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6月23日放送後記
「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023年6月16日公開)です。
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは日本では6月16日から劇場公開されているこの作品、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』。
(曲が流れる)
2018年に製作され、アニメーション界に革命を起こした『スパイダーマン:スパイダーバース』の、続編です。スパイダーマンことマイルス・モラレスは、かつての仲間グウェンに導かれ、様々な次元のスパイダーマンが集まる「スパイダー・ソサエティ」を訪れる。しかしそこで、スパイダーマンの悲しい運命を知ることになる……。
声の出演は、シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ダニエル・カルーヤ、オスカー・アイザックなど……ダニエル・カルーヤの役が最高ですよ! 監督はホアキン・ドス・サントスさん、ケンプ・パワーズさん、ジャスティン・K・トンプソンさんの3人。製作者には、フィル・ロードとクリストファー・ミラー、名コンビですね、名前を連ねております。というか、この二人の色がやっぱり、非常に強い作品でございますね。
ということで、この『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。
賛否の比率は、褒める意見がおよそ7割。主な褒める意見は、「前作を超える圧倒的な映像表現。これは映画というよりもはやアートでは?」「ドラマやテーマもいい。特にグウェンのストーリーは感動的だった」「グウェンとマイルスが街を見下ろすシーンが美しかった」。しかも、見下ろすのは、(主人公たちの心情を反映するように)「逆さ」に……逆さに見下ろしてるんですよね。
一方、否定的な意見は、「絵も話も詰め込みすぎ。その割にテンポが悪く、中盤でダレる」「絵のすごさを見せびらかされてるようで話に集中できなかった」「そもそも話が解決していない」などございました。また、同じ日に公開された『ザ・フラッシュ』とテーマが似ており、興味深い、という意見も。
「画風、色合い、タッチの異なるコンセプトアートが、淀みなく作品内に収まっている。美しいカオス」
ということでね、今日は『アクロス・ザ・スパイダーバース』。褒めてる方です。ラジオネーム「ライスキューブ」さん。「それぞれに画風、色合い、タッチの異なるコンセプトアートをアニメーションで完全再現し、それらが淀みなく一本の作品内に収まっている、美しいカオス」。この「美しいカオス」って、いいですね。
「人間が認識できる情報量の限界を二時間見続けたような体験で、一緒に見た友人と私は、しばらくお互い何も喋れず放心状態に。『俺らは今、物凄いものを観たな…?』と少しずつ目を覚ますような感覚で帰路につき、帰宅したタイミングで『なんだあれは!??』と感動を脳が受け入れ、夜は眠れなくなってしまいました。
絵作りのテクニカルな部分については色々あると思うので割愛しますが、一貫して『世界の見え方の違い』を受け入れようとするひたむきさを感じました。横軸ではそれぞれのスパイダーが持つ『こうだったかもしれない世界』からの見え方、縦軸では、『大人と子供』『前世代と次世代』に生じる世界の見え方が描かれます。
スパイダーマンではない我々一人一人もきっとそれは同じで、数ある可能性の中を生きながら、過去や未来に期待したり憤慨したり悲しんだりします。とりわけマイルスやグウェンの様な年ごろ、10代の中頃には、世界に自分が一人っきりの様に思っていた事を思い出し、グェンとマイルスがビルの上から逆さまになって街を眺めるシーンで落涙しました。人とは少し違う物の見え方をしていて孤独を感じても、『自分でバンドを組めば良い』んですよね。『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』が楽しみです」というライスキューブさんです。
一方、ダメだったという方。「バカ野郎」さん。「期待が大きい分、がっかりしました。なんと言っても長すぎるし……」。アニメーション史上、最長の140分ですね。
「……中盤が退屈過ぎます。
グウェンが実質的主役になってるのは大賛成なのですが、そのせいで前作であれだけ感情移入できたマイルスは事態に翻弄されているだけで、イライラして魅力が半減するというまさかの事態になりましたが、これも次回に丸投げ。ストーリー上の大事な部分を次回に丸投げするのはシリーズものではもはやおなじみですが、このシリーズでそれをしてほしくなかったです。売りである驚異の映像もインフレしすぎているうえに、『どうです? すごいでしょう?』とずっと言われてるようであまり集中できず。やはりストーリーあっての映像だと思いました。あまり期待せずに次作を待ちたいと思います」という方もいらっしゃいました。
本作で物語は完結はしない。でも、ご安心下さい! 最高の「三部作の二作目」になってます!!
