TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!

2021年4月11日(日)放送

さだまさしさん(part 1)
1952年長崎県生まれ。3歳よりバイオリンを習い始め、中学1年生で音楽修行のために単身で上京。

その後ギターに魅せられ、大学時代にフォークデュオ「グレープ」でデビューし、「精霊流し」のヒットで全国にその名を知られるようになります。また軽妙なトークでテレビやラジオのパーソナリティとして、『解夏』『眉山』など小説家としても活躍しています。

JK:さださん、昨日お誕生日じゃない? Happy Birthday~♩・・・って、歌手の前で私が歌うこともないわね。

さだ:ありがとうございます!

JK:私、昨日からさださんの歌攻め! なんか和むんですよね~。これで泣ける人いっぱいいるだろうな~って想像しちゃう。

さだ:自分ではどう歌ったらいいかわかんないんですよね。作り手が2人いるでしょ、作詞するのと作曲するのと。それに唄う本人がいるでしょ。ギターとかバイオリン弾くのもいますから、5人分ぐらいで作ってるんですね。そうすると自分同士で喧嘩するんですよ。「なんでこんな詞書くんだ」「こんなメロ歌えるか!」とかね。「いや、でも歌手が下手だからこの程度にしといたんだ」と作曲家は言うし(笑) 本当、自分の中で戦ってますよ。

JK:さださん実物とお会いしたのは、藝大の澤学長とのコンサートだったわね。たった64人、こんな贅沢なコンサートって世の中にあるの?って感じだった。

さだ:藝大の客員教授就任式にお出かけくださったんですよね。8月でしたかね? 5つの席に1人、4人分開いてましたからね。間に平成伎楽団のお面がお客さんみたいにおいてあって、オオカミがあったり天狗さんがいたり・・・普通のコンサートでもいますよ。

JK:ふふ(笑)人間の顔がそういう風に見えるんですか?

さだ:見えますね。前の方のお客さまは。「この人楽しそうだな」「疲れてるな」とか。歌い出した瞬間に泣き出す人とかいると「辛いことあったのかな」って。

JK:でもまんべんなく見るんじゃなくて、たくさんいても点で見るでしょ?

さだ:僕なんかの歌は、1対多数っていうんじゃないんですよね。一人ずつ手渡すっていう感じじゃないといけないような歌ばっかり歌ってきたんで・・・何万人もドームでグワーッと歌って、っていうのはちょっと照れくさい。

JK:ふつうコンサートっていうと「コンサートを見に行く」っていうけど、やっぱり「聴きに行く」よね。

さだ:僕のお客さまは聴きに来てくださっていますね。

JK:でも就任式の時はかわいかったわね! 名前を間違えたりしてね。

さだ:僕も緊張して。「さださん、客員教授になって」って言われて、「僕が何を教えるんですか? トークですか?」って。コンサート始まったら、箭内さんと学長が「じゃあ授与式をやります」って急に! いやあ緊張したあ~。実は慶應技術大学で、「歌を作る」って授業を2年やったんですよ。

JK:あっ、そうだったんですか。すごい!

さだ:なんで歌いたいんですか? なんであなたは歌うのか?っていう問いから始まって、歌うっていうのは「訴える」っていうことだから、あなたは何を訴えたいのか? そこから入るんですよ。訴えるものが見つかったら、それを五七五にしてみる。そうすると、その人が本当に訴えたいものが浮き彫りになるんですよ。そしたら今度は、18秒のラジオサイズのCMソングを作ってみようか、って。現実にあるものでもいいし、架空のものでCM作ってもいいよ、ってやると、ちゃんとみんな書いてくるんですよ。

