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4月27日(金)放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では3月31日から劇場公開されているこの作品、『エスター ファースト・キル』。

衝撃の展開で話題を集めた2009年のホラー『エスター』の前日譚を描いたシリーズ第2弾。アメリカの裕福な一家、オルブライト家のもとに、行方不明になっていた娘エスターが4年ぶりに帰ってくる。10歳に成長したエスターとの再会を喜ぶ家族だったが、彼女は何かが変わってしまった……前作に引き続きイザベル・ファーマンが、13年ぶりに主人公エスターを演じました。監督は、ジャウム・コレット=セラから、『ザ・ボーイ』シリーズなどのウィリアム・ブレント・ベルにバトンタッチ。

ということで、この『エスター ファースト・キル』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少なめ」。あら、まあ。『エスター』の続編だというのにね。驚きの続編ですけどもね。

賛否の比率は、褒める意見がおよそ「7割」。まあたぶん、来ている人はみんな『エスター』ファン、っていうのもあるでしょうけどね。

主な褒める意見は、「あまり期待せずに行ったが、まさかの展開の連続で驚いた」「前作から続投した主演のイザベル・ファーマン、ちゃんとまたエスターに見えるのがすごい」などございました。一方、否定的な意見は、「前作にあったエスターのインパクトが薄れてしまった」「悪くはないが小粒感も否めない」などがございました。

「前作とは全く逆の、「えっ、そういう話!?」」

それでは代表的なところをご紹介しましょう。ちょっと要約しつつ。まずラジオネーム「ナナシ」さんです。「『エスター ファースト・キル』観てきました。殺人鬼が出てきて人を殺していくホラーの場合、被害者側(つまり主人公たち)を応援したくなるタイプの映画と、殺人鬼側を応援したくなるタイプの映画があると思うのですが、前作の『エスター』が比較的前者寄りの作品であったのに対して、今作は完全に後者の映画にシフトしていると思いました。

前作の『エスター』は、「えっ、そういうコトだったの!?」という種明かしの部分に物語上のインパクトの大部分が詰まっている映画で、その種明かしが全て完了している状態で続編を作るというのがそもそも非常に難しいことだったと思うのですが、作品の方向性をシフトチェンジすることで、前作とは全く逆の「えっ、そういう話!?」という驚きを生み出すことに成功していると思います。

冒頭の精神病棟のシークエンスもエスターの「正体」が観客側には分かっているからこその、「いよっ! 待ってました!」的な楽しさがありましたし、その他にも前作を知っていればなるほどと気づく小ネタが散りばめられていて、期待以上に楽しい続編でした。余談ですが、本作を観てから改めて前作を観直すと、前作でエスターが犯した失敗は全て”ファースト・キル”でもやらかしていた失敗であることに気づきます。

彼女は一見すると狡猾で知的な殺人鬼のような顔してますが、行き当たりばったりで人を殺すし、寄生した家の家長にすぐ惚れちゃって、そのせいで脇が甘くなるし、要するに全く同じようなミスで足元をすくわれているわけで、こいつ全く反省していない……!

しかし、「自由になりたい」という願いが叶わないことへの鬱屈が彼女のキャラクターとしての核でもあって、そういう点ではハンニバル・レクター博士のような完璧な知性を備えたサイコパスとはまるで違う、殺人鬼としての悲哀や、ある種の愛嬌も上手く補完された作品だったのではないでしょうか。

評価は「強めの褒め」です」というナナシさんでございます。

あとですね、これちょっと読む時間ないんで、あれですけども。「ハロウィンのいけにえ」さんとかは、途中のですね、非常にヒッチコックのオマージュというかね、ヒッチコックイズムがすごく多く込められているんじゃないか、というご指摘でございます。私もそれを感じた場面、ありましたね。