はい。ということで『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』、私もですね、番組でもちらりと言いましたが、一足先に試写で拝見して、あと丸の内ピカデリーでドルビーシネマ字幕、そしてT・ジョイ PRINCE品川で日本語吹替版と、3回観てきました。
本作は、全編アスペクト比が2.40対1なので、別にIMAX画角とかないんで、まあドルビーシネマが僕的には一押しかもしれませんね。
ただ、最後に流れるLiSAさんの日本版テーマ曲はともかく、エンドクレジット中の、オリジナルボイスキャストの名前もですね、この吹替版の方は消しちゃっていて……つまり、クレジット情報が何も入ってない時間、画だけの時間が結構続いて、ちょっと不自然で。そこはそのままでよかったんじゃないの、とかね、ちょっと思っちゃう感じもありましたけど。まあ、吹替版もよかったです。
それはさておき、2018年、圧倒的に革新的なアニメーション表現で、観たもの全てに衝撃を与え、当然のように最上級の評価を得た……そして、その後の世界のアニメーションの潮流を大きく変えた、第一作目。もちろんこれがなかったら、『THE FIRST SLAM DUNK』もなかったかもしれない、『スパイダーマン:スパイダーバース』。今となっては、歴史的傑作!と言い切って問題なかろうというね、『スパイダーマン:スパイダーバース』の、5年ぶりの続編にして、来年3月公開予定の『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』に続いていく、という……要は三部作の、二作目。これも既に発表されてますんでね。
つまり、本作では物語は完結しないのですが……ご安心ください! これは私の見方でございますが、ご安心ください。こういう「話の途中で終わっちゃう続編」の中でも、本作は、大げさに聞こえるかもしれませんが、マジで『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』級、あるいは『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』級の、「ええっ、次、楽しみなんだけど! 待ちきれないんだけど!」なワクワク感と、作品自体への満足感に満ちた、私は最高の三部作中間の二作目に、完全になっている!という風に思います。すごくアガる!っていうかね。話は途中なんだけど、めちゃくちゃ「アガる途中」(笑)なんですよね。
革新的傑作だった1作目の、さらに思いっきり上を行く。これを「観ない」という選択肢は「ない」
で、もう先にね、私の結論を言ってしまいますが……驚くべきことに、さっき言ったように革新的傑作だった一作目の、さらに思いっきり上を行く作品になっている! 映像的にも内容的にも……一作目にヤラれた人ほど、「そんなこと、ある?」と思う、というね。「あれを超えるのは、難しくない?」って思うはずなんですが……後述しますが、冒頭数分でもうガンガンに、「はい、(前作の)上行ってやんよ! もう全然、上行ってやんよ!」っていう風にね、ガンガンかましてくる、という作品でございます。
つまり、ただでさえぶっちぎり最先端を行っていたトップランナーが、さらに10年分先に進んでみせた、みたいな感じですね。なので、これを劇場でかかっているうちに、リアルタイムで観ない、という選択肢は、映画やアニメ、大きくいって映像作品のファンであれば、全員ないはずなんですよ。「観ない」という選択肢は、ないはずなんですね。アートとしても最前衛なのと同時に、それがそのまま、無類の面白さ、エンターテイメント性にも直結している、ということですね。「面白い」んですから、なにしろね。
で、アニメーション・映像表現としての実験性・先鋭性が、そのまま面白さ、スリリングさ、エンターテイメント性に直結している……つまり、アバンギャルドであること、アート的であることって、面白い!っていう、イコールで(アート性と)面白さが繋がってる作品として、僕はこれまで度々、湯浅政明監督の2004年、これまた歴史的大傑作として世界の創り手に大きな影響を与えた、『マインド・ゲーム』の話をいつもしてきましたが。僕的には最大級の賛辞として、本作『アクロス・ザ・スパイダーバース』は、『マインド・ゲーム』の達成を、20年弱を経てついに先に進めてみせた一作、という風な言い方もできるかと思っております。
