TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。
ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。


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宇多丸、『アメリカン・ユートピア』を語る!【映画評書き起こし】

宇多丸:
さあここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、月日から公開されているこの作品、『アメリカン・ユートピア』。
(曲が流れる)
元トーキング・ヘッズのフロントマン、デイヴィッド・バーンが2018年に発表したアルバム『アメリカン・ユートピア』を原案に作られたブロードウェイのショーを、スパイク・リー監督が映画化。デイヴィッド・バーンが様々な国籍を持つ11人のミュージシャンやダンサーとともにパフォーマンスを通じて現在の様々な問題について問いかける。

ということで、『アメリカン・ユートピア』。そもそもリスナー推薦メールでしたしね。それも複数の方から、まあ熱い熱いメールをたくさんいただいておりまして。大評判でもありますからね。それで見事、山本さんがガチャを当てていただいた、ということでございまして。

この『アメリカン・ユートピア』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。

賛否の比率は、褒めの意見が9割近く。圧倒的ですね。主な褒める意見としては、「今年のナンバーワン。デイヴィッド・バーンやトーキング・ヘッズを聞いたことがなかったが、それでも十分に楽しめた」。RHYMESTERのマネージャー、小山内さんも「全然知らなかったけど、そんなの関係なかった」って言ってくれてね。

「ちゃんとスパイク・リー監督の映画になっている」なんて声もありました。「唯一の欠点は座って見なければいけないこと」。これ、だからご時世がご時世ならね、ああいう声出しライブ上映みたいなのもね、まあ、いずれはできるでしょうからね。「興奮のあまり初投稿」という方も多かった。一方、否定的な意見としては、「ショーとしては素晴らしいが、映画の出来としては普通では?」とか、「スパイク・リー監督・演出が余計に感じた」などがございました。「パフォーマーとしての宇多丸さんの意見が聞きたい」という声も多かったということで、まあ後ほどね、ちょろっと話したいと思います。

■「過去の様々な『至らなさ』を乗り越えた先にあるこの映画。
震える」byリスナー

ということで代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「これからお迎え」さん。
「賛否で言えば、賛、絶賛です。この映画でのデイヴィッド・バーンの振る舞いは、過去の様々な『至らなさ』を乗り越えた先にあるものと映り、そのかっこ良さに、私は震えるしかありませんでした」。デイヴィッド・バーンさん、トーキング・ヘッズの昔からのキャリアをよくご存知の方。

「……私が考えるトーキング・ヘッズの『至らなさ』は大きく2点。技術的な稚拙さと、黒人音楽の引用が招いたばつの悪さです。トーキング・ヘッズはデビュー当時、ニューヨークパンクの一角として紹介されており、お世辞にも演奏のうまいバンドではありませんでした。ただ、そのヘタウマの妙味と、デイヴィッド・バーンの特徴的な歌い方が独特の魅力を放っていた、という印象です。ところが、この映画のバーンは、20代の頃と同じ声色、歌い方でありながら、『ヘタ』の要素は皆無です。同じ人、同じスタイルなのに、圧倒的に進化したボーカルとパフォーマンス。まずそのことに驚かされます。

そして、黒人音楽の引用についてです。かつて、『ヘタウマ』の白人4人組が、ゲストミュージシャンに手練れの黒人ミュージシャンを引き連れて、アフロビートを奏でる、というスタイルは、革新的でありながらも、どこかバツの悪さを感じさせ、一部の音楽評論家に批判もされました。そうしたスタイルで完成させた代表曲が、映画でも披露された『イ・ジンブラ』と『ボーン・アンダー・パンチズ』だと思います。

映画でのこの2曲は、前半のハイライトになっていると思いますし、当時の音源よりも圧倒的に洗練されていて、かっこいい! そして、こうしたテーマの曲を作った意味、伝えなければならない理由が、はっきりと表現されています。『ボーン・アンダー・パンチズ』を直訳すれば、『殴られる(抑圧される)運命』。後半のジャネール・モネイのプロテストソングカバーへと連なる流れがくっきりと浮かび上がります。

