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7月24日(日)放送後記

水谷準さん(Part1)

1989年静岡県生まれ。5歳から卓球を始め、全日本卓球選手権で史上最年少の17歳で優勝。

オリンピックには北京2008より4大会連続出場し、東京2020混合ダブルスで日本卓球史上初の金メダル、男子団体で銅メダルを獲得し、日本の卓球界を牽引する存在です。

JK:東京オリンピックも卓球の試合、全部見ました!本当に金メダル、おめでとうございます!無事にオリンピックやれてよかったですよね。

水谷:そうですね、1年延期になりましたけれど、終わってみればいろんな方から歓迎されて、「感動をありがとう」って声をいただいたので。一生懸命練習してきてよかったなという感じです。

出水:そういった功績もあって、今年3月にはジュンコさんが実行委員長を務める「未来の礎」賞で、水谷さんのご両親が受賞されているんですよね。

JK:やっぱりオリンピックの金メダルを取るって大変なことだから、それを育てたご両親を称えることが一番ね、と話してて。

水谷:両親もオリンピックが終わって初めて賞をいただいたんじゃないかなと思います。

出水:水谷さんが5歳の時にご両親が「豊田町卓球スポーツ少年団」を設立して、そこから水谷さんの卓球人生が始まったわけですね。

水谷:懐かしいですね~!もう25年前ですか。

出水:小さいころに卓球をしている映像を見ていると、慎重と同じぐらいの台で、球が目の前に迫ってくるように見えますよね?

水谷:子供用の小さい台もあるんですけど、若い時から大人の選手と練習したりするので、その時は普通の台。肩ぐらいからラケットを上げるイメージです。当時は練習場に行くんですけど、卓球じゃなくて、卓球場の横にある遊具施設みたいなところでずっと遊んでたんですよ。

だんだん兄貴が練習したり、両親が練習しているのを見てラケットを握り出して。

JK:その時から左?

水谷:両親は最初は右だっていうんですけど、僕の記憶では最初から左で始めたような感じですね。ふだんの生活も僕の記憶だと最初から全部左なんですよね。字だけは左から右に直しました(^^)

JK:でも両手使えるっていいわね。使い分けの作戦ってありますか?

水谷:よく言われるのが、相手の選手が左利きに慣れてないからやりづらい、って言いますね。両親はそれを思って左利きにした、と言うようなことは言ってました。僕自身も左利きの選手はやりにくいです。

JK:卓球台はおうちにあったんですか?

水谷:ありました。でも強くなる選手はだいたい家に卓球台がありますね。伊藤選手だったり平野選手だったり、愛ちゃんとか。本当に360日ぐらいは卓球してましたね。お休みは1月1日だったりとか、家族で旅行行ったりとか。

両親も予定があるときに5日ぐらい休むという感じで、真面目に練習やってました。

出水:11歳のときに初めて両親に勝ったんですよね。その時ご両親は何と?

水谷:それ以降はあまりアドバイスしなくなりましたね(笑)それまではものすごく厳しかったんですが。もう8歳のときには両親じゃなく、実業団のコーチに指導を仰いでたんですよ。なので正直、8歳ぐらいからいい勝負はしてました。

出水:14歳のときにドイツに単身で卓球留学してますよね?急に指導がドイツ語になったり、わからないことや戸惑ったことも多かったと思いますが、どのような生活を送っていたんですか?

水谷:中学生だったので、家庭教師がついていったんですよね。そこでドイツ語や英語を少し習って、コーチとも英語でコミュニケーションをとるようにして。若かったというのもあったので、苦ではなかったですね。

出水:食事も変わりますよね?

水谷:変わりましたね!自炊を1回もしなかったので、全部外食でしたね。ソーセージだったり、トンカツみたいなのとか、パスタとか。でも僕が住んでたのはデュッセルドルフだったので、日本食が結構あったんですよね。それが唯一救われました。

日本食がなかったらキツかったと思います。

JK:東京オリンピックでは日本人選手が「最後はおにぎりが一番力になる」って言ってたけど?

水谷:僕は何を食べてたかな・・・混合ダブルスの昼ご飯は温かい鶏のそばを食べてましたね。身体が重くなっちゃだめだし、緊張してのどが通らなくなってもいけないし。お米だと結構通りずらいんですよね。だからおにぎり食べる選手ってすごいと思います!緊張してないんだなって(笑)

出水:ちょうど1年前の7月26日、東京オリンピックで伊藤美誠選手と男女混合ダブルスで日本卓球史上初の金メダルを獲得しました!