まあアニメーション表現の、いわば「不定形性の可能性」を追求した、というかね。つまりその、絶えずかたちやスタイル、タッチを変えていくことが、(アニメーションというのは)本当はできる表現なんですね。普通のアニメーションってね、ずっと同じ絵柄が続くということがお約束というか、一応形式上、そういうことが主流になってますけど、本当はガンガン変えることができるんですよね……という意味での可能性、不定形性の可能性を追求したこの両者がですね。物語的にも、「無数に広がる可能性と、その中でただひとつ選ばれたこの自分の人生、生の固有性」ということで共通している、っていう。これは興味深いな、という風に思います。『アクロス・ザ・スパイダーバース』、すごいなと思った方は『マインド・ゲーム』もちょっとね、合わせて観ていただくと、もう一回、驚けるかもしれない。2004年に日本でこれをやっていた!みたいな。
とにかくこれはですね、一作目の『スパイダーバース』もそうでしたが、「これまでにない斬新な映像表現」をしている作品ゆえにですね、観てない人には、いくら口で説明してもうまく伝わらないんですよね(笑)。誰も見たことない感じの映像なので……実際に見てもらうのがもう、どう考えても一番早いんで。今すぐチケットを取って、いいから劇場に行け! 以上!ということなんですけども。
製作・脚本はフィル・ロードとクリストファー・ミラー。このふたりが作品を引っ張っている(はず)
一応ね、解説的なことを加えておくならば、本シリーズの製作と脚本、僕の番組ではずっと名前を出し続けてます、もうずっと、最高級の評価を私はね、させていただいてます、フィル・ロードとクリストファー・ミラーさんのコンビ。もう知らない人、いたら、この名前を知らないっていうのは大問題なんで。フィル・ロードとクリストファー・ミラーさんのコンビ。
たとえば私のこの映画時評コーナー、まだ「シネマハスラー」時代の、それも初期ですね、2009年10月3日に取り上げました、『くもりときどきミートボール』とかですね。2014年の『LEGO® ムービー』……ちなみに今回の『アクロス・ザ・スパイダーバース』の「レゴ」パート、ありますよね? あれは、14歳の少年がネットに上げていた動画から、フィル・ロードとクリストファー・ミラーコンビがフックアップして作らせた、というね。すごいシンデレラストーリーですね。『LEGO® ムービー』、あれも傑作でした。
あと実写でも、『21ジャンプストリート』、そして『22ジャンプストリート』……とにかくどれも最高に攻めていて面白い、傑作群を送り出してきたコンビ。プロデュース作で言っても、たとえばこの番組でも前に紹介しましたアニメ作品、『ミッチェル家とマシンの反乱』。2021年、Netflixで観れる作品とか。やっぱり最高の作品をいつも届けてくれる二人なわけですね。で、だから、2018年の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』をね、この二人が最後まで作っていたらどうなっていたかな?というのは、夢想せずにはいられないあたりなんですが。
で、この『スパイダーバース』シリーズ。もちろんこれね、多くの人の才能が結集してできてるものだし、作品の性質上、誰かの作家性みたいなところに集約して語るのが、本当はね、あんまり適切じゃない。普通の映画だって、もちろん総合知というか、集合的なものだから、あまりよくないところもあるんだけど、いつもの普通の映画以上に、集合知でできてる作品なので。誰かの作家性みたいな語り方は、あんまり適切じゃない作品ではあるんだけども……。