一方、ダメだった方もご紹介しましょう。ラジオネーム「ゐーくら」さんです。「『エスター ファースト・キル』どちらかというと否の意見です。確かに中盤の展開には驚かされました。しかし、結局アイデア一発勝負感は否めないと思います。むしろネタが割れた中盤以降、ほとんどコントとして笑えてさえくるので、その方向の面白さのものをもっと見たかったです」という。ちょっとネタバレを避けながらなので、伏せますけども。

「さらに前作の白いバラのような精神的きつさを感じる場面も少なく、たとえばネズミごとミキサーにかけていたり……」。

ああ、ちょっとネタバレを伏せないといけないのがあれだな(笑)。まあ、とにかくいろいろそういう展開があってもいいんじゃないかということで。「……何よりも言いたいのは、これは絶対ファースト・キルじゃないでしょう? 冒頭の警備員殺しから手慣れていますし、もはや『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズを想起させるほどの腕っぷしでした。

他にも、フェンシングや、エスターをバカにする若者たち、前作のフリにしかなっていないブラックライトの使い方など、もったいないなと感じる部分が多かったです」というゐーくらさんでございます。まあ、このご意見も非常に納得できる部分はあるかな、と思いますが。

前作『エスター』から13年後。まさかのイザベル・ファーマンがエスター役で続投

さあ、ということで皆さん、ありがとうございます。私も『エスター ファースト・キル』、TOHOシネマズ日比谷と渋谷シネクイントで2回、観てまいりました。ちょっと回数が少なくてね、観づらい感じもありましたけど。2009年、ジャウム・コレット=セラ監督の出世作……あと、(主演だった)ヴェラ・ファーミガも、これが一応出世作って感じですかね、2009年の『エスター』。私も、ムービーガチャには当たらなかったんだけど、普通に観に行って、普通に「超面白え!」ってね、大ファンでございましたが。

その実に13年後、しかも、まさかのイザベル・ファーマンが引き続きエスター役を演じての続編!ということです。

なにがそんなに「まさかの」なのかというと、それはもちろん『エスター』というこの作品が隠し持つ、とある大きな仕掛け、というのがありまして。それは、2009年なら2009年のその時にしかその人には演じることができない……と、通常は思われるようなものだったから、ということなんですけども。で、今回の『エスター ファースト・キル』は、その不可能にも思える13年後の同一キャスティングによる続編を、ひとまず成り立たせた、ということに、まずは最大のバリューがある作品と言えるので。

要は1作目の『エスター』、今となってはホラーの傑作として知られている前作は、観ている前提。最低限、どんな作品なのかは観客のほぼ全員が知っている前提になっている2作目、なんですね。なので、本日ここから先、2009年の前作『エスター』のネタバレは、どうしても避けえませんので。1作目は未見だけど、今回の続編『ファースト・キル』も含めて、これからまっさらな状態で楽しみたい、というような人がもしいるならば……まあ(そんなにモチベーションがあるくらいならそもそも)『エスター』ぐらい観てろ!っていう気もするけども(笑)。

もしくは、その『エスター』をこの時点で観てないんだったら、『ファースト・キル』も興味ないんじゃないか、という気もするけども。「いや、観てないけれども。今から二つとも観る気なんだ!」という方はですね、18時55分過ぎに、もう1回……それまではなんか別のことをしていただく、というのをおすすめしたいかなと思います。

【ネタバレ警告】前作『エスター』&『ファースト・キル』を真っさらな気持ちで見たい人は引き返して下さい!