黒人音楽への敬意、多様性への問い、過去の表現のアップデート……60代後半で、これらの思いや問題意識を見事に消化し、実させたバーン、及び、その舞台を見事に切り取ったスパイク・リー監督の手腕に、ただただ拍手を送りたいです」
中でもね、デイヴィッド・バーンが、すごいひょうひょうとした調子ではあるけども、冗談っぽい流れから、「なんかみんな笑ったり拍手したりしているけど、いや、違うんだ。僕自身も変わらなきゃいけないんだ」みたいなことを強く言っていて。これはすごい、この作品の重要な部分でしたよね。というようなことで、「これからお迎え」さん。ありがとうございます。

あと、ちょっとこれは部分的に紹介しますけど。

ラジオネーム「空港」さん。こちらも絶賛メールなんですが。

「あれだけパーフェクトなステージングにも関わらず、不思議と『一矢乱れない』、という感覚は持ちませんでした。ミニマルなステージのほか、『皆お揃いのスーツ、だけど裸足』……」。これ、実は裸足っていうのが、なかなか実は大変でね。なんかそれ用の動き方の訓練をしたらしいですね。要するに、ジャンプをしたりした時に、体にダメージを受けやすいんですよ、裸足は。

「……や『全員演奏しながら動き回る、でも配線なし』など、マスゲームに生じる緊迫感を上手く回避し、風通しの良い印象を与えたのかと思います。もちろんDバーンの持つユーモアやボーカル、歌そのもののキュートさも大きかったのでしょう」という「空港」さん。

あと、そうですね、ラジオネーム「六本木」さんは、このライブに用いられたワイヤレスの音の技術に関してメールをお寄せいただいて。これ、この件は後ほど私も触れますんで。ありがとうございます。

あと、いまいちだったっていう方。たとえば「ジャイアントあつひこ」さん。「ショーとしてはこれ以上ない素晴らしいもので、映像作品としても心に刺さる大好きな作品でしたが、映画という意味では、否かなと思いました」という。まあ、映画作品としての独自の魅力という点ではどうなんだ、というようなご意見でございます。

■最初に言っておくと……これは絶対に今、映画館に行っておいたほうがいい!

ということで、皆さん、ありがとうございます。『アメリカン・ユートピア』、私も渋谷シネクイント、そしてTOHOシネマズ日本橋で、2回、見てまいりました。どちらも平日昼、引き続き座席1個ずつ空けモードではありながら、かなり入っていましたね。特にシネクイントの方は、先ほどね、番組オープニング6時台にも話した通り、僕とほぼ同世代、1985年に『ストップ・メイキング・センス』をまさに当時の渋谷ジョイシネマなどで見た世代なのかな、というような趣の方々と共に、同時にしっかりやっぱり、若い人もめちゃめちゃ入ってて。すごいいい雰囲気ができている劇場でしたね。

なにしろ本作『アメリカン・ユートピア』、アメリカ本国では、HBOマックスの配信公開になってしまった作品なんですね。それに対して日本では、無事、劇場公開され、あまつさえ昨日まではシネクイントで、さっきから、6時台から話している『ストップ・メイキング・センス』の、レイトショーリバイバル上映も同時にやっていたり。とにかく、非常に恵まれた状況なわけです。

先にもう、1度、言ってしまいますけど、これ、絶対に映画館、大画面、大音量、そしてここが大事だけど、「他の人たちと一緒に見る」という……「繋がり」がテーマのライブでもありますから、一緒に見るという、要はライブ的な環境で体験した方がいいことはもう、間違いない作品なので。映画館で今、見に行けるうちに、絶対に行っておいた方がいいです!これは保証しますから。

ということで、改めて概要を説明しておけば、元トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンが2018年に出したアルバム『アメリカン・ユートピア』の、まずは作品でもMCで言ってましたけど、コンサートツアー、要するに、ここまでシアトリカルな演出じゃないコンサートツアーがあって。それをさらにブロードウェー公演用に、シアトリカルな、舞台パフォーマンスとして演出を加えて、さらにアップグレードした『David Byrne's American Utopia』という、2019年に上演された出し物があって。それをご存知、映画監督スパイク・リーが長編映像作品として仕上げたのが、今回のこの『アメリカン・ユートピア』なんですけれども。

