TBSラジオ「森本毅郎 スタンバイ!」平日あさ6時30分から放送中!
★東日本大震災から10年東日本大震災から11日で10年となる今週、TBSラジオでは「防災キャンペーン」を実施。そこで私も防災に注目し、「90年前の警告。
あの震災当時、私は東京勤務で政治部長だったが、その後、2014年7月~16年6月まで2年間、仙台支社勤務。丸5年の時は仙台勤務でした。既に当時から大きなテーマとなっていたのは、震災の風化との戦いでした。
「風化」と「復興」は、複雑な関係。復興が進めば風化も進む可能性があり難しい。この風化の問題に関して、寺田寅彦が、およそ90年前に指摘した言葉は示唆に富むので取り上げます。
★90年前の寺田寅彦「天災と国防」寺田寅彦は、明治から昭和を生きた日本の物理学者、随筆家、俳人。自然科学者でありながら文学にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を残しています。
その1つに「天災と国防」があります。書かれたのは昭和9年=1934年。日中戦争へと向かい軍備を増強している中、室戸台風で甚大な被害が出た事を受け、災害対策が足りないことを厳しく指摘した随筆です。
例えばこのような指摘があります。
『悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。(中略)少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。』(『天災と国防』寺田寅彦)
つまり、災害ほど忘れられやすいものはないが、少なくとも政治家は、自然災害を忘れていないか、常に自分に問いかける必要があるという指摘です。果たして、今の政治家は、寺田が言う「健忘症」になっていないかどうか・・・
★ブラックアウトを予見また寺田は、今の時代を予見していたかのような指摘もしています。
『二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみればこの事は了解されるであろう。
(中略)
文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。』(『天災と国防』寺田寅彦)
前後で寺田は「室戸台風の暴風雨で近畿地方の電信が不通となり大混乱したばかりなのに、その後も、忘れてしまったかのように電線の強化対策がされていない」ことを批判している。
文明が進み電気や電話が網のようにめぐれば、昔より被害は甚大になる。
まるで、東日本大震災での計画停電や、2018年の北海道地震のブラックアウトを予言、さらには、津波の危険が指摘されながら全く対策していなかった福島原発を思わせる指摘です。
大規模停電や原発事故など、ごく現代的な文明の災害をも、90年前から予見していたのは寺田寅彦の慧眼ですが、むしろ問題は、90年たった今も、何も改善されていないことでしょう。
★災害の専門の組織をまた、こんなことも言っています。
『国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこでだれが研究しいかなる施設を準備しているかはなはだ心もとないありさまである。思うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。』(『天災と国防』寺田寅彦)
軍国主義の時代なので「軍」と言っているが、今でいえば、科学的国防の「省庁」というところでしょうか。昭和初期にそれが出来ていれば、今の震災、さらにはコロナも克服できたかもしれません。
しかし実際は、寺田の指摘通り、今の政治も、防衛予算には熱心だが、災害対策の主導的な動きは全く見られない。一時、立憲民主党の枝野氏が防災庁や危機管理庁を訴えたことがあるが実現していない・・・
★語り継ぐべきは「教訓」日本はこの90年、全く成長していないように思えてしまいますが、一方で、市民の間に蓄積、語り継がれた教訓の力も指摘しています。
『昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。
東日本大震災も、過去の津波を教訓にして高台に作られた神社などは残っていた。一方、2014年の広島の大規模な山崩れでは、新開地の新式家屋が被害にあった。これも90年前に指摘されていたリスクですが、こうした指摘には耳を傾けるべきでしょう。
★逃げ延びた若者の言葉私が取材した地域で、2つの対照的な声が忘れられません。
東日本大震災で壊滅的な被害があった仙台市近郊の名取市閖上の津波被災地では、1933年の昭和三陸地震で大きな被害を受けた。しかしその教訓も薄れ、逃げ遅れて人が多数いて、名取市全体で死者・不明者は1,027人に上ってしまった。その際、過去の伝承が足りなかったことを悔やむ声を聞きました。
一方で、震災当時、宮城県塩釜市では津波から逃れた20代前半の若者2人が、「地震が来たときには、祖母から『とにかく揺れたら高いところに逃げなさない』と、小さいときから言われていた」と言っていました。
遺構や語り部の重要性も、ここにあります。
◆3月8日放送分より 番組名:「森本毅郎 スタンバイ!」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210308063000