[ネタバレセーフティゾーン]

……はい。ということで警告しましたよ? ここから先は、「2009年1作目の『エスター』のネタバレはアリ」ゾーン、ということになります。アレックス・メイスさんという方……今回も原案と製作に入ってますけど、アレックス・メイスさんという方の原案です。

ジャンルとしては、1956年の『悪い種子』という作品に代表される「邪悪な子供ホラー」っていうかね、そういうジャンルになります。邪悪な子供ホラー。あとは、「誰も信じてくれない! っていうか、おかしいのは私?」的な、ニューロティックスリラー、神経症的スリラー、みたいなのがありますね。まあジャウム・コレット=セラさん、これを非常に得意としてて。この後リーアム・ニーソン主演でね、こういうのをね、2作、『フライト・ゲーム』と『アンノウン』というのを作ったりしますけども。

なんだけども、この『エスター』1作目に関して、誰もが……「まあこれ、ジャンル映画だから、まあまあ、だいたいこれぐらいの感じだろうな」とみんな思って観に行ったんだけど、誰もが度肝を抜かれた、ある程度タカをくくって行った人がみんな度肝を抜かれたのは、その劇中ですね、終盤で明かされる、エスターの正体ですね。

もう1回、言いますよ? ここから、ネタバレしますよ。言いますよ? 言いますよ? 言っちゃうよ?(笑) 実はエスター、(劇中の誰もが)9歳だって思ってたし、観客も9歳だなって思って見ていたその子が、実は、30歳を超えた大人だ!っていうことが判明するわけです。まあ、むちゃくちゃな設定なんですけどね。なんだけど、そのむちゃくちゃな設定を、当時、撮影中に10歳から11歳になったというイザベル・ファーマンんさんの圧倒的な演技力と、あとはたとえばその、いろんな、様々な映画的工夫ですね。

たとえば、今回のパンフにも載ってるんだけど。正体がバレた終わりの方ではですね、目の虹彩を小さく見せるコンタクトをしている……大人の方が白目が目立つ、っていうことらしくて。

ちなみに今回の2作目は逆に、虹彩が大きく見えるコンタクトをしてるそうです。というような工夫をして、見た目は9歳、中身は三十路!というのを、本当に完璧に「体現」していたわけですね。すごいですよ、本当に。

あと、彼女のその、中身は三十路……三十路っていうか、中身はエグめの大人の女性、っていう内面が可視化される、ある視覚的な仕掛け。今回はそれのルーツみたいなのが一応、出されますけど。あそこがすごいですね。彼女は本当はこういうことを考えてた!っていうのが、セリフではなくて、「絵」で見せられるんですね。「ええーっ? なにこの絵!?」っていう(笑)。というね、本当に面白かった。

個人的には、楳図かずおの大傑作、1974年から76年にかけて連載された、『洗礼』という作品と本当に重なるものを感じました。特に、大人の男性を、少なくとも見た目は少女に見える人が性的に誘惑しようとするくだりの、もうなんていうか……「なんちゅうもんを描くんだよ?」っていう感じとかね。でもとにかく本当に驚いたし、傑作と言っていいと思いますね。2009年の『エスター』。

『エスター』だからこそ、この作り方はアリ

一方ですね、もはや言うまでもなく、ということでしょうが。たとえ続編を作るにしてもですね、現実のイザベル・ファーマンさんはどんどん成長を……もう13年、経ってますからね。どんどんどんどん成長してしまっているので、もうエスター役をやるのは無理、と考えるのが普通。

なんだけども、ちょっとここは皆さん、想像してほしいんですけど。じゃあっていうことで、新たにですね、スーパー芸達者な子役を見つけてきて、エスターの前日譚とかをやる、って……なんか想像するだに、企画として、全然面白そうじゃないんだけど?(笑)。全く面白そうじゃない。全然観る気しねえ、みたいな感じになっちゃうと思うんですよね。

むしろ、「本当は大人」というそのキャラクターの特性上、しかもその正体がですね、ホラー好きな観客には少なくとも既に広く知られている、という前提上、今度は「大人が子供を演じる」……つまり、「子供が大人を演じた」1作目と裏表の構造で、大人が子供を演じる。だってこれ、現実なんだから。「本当のエスター」がそうなんだから。大人が子供を演じる、という裏表の構造で勝負するというのは、実は『エスター』にのみ可能な続編の作り方、と言えるわけですよね(※宇多丸補足:加えて、前作公開後アメリカで実際に『エスター』を思わせるような事件が起こったことも、企画の後押しになったようです)。