■1984年につくったライブ映画の金字塔『ストップ・メイキング・センス』を2020年、自ら超えてきた

デイヴィッド・バーンが率いていたトーキング・ヘッズ。先ほどのメールにもありました。1974年に結成して1991年まで活動した、ニューヨークベースの、ニュー・ウェイヴロックバンドですね。で、そんな彼らがですね、1983年にロサンゼルスでやったライブを、1984年に、後に『羊たちの沈黙』などで巨匠となる映画監督ジョナサン・デミが長編映像作品にした、これも6時台、オープニングで散々話しました、名前が出ている『ストップ・メイキング・センス』。日本では1985年に公開されました。とにかくこれが、いわゆる音楽ライブ映画……まあ『ラスト・ワルツ』とかいろいろとありますけども、音楽ライブを記録した映画、ライブ映画として、割と金字塔というか、歴代トップ的な評価を長年、維持し続けてきた作品で。私もそれに同意、という感じなんですけれども。

まあ、どこがどうすごかったという話も6時台に先にさせていただきました。6時台を聞き逃したという方、『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』という本で、「ライブの魅力を教えて」みたいな項目があって、そこで詳しくというか、同じようなことを書いていたりするので、そちらを読んでいただきたいんですが。まあ、とにかくですね、今回の『アメリカン・ユートピア』、その『ストップ・メイキング・センス』を1984年に作ったデイヴィッド・バーンが、60代後半になった2020年の作品で、自ら達成を更新してきた、という。まずはそういうところで、すげえ!という作品でもあるわけです。

もちろんデイヴィッド・バーン、この間もずっと作品を出し続けていたし、いろんな試みのライブもやっているんですね。もちろん割と普通の感じのライブもやっています。こんな凝りに凝ったライブばっかりじゃないですよ。もちろん普通に演奏するライブもいっぱいやってますし。そうじゃなくても、たとえばその中にはイメルダ夫人を主人公にしたミュージカル『Here Lies Love』とかですね。あとは、ブライアン・イーノと共作で、ダンサーをすごく前面にフィーチャーしたステージングの『Ride, Rise, Roar』っていうのとか、まさにシアトリカルな試み、当然たくさんあって。今回も振り付けで参加している、アニー・B・パーソンさんとの共同作品、という言い方もできると思います。

だから今回に至るような試み、つながるような試みは、全然この間ももちろんやってきたんです。急にこれが出てきたわけじゃないんですけど。

■『ストップ・メイキング・センス』が普通に見えるほど驚きの仕掛けが施されている本作

ただ、それでもやっぱり今回の『アメリカン・ユートピア』、特にやっぱりさまざまな面で、『ストップ・メイキング・センス』と比較したくなるような作品であるのは間違いなくて。まずやっぱりね、極限までミニマルにそぎ落とされたステージ演出、ということですよね。

非常に要素が……要するに出演者と楽器、楽器って言ってもその出演者が持って歩いてるんで、まあほぼほぼだから、その出演者の体ひとつ、みたいな感じに見えるような演出なんですね。最初、このデイヴィッド・バーンが1人で出てきて歌い始めて、だんだんメンバーが増えていき、パフォーマンスの熱が増していく、というこのこの全体の構成も、もちろん『ストップ・メイキング・センス』と同じですけど。

それでいて、その1曲1曲に、全く異なる照明や小道具、舞台の使い方のアイデアが凝らされていて、最小要素しかないのに、異常に豊かに感じられるというか、何もないはずなのに、めちゃめちゃ豊かな舞台空間に感じられるというのもこれ、『ストップ・メイキング・センス』に通じるあたり。というか今回は、後ほど言います、先ほどもね、メールでもいただいたんですけど、新たなテクノロジーの導入もあって、なんならあの『ストップ・メイキング・センス』がそれでもまだまだ普通のライブ映画に思えてくるほど、シンプルであるが故の驚きの仕掛け、というか。

