TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!

10月16日(日) 放送後記

山本益博さん(Part 1)

1948年、東京・浅草生まれ。早稲田大学第二文学部を卒業後、レストランで食事をすることを目的に世界中を旅して料理評論家として活動するかたわら、料理人とのコラボ企画も数多く手がけています。

長年にわたるフランス料理の広報活動を評価され、フランス政府より2001年農事功労章シュヴァリエを、2014年には農事功労章オフィシエを受賞しています。

JK:山本さんの顔をみると美味しそうに見える(*^^*)

人生を変えた一皿のフォアグラ~山本益博さんの画像はこちら >>

出水:お二人の出会いは?

JK:リヨンのポール・ボキュースが東京にできて、2つ星取った時に表彰しましたよね。

山本:僕の記憶で一番印象深かったのは、銀座の日本料理屋さん。それでコシノさんとフランス料理の話になって、同じタイミングでフランスに行くってことになって・・・その時の印象が強いです。

JK:お互い印象が違うわね(笑)エル・ブジにもよく行ってらしたでしょ。

山本:2000年代になってから7回ぐらい行ったかな(^^)

JK:みんな1回でもいいから行きたいって言うのに、7回も!

山本:遠いんですよね、バルセロナまで行ってそこから電車でロゼスというところへ。街から丘を越えて、なんにもないところにちっちゃな港があって。そこにマルケット・シェリングさんが持っていた「El Bulli」=「小っちゃいブルドッグ」というお店を、音楽プロデューサーのジュリ・ソレールが買って、「今まで音楽で人を楽しませてきたけれど、今度は料理で喜ばせよう」と。さあ、どんな料理を作ろうかという時にやってきたのが、17歳のフェラン・アドリアさん。

JK:17歳! そういうこと!

山本:こいつはすごく記憶力もいいし、再現能力もいい、というので、休みの日にはフランスのあちこちの3つ星に連れて行って「それを再現しろ」と。それで2年ぐらいでシェフにしちゃった。最後の仕上げとして「ネグレスコ・ホテルっていう有名なホテルで勉強してこい」と。

それで講習の最後に、ホテルのシェフに大事なことを言われた。「人のまねはするな」。まねするのがすごく上手だったのに、まねをしちゃいけない、って。そこから彼の天才が出てきた。

JK:まねを超えて、自分を発見するんですよね。もう天才すぎ。

山本:でもそれまでのコピー能力が存分に発揮されたからこそ。いきなりオリジナルはできない。

JK:食べ物じゃなくて、紙を食べろって言われても食べられないものね。でも、紙に見えても食べられるってことでしょ。

山本:この100年ぐらいの料理界を見て、誰か1人料理人を挙げろって言われたら、フェラン・アドリアと言われるでしょうね。ボキューズでもロブションでもなく。

そのぐらい世界に革命を起こした。いまそのチルドレンが世界中に世界中に散らばっている。つまり20世紀はフランス料理の天下だったわけですよ。それが今は「●●の国」っていうジャンルがなくなっているのが現状かな。個人のキャラクターセンス。

JK:でも、聞いてもわからないような遠いところによく行くわね!

山本:きっかけは25歳の時に初めて行ったんですが、浅草生まれだからフランス料理なんて縁はないですよ。早稲田の夜学に通ってたときに、昼間渋谷でアルバイトしてたの。ガソリンスタンドで。みんな店員さんはてんやものとか食べに行くんだけど、僕はお金が足りないし、電気釜があったから自炊して、アジの塩焼きだとかハンバーグだとか買ってきて。そしたら「俺もそっちがいい」って所長もみんな言いだして(笑)私がお昼を早めにあがって・・・

JK:賄いを作るようになっちゃったの?

山本:そう。それでお肉屋さんとか魚屋さんと仲良くなった。ハンバーグも、お醤油をぱっとかけるぐらいじゃつまんないんで、道玄坂の本屋さんにあったソースの本を見て、ソース・エスパニョールっていうハヤシライスのソースみたいなのを作って持って行ったら、みんなびっくりした。

それで本の著書を見たら「辻静雄」って。それがきっかけ。

JK:まぁ、辻さん! そうですか!