『エスター』だからこそ、この作り方はアリ、なんですよね。たとえ前日譚……今回、前日譚にも関わらず、明らかに前作と比べればそれはもちろん、イザベル・ファーマンさん、そりゃ前作と比べれば、ちょっと大人に見えますよ。でもそれも、やっぱりこの構造上、エスターの「子供演技」がまだ未完成っていうか、未熟なんだ、っていう解釈の仕方もできるっていうか。そういうことですよね。より自分の本性に近い状態のまま出ている、っていう言い方ができるわけですよ。なのでこれ、『エスター』にのみ可能な続編の作り方なわけです。

加えてですね、これはもちろんイザベル・ファーマンさんがね、(エスター役を)演技できる状態じゃなきゃしょうがないんですけど、イザベルさん自身がですね、当然既に成人してますが、再度エスター役に挑むモチベーションがめちゃくちゃあった、っていう。「私にやらせてください!」っていうことだったみたいですし。何より、まだまだ子供の頃の面影を、少なくとも顔立ちには色濃く残っていらっしゃった、ということもある。ということで、作り手はそこに賭けたわけですね。

ほとんど全カットに凝らされた「小さく」見せるための工夫

で、ここで面白いのはですね、今回監督に抜擢されたウィリアム・ブレント・ベルさんという方。これまでもですね、たとえばモキュメンタリー風のですね、『デビル・インサイド』という映画とかね、あとは『ウェア WER』という作品であるとか。あと、家族の中に子供的な異物が入ってくる、という意味ではまあ本当に今回の『エスター』とも通じる、『ザ・ボーイ』2作……ブラームスっていう人形が出てくる、ブラームス2部作とか。あと、『邪悪は宿る』っていう今、Netflixで観られるやつとか、みたいなのがあったりするんですが、そのウィリアム・ブレント・ベルさん。

今回の撮影時には23歳だったそのイザベル・ファーマンさんを……いろんなやり方があると思うんですよ、その子供として描く、っていうのは。なんだけど、デジタル的処理ではなくて、あくまで本当に、徹底して古典的な、アナログな映像テクニック、映像トリックを駆使して、ごくごく自然に「小さく」見せている。ここが面白いですよね。たとえば、もちろん引きの画では、子役のボディダブルを使う。で、他の出演者には、厚底ブーツを履かせたりする。あとはカメラアングルをうまく利用したり……他の出演者の目線とかね。あとはその、強制遠近法っていうあれで、横に並んでる(ように見える)けども大きさが違う、という感じで見せたりとか。そういういろんな映像テクニックを駆使して。

あとはその、キャスター付きの椅子に座って歩いたりとか。いろんな、言われてみればもうなんてことはないアナログな仕掛けの数々を、でも本当にほとんど全てのショット、シーンに凝らして。そのひとつひとつの工夫……「ああ、ここはこうやってやってるんだ」とか。「ああ、ここはこうやって見せてるんだ」みたいなものを読み取るだけでも、結構、楽しいです。2周目はぜひ、これをおすすめしたい。ほとんど全カット、そういう工夫が凝らされていて。これはなかなか手間がかかってますよ。

またですね、これはフロントロウというところのイザベル・ファーマンさんのインタビューに書いてあったんですけども、その子供に見せるためのメイクっていうことで言うと、イザベル・ファーマンさんはこんなことを言っている。「私自身の骨格が少し変化していたため……」。やっぱり顎が、ちょっと鋭くなっちゃってますからね。