しかも、その1曲1曲に凝らされた仕掛けが、ほとんど絶え間なく用意されてるので。もう当然、退屈する暇はない、という感じなんです。「えっ?」っていう瞬間がいっぱいある。

さらに言えばですね、これも『ストップ・メイキング・センス』と同様、数日、数回に渡って撮影された素材……本作では2日半ということで、まあ明らかに客席の顔ぶれがカットごとにちょっと変わってたりもしますしね。2日半のこの「半」はたぶん、後ほど言うけども、寄りの別撮りショットを撮るためじゃないかな?っていう気がするんだけども。

とにかくそれらを、それぞれが別個の素材を、改めてひとつのライブとして再構築した、言ってみればその「純映像作品ライブ」というか。この作品の中にしか存在しないライブでもあるわけですよ、この『アメリカン・ユートピア』は。そういう意味でも『ストップ・メイキング・センス』と同様、という。だから、他のそのデイヴィッド・バーンのライブ作品とかとは、ちょっと違う作りになっていて。

当然、そのライブ作品としての再構築というか、先ほど言ったようにフィルムの中にしか存在しないライブ作品としての再構築というのは、これは監督の視点というのが反映されてもいるもいるわけで。本作のスパイク・リーはですね……スパイク・リー、(彼についての説明は)いいですね?スパイク・リーの説明は、一番最近でも『ブラック・クランズマン』を近々で評していまして、書き起こしもありますから、スパイク・リーの説明は省きますが。

エンドロールでね、そのスペシャルサンクスに、その『ストップ・メイキング・センス』の監督であるジョナサン・デミさん……亡くなられてしまいましたが、まあ同じニューヨークベースのインディー映画作家として、非常に近いところにはいた、というぐらい、刺激を与え合っていた、ぐらいの関係らしいんですけども。そのジョナサン・デミが『ストップ・メイキング・センス』でやったような……先ほども(番組)オープニングで話しましたけどね。

■監督スパイク・リーがもたらした映画的技巧の数々

まずはステージ上で起こっていること、あるいは演者の動きや表情の機微まで含めて、まずはそのライブそのものの魅力を丁寧に捉えて、抽出するというか。そういうスタンスは受け継ぎつつ……基本的なステージそのものを生かす方向という、そのスタンスはもちろん受け継ぎつつ。スパイク・リー、今回のはですね……全体が、鎖がたらされていて、それがたまに上下したりするんですけど、鎖の壁で、シンプルに四角に仕切られたステージがあるわけです。

その中で、その演者たちの見事に美しい動きのフォーメーションを非常に効果的に見せるために、パッと、真上からの俯瞰ショットを入れる。これが非常に効果的。しかもこの真上からのショットが、図らずもなのか、まあスパイク・リーのことだからそれは計算ずくなのか、結果的にバスビー・バークレー的な、その伝統的なミュージカル映画の特徴的な画とも絶妙に重なる、っていうか。バスビー・バークレー、調べてください。要するに噴水とかで、女の人が、シンクロナイズド・スイミングじゃないけど、ワーッとすごく幾何学的に踊るようなミュージカルの形式を作った人ですけど。それを思わせるような画とも、絶妙に重なってですね。

そういう画を非常に的確に挟み込んできたりとか。あと、これは間違いなく別撮りだろうっていう、要するにいかにもスパイク・リー映画的に、カメラがグイーンとダイナミックに動いてグーッと近寄っていってのアップショット、みたいな。これはいくらなんでも、ライブをしながらは無理だろう、っていう寄りのショットがあったりして。そこはすごくスパイク・リー印だったりするし。