それでも、一作目のメイキングアートブックとか、今回のプロダクションノートとかをいろいろ読む限りは、やはりですね、フィル・ロードとクリストファー・ミラーの、新しいアニメーション表現、新しい映像表現をここで切り開くんだ!という意志と、そのために桁外れの労力をかけ、ブラッシュアップに次ぐブラッシュアップ、これを重ねていく、そのビジョンの強さっていうのがですね、全体を引っ張っている。各アニメーターたちの元々持ってたポテンシャルを引き上げて、ネクストレベルに持ってくという、それをさせる原動力になっているのは、間違いない。この二人がとにかくやっぱり、新しいことをしよう!という強い意志でやってるっていうのは、間違いないと思います。そのあたりはね、来週木曜日に、『スパイダーバース』と『アクロス・ザ・スパイダーバース』にアーティストとして関わってらっしゃる、若杉遼さんにお話を伺ってみたいなとも思っておりますが。
あと、「お父さんとのギクシャクした関係性をどうするか」という話がなぜか多い、というのもですね、フィル・ロードとクリストファー・ミラーコンビ作の、一貫した特色で。だいたい、そんな話ですよね(笑)。『スパイダーバース』シリーズも、ご多分に漏れずまさにそんな話になってるわけですね。
■冒頭。前作のあらすじ紹介から「はい、前のを超えますからね」
ということで監督は、ピクサーで、あれも傑作でしたけどね、『ソウルフル・ワールド』を手がけたケンプ・パワーズさんと、前作ではプロダクションデザイナーだったジャスティン・K・トンプソンさん、そしてNetflix『ヴォルトロン』……これ、あれですね、『百獣王ゴライオン』がベースになってるやつ。などを手がけてきたホアキン・ドス・サントスさん。この三人が監督を務めた、今回の『アクロス・ザ・スパイダーバース』ですけど。
一作目の『スパイダーバース』が、ものすごくざっくりした言い方で済ますならば、「様々なタッチ、スタイルの異なるコミック表現を、多層なレイヤーで重ね合わせて、“そのまま”アニメーションとして、ポップかつダイナミックに動かしてみせた」という。言ってみれば、コミックの映像化というものにひとつの決定的な回答を示してみせた作品だった、というのに対してですね、今回の『アクロス・ザ・スパイダーバース』はですね、ド頭からその方法論をさらに大幅に拡張、進化させますよ、前と同じと思ったら大間違いですよ、というのをですね、まさにその前作のあらすじの説明を、全く異なる方法論で見せて……しかも、それでわかった気になっちゃダメですよ、っていう感じで、冒頭から、「はい、前のを超えますからね。ほら、超えてるでしょう? ほら、超えてるでしょう?」って、ガンガンかましてくるわけですよね。
一作目で登場したスパイダーグウェンこと、グウェン・ステイシーの世界から始まるわけですけども……ちなみにここ、音楽演出としても本当に最高ですね。もう、これは観て、体感していただくしかないですけども。音楽というのを映像で表現するという、もうそういう意味でも最高なんだけど。でね、ここね、全てがにじんだ、水彩画のようなタッチ。それが、物語や彼女の心情の変化に応じて、文字通り刻一刻と、かたち・色を変えていくという、そういうあれになっているわけです。
これも、口で言ってもなかなかわかんないだろうな(笑)。たとえば、本当の自分の姿というのを……劇中の中で言えば、「私は本当はスパイダーグウェンなんだ」ということを警察官である父親に見せたものの、拒絶される、という非常に痛ましいくだりがあるんですけども。両者の世界がですね、まるで本当に、涙で、感情で、絵の具が溶け出していくように、ドロドロと崩れて流れ始めていく、というような。そういう感じになっている。
加えてこの、グウェンのパート。彼女のそのスパイダースーツをはじめ、部屋の中とか、基調となっている色が、パステルピンクとパステルブルーと白。これは、トランスジェンダーのプライドフラッグ、プライド旗をなす、その3色のカラーなんですね。で、彼女の部屋には「Protect Trans Kids(トランスの子供たちを守れ)」っていうようなポスターが貼られていたりして。つまり、もちろん彼女自身がトランスであるかどうかという直接的な言及は作中ではないけれども、少なくともここには、性的マイノリティが、たとえば肉親にもカミングアウトできない、しても拒絶されるのではないか?っていう、そういう苦悩が、明らかに重ね合わせられてもいるわけです、このグウェンの話には。というね……そこも深みを増している。