JK:18秒ってあっという間だけど難しいわね。

さだ:大変です。でも18秒の歌を書いてきた子たちって3分の歌も書けるんですよね。まずはそこに行くまでが大変。音楽上の説明は、音楽の勉強していない人にはなかなか難しい。でも音楽上の説明をしなくても面白い歌ができてくるんですよ! だから音楽教育を受けてる人たちがこれをやったら、とてつもないものができてくるんじゃないか?という気がして。そしたら澤先生が「さださんの作り方を教えてよ。覚醒した奴が面白いものを書いてくるかも」って。もともと日本の唱歌って藝大から作られたんですよ。

JK:そうなんですよ! 昔の有名な音楽、当たり前すぎて誰が作ったかわからないような音楽って藝大の学生だったりするんですよね。

さだ:そう。だからもう一度唱歌を取り戻すには、藝大から始めるしかないのかなって。

やっぱりキーは、日本語で歌うのになぜきれいな日本語を選ばないのか? 僕は九州人なんで鼻濁音はないんですけど、やっぱり鼻濁音ってきれいなんですね。美空ひばりさんだとか加山雄三さんとかも鼻濁音でお歌いになる。出水さんなんかもそうでしょ?

出水:そうですね、「ガギグゲゴ」も、ちょっと鼻にかかって発音することによって柔らかく聞こえる。

さだ:僕もグレープ時代にラジオ番組をやってたんですけど、目の不自由な方から「さださん、鼻濁音を使ってください」って言われたんです。やっぱり「ガ」って言われるとドキッとするんですって。それから僕一生懸命勉強して、鼻濁音にこだわるようにはしています。

JK:そういうの教えたらみんなきれいになるかも。そういうの知らないもんね。

さだ:そういう国語教育は日本はすごく遅れてて、日本語をどうするんだってこれからの大きなテーマになってくると思うんです。

出水:さださんの歌詞はとても素敵な日本語たくさん用いていますもんね!

さだ:アナウンサーの方っていつも言葉を大事にされるじゃないですか。歌作りってまさにそこなんですよ。どうしたらきれいないい言葉をいつでも使えるか。

JK:じゃあ出水さん、あなたいつでも歌えるわよ!

出水:・・・私、音痴です。

JK:オーケストラでお歌いになるでしょ? エレガントでダイナミックで、すごく素敵ですね!

さだ:ありがとうございます。オーケストラとやるときに大変なのは、絶対に大道具にしちゃだめ、ってこと。オーケストラ背負って歌ってます、って大道具にしちゃったら、鼻持ちならないでしょう。

JK:だったら何にするの?

さだ:楽器のひとつ。歌手はソロ楽器のひとつにならないとダメだなって思うんです。俺が歌うからついてこい、じゃなくて、このオケのなかで僕は何を伝えなければいけないのか。オーケストラが行きたいときに一緒に行かなくちゃいけないし、オーケストラが行き過ぎてるときはちょっと抑えなきゃいけない。指揮者が全部仕切ってくれるんですけど、指揮者との呼吸を合わせながら・・・だからオーケストラとやるときは本当にどきどきで緊張しますけど、その分楽しいですね。読売なんかだと70何人おられたんだけど、僕は音楽教育を受けてるから、1人つくるのに何億かかってるのかと思うわけですよ! 楽器までいれたら、70人いたら最低150億ぐらいのお金がかかってるわけでしょ?!

JK:そんな風に考えたこともなかった! バイオリンひとつでもエラい大変ですもんね。

さだ:でしょ? だから僕もお客さまに言うんですよ、「あなた、これ聴いてるけどね、作るのに150億以上かかってるんだよ、それをあなた、いくらで聴いてるの? もうちょっと出しなさいよ」って(笑) 1人1人が音楽家で、それがアンサンブルをとってやってきている。歌い手だけ突出してもだめだから、アンサンブルの中に「入っていく」っていう思い。

うまくいったコンサートは、やっぱりみんながいいってくださいますね。

JK:トータルでまとまるんですね。指揮者がいて、歌い手がいて。

さだ:僕26歳の時に、山本直純さんにものすごく可愛がってもらったんです。山本直純さんが「お前もともとこっちの人間なんだから、オーケストラは金がなくて困ってるんだから、お前の客をこっちに連れてこい、オーケストラとやろう!」って(笑)

JK:そこが始まりですか?