さらにはですね、極めつけはここですね。やっぱり後半、この評の中では名前はあえて伏せておきますが、デイヴィッド・バーン、これまでも度々女性シンガーのカバーというのをやってきたんですね。ちょっとカバーすることに、ギャップを感じさせるようなカバー、というのを割と何度もやってきていて。たとえばホイットニー・ヒューストンの『I Wanna Dance With Somebody』とか、あとはミッシー・エリオットとか、そういうカバーをやってきているんですけど。

その中でも、おそらく最も感動的、かつ、最も彼がやるということの意味のギャップが、非常に挑戦的ですらあるような意味を持つような曲をカバーするんですけど、ここで、もはやそのスパイク・リー、ライブ映画という枠組みからも軽々と飛び出して、まさにスパイク・リー映画的、そしてもっと言えば、やっぱり「今の世界」に向けた映画であることを、文字通り真正面から宣言してみせるかのような、そういうある種、本作の非常に最重要シークエンスみたいなものも配されていたりする、というね。

■デイヴィッド・バーンと同じニューヨーク・インディー派として、スパイク・リーにとっても重要な一作

スパイク・リー、これまでも……普通の劇映画はもちろんね、皆さんご存知の通りいっぱい撮ってますけども、これまでも、たとえばネットフリックスで見られるあの『ロドニー・キング』ってやつだとか、あとはこれはアマゾンプライムで見れる『パス・オーバー』っていうやつだとか、舞台作品、それもまさにやっぱり今回のね、とある展開でも通じるところですけども、まさにBlack Lives Matterムーブメント的なメッセージど真ん中の作品の映像化を、いくつか手がけてきてるんでね。そういう意味ではまあ、慣れている人ではあるんだけど。

今回の『アメリカン・ユートピア』はもちろんですね、やっぱりスパイク・リー、『ドゥ・ザ・ライト・シング』をはじめ、その音楽の使い方みたいなところが非常に特徴的な人なわけで。やっぱり音楽との、思わず体が動いてしまうような相乗効果というのに加えて、そのデイヴィッド・バーンという非常に自らの立場に自覚的な、それこそかつては「植民地主義的」と評されたこともあるような黒人音楽との距離感の取り方みたいなところにも非常に自覚的な、白人男性アーティストとの共同作品である、という点でですね……つまりデイヴィッド・バーン自身も、「私自身が変革していかなきゃいけない」という意識の下に作られた作品で、あの戦闘的なスパイク・リーと、でも同じニューヨーク・インディーシーン派、アートシーン派として、手を繋いだ、という。スパイク・リー作品としても、非常に重要な位置を占める一作となったとも言えると思います。

■ライブのプロから見ると、「どうやってんの、これ?」の連発

あとはもう何しろ、これは本当に、「ライブ」映画なので。ストーリーの説明をするっていうわけにもいかないし、皆さんご自身がですね、ライブ会場、即ちこの場合は上映館に、足を運び、音と映像を本当に体に直接浴びながら、意味を考えたり、意味を考えるのをやめたり……『ストップ・メイキング・センス』したりしていただく、という以上のことはもちろんないわけなのでね。もう1回、言っておきますよ。映画館でやってるのがラッキーなんだから、行っとけって、だから!という感じなんですけどね。

なので、ここから先はですね、僕自身、言わせていただくと、まあ音楽ライブのプロとして、一応30年選手にしていまだ余裕の現役と言わざるを得ないのが現状の立場として、特にすげえ! と思ったところを挙げていきたいと思うんですけども。

まずはやっぱりこれ、ひとつ目。「どうやってんの、これ?」の連発。まあ、演出がすげえ! わけです。たとえばですね、これはコンサートツアー版からこの仕様らしいんですけど、とにかくすべての楽器が、ワイヤレスなんです。ワイヤレスだけじゃなくて、たとえばドラムセットとかは当然(地面に)置かないので、そのドラムセットが本来だったら叩いてるような要素を全部、要するにビート要素を全部、分解しているので、太鼓だけで6人かな? いるわけですね。パーカッションとか太鼓系だけで。