山本:毎週水曜日は神田の古本屋に通ってたんだけど、たまたま三省堂の新刊に「パリの料亭(れすとらん)」っていうのがあって、それを手に取ったらがぜんフランスに行きたくなっちゃった。前書きに「その日の夕方、私はラ・セーヌの隅に席を取ってもらい、今食べたばかりのウナギのポワレとシャブリが合うのに感心しつつ、これから出てくる鴨のオレンジ煮を心待ちにしながら、サンルイのグラスにボージョレーを注いでちびりちびり・・・」これを自分で経験したいなって突然思っちゃったんです。それを実現したいなと思って、一生懸命アルバイトしてお金を貯めて。

人生を変えた一皿のフォアグラ~山本益博さん

JK:まだ10代でしょう?? でも美味しい食べ方を自分で研究して・・・

山本:僕のモットーは「美味しいものを食べるより、ものを美味しく食べたい」。でもフランス料理は全然わかんない。本番に行って最高のものを知らないと。今から50年前はフォアグラっていうと、缶詰に入ってたり壺に入ってたから、脂が酸化しちゃって美味しくない。これが世界の三大珍味? 本当?って。だから本物のフォアグラが食べたいなって。だからパリに行った最初の夜は絶対フォアグラを食べる!と決めてた。

JK:フォアグラのテリーヌ?

山本:いまはソテーだとかあるけど、昔はテリーヌ。でも予約のシステムも全然知らないし、クレジットカードも持ってないし、どこへ行こうと思ったら、サンジェルマン・デプレのBrasserie Lippっていうストラスブールの料理を出すところがあって、そこでフォアグラを1人で食べました。すぐに答えがでました! 鴨の脂の香なんだ、これがフォアグラの命なんだなあ!って。

JK:フォアグラのテリーヌと赤ワイン、合いますよね。

山本:それが1973年、から49年前。だから来年50年目、できれば同じころに同じ店に行って、最初に食べた料理を食べようかなって(^^)

出水:当時は年間どのようなペースで食べ歩きしてたんですか?

山本:いや、お金が全然ないから(^^)

JK:全部高級料理だから、大変じゃないですか?

山本:一番初めに行った1973年から計画を立てて、10年間でフランス各地を回ろうと。アルザスだ、ブルターニュだ、ブルゴーニュだって。とにかくお金がないから一生懸命アルバイトして1年のうち10日間だけ行ったんですけど、3つ星の高級レストランに行くのに、宿は人型が残ってるようなところ(笑)

出水:全部、食に投資ですね(^^)

山本:どこだか忘れたけど、田舎にすごいレストランがあって、サービスの人が外に見送りまで出てくれたのに、目の前の安宿に入るわけにいかなくて(笑)ぐるっと回って、いなくなるのを待ったなんてこともありました(^^)

JK:ヨーロッパにはミシュランの伝統があるからね。

山本:TBSのTV番組で、ミシュランの編集長に会わせてもらいました。40年ぐらい前かな、フランスを17地区に分けて17人の調査員が1年間食べ回る。次の都市は違う地区に行くから、元のところに戻るのに17年かかるので、顔は覚えられていないって。滞在時間も20分! 食事が終わった後にミシュランの名刺を出して、「お手洗いと厨房を拝見します」って言うんです。

清潔じゃなければ美味しい料理は生まれないっていうモットーをミシュランがもっているらしくて。

JK:従業員の態度とか、トータルですよね。2つ星と3つ星って大違いじゃないですか? Maxim’sなんか星がなくなっちゃったでしょ。残酷ですよね。

山本:ミシュランってとても保守的で、3つ星にするのも慎重だし、落とすのも慎重。「Maxim’sの味はこんなになってるのに、まだ3つ星?」っていう意見がくるんですよ。そしたらMaxim’sのオーナーが「落とすなら星を消してくれ」って。

JK:ああ、そうだったんですか。プライドがあるのね。

山本:3つ星も40年ぐらい前は10軒ぐらいしかなかったけど、今は30軒ぐらいあって。ちょっと増えすぎ。パリはとても厳しかった。

パリで3つ星を取るのはすごく難しい。今日本人の小林圭さんが3つ星取りましたけど、昔だったら考えられないですよね。よくぞ取ってくれた! 快挙!

JK:逆に、星はないけど可能性はある、っていうカンもありますよね。なんでミシュラン来ないんだろうって。

山本:ありますね。3つ星取ったところで、ゼロから食べていたところが1軒だけあったんです。絶対星を取るなって思っていたら、10年かかって3つ星になった。でも、3つ星の後を追いかけるよりも、2つ星を食べて「ここがどうなるか」っていうほうが楽しい。お皿に勢いがある。

JK:それよく言いますよね、3つ星は安定しちゃうけど、2つ星は研究しますよね。

山本:2つ星と3つ星の違いは、お皿を見ただけで誰の料理かわかるくらいの個性がある。それをどうやって作り出すか、とみんな腐心してる。やっぱりフランスはミシュランを持って食べ歩くのが一番面白いかな。

==OA曲==

M. 献呈 (シューマン=リスト) / 山本絵理

編集部おすすめ