さだ:そこが始まりです。直純さんのおかげでオーケストラと歌うっていうのはどういうことかを教わったし、時々忘れないように、何年かにいっぺんはオーケストラの皆さんとコンサートをやるようにしてるんです。渡辺俊幸君が音楽上のパートナーとして素晴らしいんで、彼と「今度は何をやろうか?」って。

JK:素晴らしいパートナーですよね。優しいっていうか謙虚というか。組んでもう長い?

さだ:45年以上ですよ! 渡辺くんは本当に素晴らしいです。あの人は妖精みたいな人ですね。僕もあそこまでいきたいんだけど、なかなかなれない。

JK:本当よね。口数少ないけど全部目でわかってる、みたいな。

出水:そんなさださんですが、「風に立つライオン基金」を担当されていますね。

さだ:「風に立つライオン基金」は6年ほど前に立ち上げました。自分でやれることって限界があるんですよね。東日本大震災の後も一人で動いてたんですけど、仲間が「組織にして、都合がいい時にだけ動いてくれればいい」って言ってくれて。僕は理事長じゃなくて「平理事」ですけど、創設者として何をすればいいのか? 海外でその国のために頑張っている日本人、お医者さん、看護師、教育者・・・そういう人たちって大きなお金には困ってないんです。何億って言われても僕ら関係ないじゃないですか。50万足りないんだよねって言われたら、それはどうにかしてあげられるんじゃない?って思うでしょ。そういうところから海外の教育者、医療従事者を支援し始めたんですけど、とにかく災害が起きるんです。立ち上げたとたんに鬼怒川の堤防が決壊して、翌年は熊本の大地震。ほうっておけないんですよ。入っていって「なんだ、芸能人が見物に来たのか」って顔されるのも怖かったけど・・・3年ぐらい前になりますかね、西日本豪雨のとき、福岡の東峰村の地区長さんから電話があって「災害から1か月近く経って、このままじゃいけないとみんな気合を入れているんですが、さだまさしさんはいつ来てくれるんですか?!」 俺を待っててくれる人がいるっていうのはちょっとびっくりした。

出水:それまでいろんなところに通ってきた実績があったからでしょうね。

さだ:落ち着いたらさだが来るぞ、と思ってくださったのかな。わぁっ嬉しい!と思って。それまでは勝手に押しかけて頼まれもしないのに行ってたのに、待っててくれる人がいるって思った瞬間から、何も怖いものはなくなりましたね。「はい、さだで~す。何か足りないものはあります?」って。

出水:今回のコロナでマスクや防護服などを提供していましたね。

さだ:これは医療支援ですね。僕らが買い求めて、行き渡っていないところへお送りする。僕らのような小さな財団はたくさんお金があるわけじゃありませんから、ものを買っておくるのは限界があるので、福祉施設の崩壊を防ぐためにお医者さんと看護師さんを派遣して勉強会をやる。新型コロナはどうしたら防げるか、もし入って来たらどうするか? そういう勉強会を10月までやれば落ち着くかと思ったら、まだやってますね。

JK:もう1年あっという間でしたね。

さだ:去年の5月から始めたので、まもなく1年。福祉施設のクラスターが一番怖いんで、これは続けていこうっていうことで、そのための予算も組んでいます。

JK:地震やそういう災害とは質が違って、医療関係の人はめいっぱいで大変ですよね。

さだ:考え方として、医療関係者と福祉関係者をつながないとだめ。今は断層があるんですよ。これをつなぐプラットフォームがあれば、次にどんな災害、どんな病気が来ても、つながっていれば対処できるぞって思うんです。

=OA楽曲=
M1. 柊の花 / さだまさし

◆4月11日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210411170000

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