で、それらの全てがワイヤレスで。要するに、普段だったら置いてある楽器とかも、首に吊るしたりしているわけです。キーボードとかも。その全ての楽器がワイヤレス。だからこそ、演者たちは縦横無尽のフォーメーションで動き回れるし、ダンス・振付とのシンクロもすごく複雑になっていて、それが非常に楽しいし、見てて気持ちいいあたりなんですけど。あとは最終的に、演奏しながら客席側を練り歩いたり。それもやはり非常に、超愉快そうではあるんですが。

やはりですね、これは音楽ライブをやっている人間からすると、やってればやってるほど、「えっ? いやいや、なんでこんなことが可能なの? なんでまず、こんなに音がよくて、安定してて、そして移動しても遅延もないの?」って。ワイヤレス、電波で飛ばしているものですから、離れたりするとやっぱり多少の遅延が起こったり、雑音が入ったりとか、いろんなことが起こりやすい。安定性がなかったりするんですけど。(本作では)非常に音がよくて、あまりにも安定しているので、僕は正直序盤は、「ああ、これは当て振りってこと?」って思って見ていたぐらいなんですよ。

そしたら、そういう感想を持つ人が多いということを、中盤でデイヴィッド・バーン、その疑惑を見越したかのように、「全て生の演奏です」というのを、1人1人、そのメンバー紹介を兼ねて見せていくくだりがあったりして。「えっ、あっ、そうなんだ!」みたいな。でですね、これはだから要するに、プロから言わせると非常に不思議です。「なんだ、これ?」っていう感じがするんですけど。だからこそ、「とか言って、本当は録音を流しているんでしょ?」ってしつこく聞く人がいて、とか(笑)。

本当にそれぐらい、なかなか不可能と思われるようなことをやってるんですけど。それをどうやって実現してるかというと、音響メーカーSHUREの新機材でAXTデジタルっていう技術があって。これ、要するにワイヤレスの電波をデジタルで飛ばす新技術らしくて。あれを導入したことで初めて、これだけ自由に動いたり、場所を離れたり、あとは、すごいチャンネル数ですよね。あの数の楽器数がありながら、それが非常にそれぞれクリアな音で、きれいで安定してて遅延もないという、そういうのを実現したらしいと、いうことで。だからAXTデジタルありきなんですね。

で、これが面白いのは、要するにその、人間そのもののむきだしの魅力を際立たせたい、というのがもともとの意図なわけですよ。要するに、ライブにおいて必要最小限の要素だけ残したらどうなるか、という試みとして、なんですね。最もプリミティブな、人間そのもの、ライブそのものの魅力を際立たせるために、最新テクノロジーを活用する、というこの構図は、このライブ全体のメッセージ……人々の間に元々はあったかもしれない、失われた繋がりを取り戻そうとする。

それをその、自らが変わっていく、自らの内部から変革していくことで、自分たち自身が変わっていくことで……これ、『アメリカン・ユートピア』って僕、すごく皮肉でつけてるタイトルかと思ったら、そうじゃなくて、アイロニーやシニシズムにおちいることなく、自分たちなりのユートピアを目指してゆこう、という本作の意外なほど前向きなスタンス、メッセージと、このテクノロジーを使うことでむしろ人間そのものが際立ってくる、というこの構造は、完全に一致するものという風に言えるわけです。

なのでこれ、AXTデジタル。非常にうちらも使ってみたいという気持ちが……RHYMESTERのライブスタッフ、これ、聞いてるかな? 音響スタッフ、カクちゃん、カンダくん。これ、見といて(笑)。

■ミュージシャンやダンサーの総合的なパフォーマンススキルが半端ない

ねえ。あともうひとつ、これ、どうやってるの?っていうのは、照明との見事なシンクロ。本当に全編に渡って、照明ってこんなこともできるのか!っていう。照明がもうひとつの主役と言ってもいいぐらい、瞬時に場のムードや、空間感さえもパッと変えてしまう、照明のすごさっていうのが炸裂しているライブでもあるので。これはライムスライブ照明チーム、カサハラくん。これ、見ておいて!っていう感じなんですけども(笑)。