「私自身の骨格が少し変化していたため、顔まわりを丸くするためにフェイスピースなどを検討してみたんですが、最終的には『太ろう』ということになりました(笑)。メイクアップアーティストのダグ・モローが目の下のクマやしわを見事に消し去ってくれましたが、それ以外はマスカラもしていないし、メイクは最小限に抑えました。子供を演じるためにメイクを色々やったと誤解されることが多いですが、逆にメイクをすればするほど子供が持つピュアなルックから遠ざかってしまうので、やりすぎないバランスを見つけることが大事でした」なんていうことをおっしゃっている。

だからやっぱりそこは、本当に素のイザベルさんで勝負!っていうことだったわけですよね。これ、面白いですよね。

今回の続編ではエスターに感情移入していく作りになっている

あとですね。もういっこ面白いインタビューを引用したいんですけど。これ、ホラー通信っていうところのインタビューだと、1作目の時の監督のジャウム・コレット=セラが、役作りの参考としてこの映画を観ておいて」っつって、『イヴの総て』と『何がジェーンに起ったか?』と『サンセット大通り』、これを観せていたそうなんですね、イザベル・ファーマンさんに。

それで今回、それらをもう一回観直してみたら、イザベル・ファーマンさんはこんなことを言っている。「当時、参考にした映画の人物像が描かれているのは(前作ではなく)本作だということに気づいた」っていう風におっしゃっていて。これも非常に面白い発言です。事実ですね、いま挙がったその映画たちに、やはり強い影響を受けていることは間違いない、さっき言った楳図かずおの『洗礼』という作品。これはですね、中身は実は成人の邪悪な少女の、その少女側の視点で話が進むんです。だから「バレてないか?」ってヒヤヒヤしたりするわけですよ。

あるいは「この私で受け入れてもらえるのかしら?」みたいなことでヒヤヒヤしたりするわけです。で、今回の続編『ファースト・キル』も、まさにエスター側の視点がメインになっているところに、最大のシフトチェンジがあるという。まあ先ほどメールにあった通りだし。だから、より『洗礼』になっている(笑)という言い方ができると思うんですけども。だから、楳図かずお『洗礼』ファンは必見!でございますけどね。私、大好きなんだけど。

たとえば冒頭。前作でも言及があった、エストニアの精神医療施設というシーンがあるわけですね……今回、全体にですね、画面にちょっと斜がかかったような、ちょっとソフトな感じというか、70年代ホラーとかオカルト映画にあったような画面作り、みたいなのがすごく印象的で。これ、撮影監督のカリム・ハッセンさんの持ち味、出したものかわかりませんけど。なんかちょっと前作とは違って……前作はやっぱりジャウム・コレット=セラ、すごい結構キレッキレの、ものすごく変わったアングルを使ったりしますけども、今回は全体がふわっと、斜がかかったような画面で。これが非常に印象的ですけども。

まあ、そんなので描かれる、ちょっと70年代調で描かれるエストニアの精神医療施設シーン。たしかに、モロにレクター博士的な能力を発揮したりはする。で、そこはまあ、待ってました!的なファンサービスでもある、みたいな感じではあるんですけども。要は、エスターが邪悪で強い、ってことはみんな、知ってますから。

なんだけど、ただ同時にここ、施設を脱出するくだり。あの廊下を進んでいくところで、エスター視点の長回しになるんですね。で、となるとこれ、どうなるか?っていうとですね、なんか窓越しに他の患者がドーン!って出てきたりとか、通り過ぎる人をやり過ごしたりとか、やればやるほど、どんどん彼女に、感情移入していく作りになってるわけですよ。

今作はホラーじゃない。ピカレスクロマン、あるいはダークなトラジコメディ

でですね、行方不明だったそのエスターという別の少女になりすまして……元々は「リーナ」っていう人ですから。エスターになりすまして、アメリカの裕福な家庭に入り込んでからはさらに、その彼女が、まんまと正体を隠しおおせられるのか? あるいは思わぬボロを出してしてバレてしまうのか?っていうのが、焦点になっていくってことですね。