表現が「アート」の領域に踏み込んでいることを示すアクションシーン
で、アクションシーンの舞台がですね、そこからグッゲンハイム美術館になっていって。これも面白いんですね。つまり、本シリーズの表現というのが、「アート」の領域に既に大きく踏み込んでるよ、っていうのを、強く意識させる舞台立てなわけですね。で、そこに登場するヴィラン、ヴァルチャーというのがですね、これはルネッサンス期から迷い込んできたということで、まるでダ・ヴィンチのそのスケッチのように、羊皮紙に鉛筆で書かれたようなタッチになってるわけです。周りはポップアートなのに、そこだけルネッサンス期のスケッチみたいになってるわけです。
もう、それだけでも超面白いのに、そこにさらに、異なる次元、異なるタッチのスパイダーマンが、二人もやってくると。たとえば、スパイダーウーマンの乗っているこの赤いバイク……そのアクションはどうしたって、『AKIRA』を連想させますよね? ということです。で、前述したように、父にカミングアウトしたのに受け入れられず、「もう、ここにはいられない」という風になって……非常に切実ですよね。「もう、いられない」ということで、マルチバースの中へ飛び込んでいくグウェン。多様性が許された世界の中に飛び込んでいくグウェン、という。
で、ここでようやくタイトルですね。もうちょっと僕、夢中になっていて。普段だったらね、ここで何分みたいな感じで、時計を見たりして確認するんですけども、時計を確認するのも忘れちゃっていて、何分かわからない(笑)。15分? 20分ぐらい? わかんないけど、タイトル……ここまではアバンタイトルなわけですね。で、ここまでで既にですね、もう前作から、さらに大きく表現の幅を広げ、深みを増している二作目であることを、もうつるべ打ちのように思い知らせるフレッシュな表現が、詰まりまくっているんですね。もう表現の密度が、ヤバいことになっているんですね。
■無数のタッチ、スタイル、アクションを持つスパイダーマンたち。一回ではとても消化不可能!
で、その先もどんどん新しいキャラクターが出てくるんですけど、出てくるたびに、「ああ、そいつはそうやって表現するんだ!」っていうね、びっくりさせられるやら、ワクワクさせられるやらの、連続なわけですね。たとえば、どうやら本二部作を通じて最大のキーとなるっぽいヴィランの、スポットというのがいるわけですけれども。スポットは完全に、実験アニメーションの歴史をもう全体に、一身に体現したような、むき出しの不安定性、みたいなね……あのスタン・ブラッケージとか、なんでもいいですけども、そういう実験アニメーションの歴史全体が入ったような、そういう表現になってるし。
なにより、あとはスパイダーパンクこと、ホービーですね。これ、登場シーンの痛快さ。これもぜひ味わっていただきたいので、どういう描かれ方をするのか、ちょっとここでは言いませんが。絵のタッチとしてももう、「そうきたか! パンク……なるほど!」っていう感じの描かれ方ですし。まあキャラクターとしても一番美味しい……ファン、めちゃくちゃ増えるんじゃないですかね、っていうキャラクターだったりして。
もちろん後半、スパイダーソサエティというスパイダーマンがいっぱいいるところに行ってからは、もう誇張ではなく無数の、異なるタッチ、スタイル、そして、それぞれに異なるアクション……たとえばスイングするにしても全然違うポーズとか、あと戦うにしても全然違うやり方のアクションスタイルを持ったスパイダーマンたちが、本当に文字通り、画面いっぱいに登場するわけですね。はい。もちろん、一度ではとても味わいきることは不可能、というぐらい出るわけです。
また、過去の実写版とのリンクも、そこかしこに散りばめられていたりしますね。セリフ上でもあったりしますね。「アース199999のドクター・ストレンジ、最悪だった」って(笑)……あれはたぶん『ノー・ウェイ・ホーム』とかの話をしてるんだろうな、みたいなことですけれども(※宇多丸補足:まあ『マルチバース・オブ・マッドネス』でもなんでもいいですけど、とにかくMCUへの目配せということ……ちなみにドナルド・グローヴァーのキャメオ出演は『ホームカミング』でのアーロン・デイヴィス役を踏まえたものでありますね)。