水谷:卓球界にとっては大きな差ですよ。卓球はソウル・オリンピックから正式競技になったんですが、日本は一度も金メダルを取ってなかったですから・・・それだけ中国の壁は厚かったですね。

JK:荻村伊智朗さんは取ってますよね?

水谷:世界卓球では取ってますが、オリンピックでは一度もないんです。1988年のソウル・オリンピックから正式競技になったので。男子は前回のリオでオリンピック初のメダルだったんです。女子はロンドン・オリンピックで初のメダルだった。

JK:そうか、世界卓球ですね!

水谷:世界卓球では荻村さんも三冠を達成してますし、合計10個以上の金メダルを持ってます。国際卓球連盟の会長にもなられたすごい方なんですけど、1950年ぐらいの日本は、今の中国ぐらい強い卓球王国だったんです。

それがだんだん低迷してしまって、79年に最後の世界卓球チャンピオンが出て以来、40年近く日本から世界チャンピオンは出ていません。

出水:うわ~、中国の壁は厚かったんですね!

JK:でも今回金メダル取った相手の中国の方はガッカリですね。

水谷:はい、かなり気合入ってたんですよね。とくに新種目ということもあって。中国は今まで、世界卓球では別の国の選手とペアを組むことが多くて、混合ダブルスにはあまり力を入れていなかったんです。でも新種目が決まった瞬間から中国のベストペアでずっとツアーにも出場していて、どれほど混合ペアにかけてるのかがよく分かった。実際、今回混合ダブルスを組んだ2人はシングルスに出ていないんですよね。混合ダブルス1本に集中してきた。

JK:衝撃ですよね・・・今日は持ってきてないんですね?

水谷:今日はちょっと(^^;)重いので。基本的にはマネージャーの自宅に保管しています。

出水:ご自身のご自宅じゃないんですか?!

水谷:オリンピックが終わってから、一度も自分の手元に保管していないです(^^;)急にメダルを見せて、って言われることが多いので、いつでも準備できるように、基本的に車にずっと積んであったり。

JK:あら、狙われるわよ!外国って金メダルを取ると一生食べていけるってあるでしょ?

水谷:中国だと、優勝すると車がもらえたりマンションがもらえたり、っていう話はよく聞きます。

そのために選手は一生懸命、命かけて頑張ってるっていう。

JK:やる気になるわよね。そこが大きな違いだと思う。ダブルスって順番に打つわけでしょう?大変よね。息が合わないと。狭いからぶつかっちゃう!

水谷:そこも練習でうまくぶつからないようにだったり。パートナーが打った球が返球されてくるので、パートナーのことを考えて打たないといけないんですよね。次に必ずパートナーが打つので、自分が変な球を送るとパートナーに返ってくるので。

JK:練習の時も、相手ありきでしょう?

水谷:それこそ混合ダブルスの決勝戦の前には、中国選手対策として中国ラバーを使ってもらったり。中国選手は特殊なラバーを使っているので、小さいころから使ってないと慣れない。筋力がないとそのラバーは扱えないので、日本人が扱うのはかなり難しいかもしれません。

JK:そんなに違うのね!ゴルフもそうだけど、これを入れれば優勝、って思うと手がコチコチになるじゃない?卓球はどうなんですか?これ1本で勝つか負けるか人生違うわけだから。

水谷:それはしょっちゅうありますね。とくにダブルスの場合は、サーブを出す時が手が一番震えます。基本的に手がブルブル震えてる状態で球を投げ挙げて、出す。だから100%のプレイはできないですね。50~60%になってしまう。

出水:えっ、そんなに下がるものですか?!

水谷:そうですね。いつも練習でそういった緊張感でやるので、50~60%でもいいプレイができるように心がけてます。でも伊藤選手とかは、そんなに緊張するようには見えないです(笑)結構試合中に笑ったりするじゃないですか。ああいう勇気は僕にはないです(笑)1本が人生かける戦いをしているときに、笑う余裕は僕にはない。

JK:それは相手に恵まれたわね(^^)2人とも緊張してたら大変だもの。

出水:伊藤選手は小さいころから家族ぐるみでお付き合いしていますが、昔からそういったタイプですか?

水谷:昔からですね!何かをきっかけに、というわけじゃなくて。あれはアスリートにとってすごい大事なことですね。余裕をもってプレイできるのはいいことだと思います。

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M.栄光の架け橋/ゆず

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