本作のね、リーナかつエスターかつイザベル・ファーマンというのが、要は子供役としてはこれ、(役柄上)10歳とか言ってるけど、それにしてはやっぱり、不自然なわけですね……そこが、非常に効果的なんですよね。子供だし、撮り方上、小さくもなってるし、まあ子供に見えるっちゃ見えるけど……でも、見えないっちゃ見えない、みたいな。その不自然さが、今回はすごく効果的になっているわけです。つまりその、「バレるんじゃないか?」っていう恐怖がメインだからですよね。

つまり今回は、厳密にはホラーじゃないです。はっきり言いますと。たしかに殺人とかはするんだけど、それはあくまで、自分の正体を隠すためだったりするので。どっちかっていうとピカレスクロマン的っていうか……あと、なりすまし犯罪劇。言っちゃえば『太陽がいっぱい』みたいなことですよね。なりすまし犯罪劇でもあるし、あるいは、その裕福な家庭の方にこそ、実はむしろ根深くある病んだ歪み、みたいなものが浮き彫りにされるという意味で、ダークなトラジコメディ、とでもいった様相を示してくるわけですね、今回は。だから、ホラーを期待してくると、ちょっと違う感じになってくると思う。

後半のサプライズは驚きであり、鋭い社会批評にもなっている

特に後半。とある驚きの真相が明かされる。これ、本当にびっくりしますね。本当に。「ええーっ?」っていうことが明かされます。それ以降は、あまりにも歪みが重なりすぎて、もう笑うしかない、みたいな……というようなブラックユーモア感も醸されたりもする、ということですよね。これもなるほどな作りですよね。つまりその、エスター側にサプライズはもうないんですから。これ、さっきのメールにもあった通りで、エスター側にサプライズがない以上、別のところにサプライズを用意するわけですけれども。そのサプライズがなかなか「へー!」ということになったりする。

で、個人的にこの、やっぱりある真相が明かされる前後のところ、面白いなと思うのはですね、このジュリア・スタイルズさん演じるトリシアというね、要は裕福な家庭の妻でありお母さんという方。そのトリシアがですね、エスターに、「良家の子女らしく」服装などを仕込んでいくくだり。

まあ、エスターっていうのは、放っておけば黒い、ちょっとゴシックな、ゴスな感じの黒い服を着ている人なんですけども。「いや、女の子なんだからね、あなたの好きな色はピンクなの!」みたいなことを言って、どんどん仕込んでいくわけです。言ってみればこれ、さっきヒッチコックオマージュが多いなんていう方、メールでもいましたけど、まさに少女版の『めまい』みたいな感じですよね。つまりその、自分が理想とする鋳型に人を作り変えていく、っていうくだりなわけですよ。つまり、「世間が期待する“良き少女”の幻想」を、リーナ、すなわちエスターは演じるしかない。そうしないと彼女は生き残れない、という構図がここで示されるわけです。

一方、本作における明白な悪役たるその長男、マシュー・アーロン・フィンランさん演じるグンナーとか、さっき言ったお母さんのトリシアが言うように、社会にとって重要性がある彼らは、「マター(Matter)」って……「私はマター(重要性があると見なされる存在)だから」という。要するにあの「Black Lives Matter」の「Matter」ですね。「私たちは社会にとって何者かだから。重要だから」っていう……(社会の中で重要である)とされている人々と、そのまんまで生きてたら社会から弾き出されてしまうリーナ/エスター、というこの対比っていうのは、非常に鋭い社会批評を含んでいると思うんですよね。その世界の鋳型に女の子をはめていく、っていうか……はまらないヤツは要らないよ、っていう、この社会の方に歪みがある、っていう。そういう社会批評になり得たわけです。

で、これは、エスター側にさっきから言っているように感情移入させる作りにした以上はですね、なぜ彼女がその犯罪的行為に手を染めるのか? なぜモンスター的存在になってしまったのか?というその本質まで問い直すというのは、とても理にかなってるし、すごく面白い、意義深い「2」にもなりそうなんです。だから僕は、服とかをピンク色に着せ替えさせたところで、「ああなるほど、少女版の『めまい』か! これは面白いぞ!」って思い始めたわけです。