舞台上、よく見るといくつか中心点らしきものを示す「バミり」、いわゆる目印、あと縦のラインがちょっとだけ、目立たないように入ってたりするけど、でもほぼほぼまっさらに見えるそのステージ上で、たとえば序盤のですね、「Don't worry about the government」という曲。これ、今後ろで流れています。チェス盤のように当てられた照明の位置に、ぴったりとこの動きが合っていくわけです。

これも不思議なんだけど、これはどうもですね、全員が着ているグレーのスーツ……そもそもこのグレーのスーツが、照明によってまた全く色合いを変えていく「舞台装置」にもなっているあたりが、またすごいんだけど。そのスーツの両肩に、センサーがついていて。これ、ラストでその場内を練り歩くくだりで、肩が光っているのが見えますけど。照明と同期して、演者の位置に合うようになってる、ってことらしいんですね。

で、その照明と合わせたフォーメーションもそうですけど、本作、ミュージシャンやダンサーの、総合的なパフォーマンススキルが半端なくて。ミュージシャンも踊るし、ダンサーも歌う。しかも、さっき言ったその完全ワイヤレスモードのため、要するにこれまで習熟してきたパーカッションとかドラムのスタイルは使えない。全く違うことを要求されているわけです。それを完璧に習得しなきゃいけない。特にその、マーチングバンドをイメージしたというパーカッション/ドラムチーム。あとキーボードですね。それは全然違うことをやらなきゃいけないんだけど、なのに音も動きも、まさに完璧な安定ぶりを見せていて。もちろん、公演をすでにかなりの数、重ねている結果でもあると思うけど、まったくもって驚異的な総合パフォーマンス力、と言わざるを得ない。

■常に独自のやり方でアメリカを批評してきたデヴィッド・バーン、一世一代の大傑作!

しかし本作で一番驚くべきは、ここまで完璧に構築されたショー、ガチガチにやらなきゃいけないことが決まっている出し物のはずなのに、まさに『ストップ・メイキング・センス』、「意味を考えるのは止めろ」じゃないけど、その(『ストップ・メイキング・センス』から感じられる)感動と重なるんだけども、ちゃんと一緒に音を鳴らし、声を合わせることの喜び、楽しさ、ワクワク、要は、音楽というものの喜び、高揚感、熱狂を、ちゃんとパッケージングしている。たとえばこの「I Zimbra」という曲のところで、12人、ついに出揃って。ビートが入ってくる瞬間の、問答無用に気分が上がるところ。

非常に知的な、言ってみれば頭でっかちになってもおかしくない、アート的な思想の持ち主なのに、同時にデイヴィッド・バーン、まさに『ストップ・メイキング・センス』な、理屈抜きの衝動、感覚、あるいは肩の力を抜くしかないユーモアを必ず入れてくる、というあたり。特にそのトーキング・ヘッズ時代の、会場の全員が「待っていました!」な曲、要所要所で外さない入れ込み方をしてくるあたりっていう、そのセットリストの流れも見事ですしね。

エンドロールと対になっている「Everybody's Coming To My House」。その非常に重要な意味を持つMCを含めて、本作の要となるパート、からの、(トーキング・ヘッズの代表曲のひとつである)「Once in a Lifetime」がボーンと出てくるあたり。しかもこの「Once in a Lifetime」がね、ちょっとBPMを落としめなんだよね。(今のデイヴィッド・バーンの)年代なりの、なのかわからないけども、この歌の歌詞が、もうアイロニーよりは、すごく切実な、彼が歌うそのリアリティーとかも得ていたりして。そんなセットリスト、曲の流れも完璧ですし。

常にアメリカを非常に批評してきたというか、独自のやり方で批評してきたデイヴィッド・バーンの、これは本当に集大成にして、まさに一世一代、ネクストレベルに行った傑作。よくこれを、ここまでの完成度で作り上げたと思います。今、映画館に行かないのは損だと思いますよ!ぜひ、劇場でウォッチしてください。

宇多丸、『アメリカン・ユートピア』を語る!【映画評書き起こし】

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆6月18日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210618180000

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