笑)」

要「あはは!(笑) でも、楽しかったって思える、メンタルの強さもすごいですよ。大体ヒロインやると、長丁場だし、セリフも大量だし。休みの日を指折り数えて待つものなのにね~」

近藤「要さんは、朝ドラの撮影はいかがでしたか?」

要「結果、楽しかったですけど、半ばくらいがしんどいなぁと思うし。」

松下「逆に、ずっと出てる方がしんどくないのかも」

さまざまな役を演じてこられた松下さんですが、いつか、”悪い人” を演じてみたい、とのこと。

OA楽曲
Shiny Blue//松下奈緒

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