いい素材は揃ってる。ただしそれらを充分に掘り下げたとは言えず

ただですね、もちろんその方向で、面白みもキープされます。これ、一応言っておきますね。70%ぐらいの面白さはキープされてる上での苦言だと思ってください!(笑) 面白いですよ、ちゃんと! 面白いんだけど……ただ残念ながら、そのように非常にいい素材、材料は揃っていながら、実際に出来上がった本作はですね、結局それらを充分に掘り下げたとは、ちょっと言えないと思います。

先ほど言ったですね、そのとある驚きの真相も、それほど効果的に生かされきらないうちに、ほとんど事務的な性急さで、どんどんどんどん話が破滅的になって、終わりの方向に向かっちゃって。もうちょっとあの、ヒリヒリした構図のまま見たかったですけどね。

でですね、たとえばですね、さっき言った「良き少女らしさ」をリーナ、エスターは努力して……これ、僕の考えた、「より面白くなったかもしれない『エスター ファースト・キル』」の案ですね(笑)。たとえば、さっき言った「良き少女らしさ」を、エスターも努力して演じようとするけれども、世間によって結局それが、拒絶される……たとえば、良家のあのパーティーに行った時、「あの子、なんか変よね?」みたいな感じで、嘲笑されるとかして。で、すごい傷つく。彼女は絶望を深める。一方で、ロッシフ・サザーランド演じる父のアレンだけは、「君は君らしくいればいいんだよ」って言う。だからもっと「好き!」ってなるんだけど……ラスト、じゃあ本当の自分らしさを明かして、「これを受け入れて!」ってアランに言ったら、それは激しく拒絶される。ここでエスターは完全に絶望し、100%「演じる」モンスターとなっていく、っていう。で、なんならここで「ファースト・キル」!みたいな。こういう構造を強調した作りにすれば、もっともっとこれ、名作になり得た素材じゃないかな、と思うんですけどね。

さして生かされない、という意味では、グンナーのあのフェンシングのスキルもそうだし……対するあのボウガンの、取って付けたような出し方。「ええと、ここにね、ボウガンがあります! これは、ボウガンです!」みたいなね(笑)、取って付けたような(出し方をしてしまっている)。全体に、ホラー・バイオレンス描写に、ちょっともう全く新鮮味がない、新しいアイディアがない、っていうのが、これは大きなマイナスかと思います。

こんな2作目はなかなかない。1作目と合わせてぜひウォッチを!

細かいところだけど、目立つところ。1作目のラストで流れる「The Glory Of Love」という曲がある。それの7インチドーナツ盤、レコードがかけられるんですけども……(ドーナツ盤の再生に必要な)真ん中のアダプターがないよ! 7インチのアダプターがない。ダメ! こういうの、気になる! 萎える! こういうの。

はい。ということで、もっと面白くなったのに、という惜しさは非常にある作品だと思いますが。ただ、基本的なアイディアはとってもいいです。普通に別のキャストで前日譚なんかをやるよりは遥かに良かったと思いますし、大人が子供を演じる、そのいびつさというのを自然に映像化する、その奇妙な面白さ、工夫の数々、これはもう観てるだけで、めちゃくちゃ楽しいです。だから今回は、バイオレンスよりはそっちが見どころ、ってことかもしれないですよね。はい。

まあ『エスター』ファンはもう絶対、これは楽しめるはずの作品だと思いますし。あの1作目が(配信などもされていて)非常に観やすい作品でございますので、ぜひ観ていただいてですね……あと、ちなみにイザベル・ファーマンさん、3作目にも意欲を燃やしている!らしいので。まあ、面白いですよ! なかなかこんな2作目はないんでね。ぜひぜひ1作目と合わせて、ウォッチしてください!

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