あらかじめ規定された枠組み=「カノン展開」。それに「そんなものはごめんだ!」と抗う主人公マイルス
ただですね、本シリーズがやっぱり素晴らしいのは、そういうのを単にファンへの目配せ、ファンサービスとか、オタク的遊びっていうところに終わらせず……様々な作り手、様々な形式によって拡大、拡散してきた、アメコミヒーローというジャンルそのものの構造というのを、設定としてまず示しているわけですよね。
その上で、ではいろいろ拡散する……いろんなことが何でもアリなんだけど、じゃあ何がスパイダーマンならスパイダーマンという存在というのを定義しているのか? 成り立たせているのか?という問いを始める。で、それを規定する枠組みとして、たとえば、言ってみればお約束展開、「フラグ」とか言ったりしますけど……みたいなものがある、というわけですね。劇中では「カノン展開」、つまり正しい歴史的展開というなことを言ってますけども。
そしてそうした、あらかじめ決められたレール、大人たち、先人たちが用意した物語を……「そんなものはごめんだ! ここから先の自分の物語は自分で書きたいんだ!」という主人公マイルス・モラレスの若々しい意志というのが、そこを突き抜けようとしてゆく、という。つまり、いわばジャンル論を提示しながら、ジャンル論のその先に、俺たちは今までになかったものを作るんだ!という、作り手の意志そのものであるかのように……しかもそれが、極めて普遍的な苦悩を描いた青春ストーリー、つまり「自分の可能性を人に規定されたくないんだよ!」っていう、「失敗するのも含めて自分で試さないと……俺の人生だから!」っていう、その非常に普遍的な青春の苦悩を描いた、ティーンエイジャー物語というか、そんなところにもちゃんと重ね合わさる、という。だから、そこにはすごくエンターテイメントとして、ある種の見やすさがありますし。
なので、この作品ですね、全てのアクションシーンに、登場人物の心情とか立場と重なるエモーションが……必ず、ただのアクションじゃないんですよね。そのアクションには、心情的な何かとか、立場的な何かとかっていうのが、必ず入ってるんですよね。
何でもアリな世界観。だからこそ場面の見せ方そのものはむしろオーソドックス。映画として観やすい
あと、それだけじゃなくて。派手なアクションシーンだけではなくて、実は静かな会話シーンのきめが、ものすごく細かな作品である、というところも大きいです。だからそこを、「退屈」って取っちゃうと退屈かもしれないけど。そこは味わってほしいところなのね。
たとえば、さっき言ったグウェンと父親とのやり取りもそうだし。マイルスとお母さん……「何でも言って」って言われて、「ああ、言おうかな、言おうかな……でも、言えない……」っていう。で、お母さんも、「ああ、言えなかったね……」って思うんだけども、背中を押してあげる。その全てが、ニュアンスだけで……この感情の変化が、ニュアンスだけで表現されている。なんて繊細な演技と演出。
しかもここ、『CGWORLD』というところのインタビューだと、大竹惇也さんというアニメーターの方が言ってるのは、ここでマイルスが指をトントントントン叩いているんだけども、これ、とあるアニメーターの方のアイデアで、実はモールス信号で「I'm Spiderman.」って打っているとか……! そういうきめ細かさがあるわけです。
全体に、これだけ要素が多い、ある種何でもアリな世界観なだけにですね、場面の見せ方そのものとかは、基本むしろオーソドックス。「映画として観やすい」作りっていうのをちゃんと貫いている、というところも、実は大きいと思います。あとは音楽使い……特にヒップホップ的な選曲センスも相変わらず最高!というのももちろんありますし。
ひとつ忠告があるとすれば……途中で脳の糖分が足りなくなること。甘い飲み物買っておくといいよ
たしかに宙吊り、ダークな終わり方だけど、グウェンが……オープニングとちょうど、対になっていますね。ついに組んだ、「自分のバンド」たち! 「うおー! このバンド、最高じゃん! このバンドの出す音、聞きたいね!」っていうところと、そしてもうひとつ、マイルスの方の話ね。
マイルスっていう人はつまり、アーロンおじさんに象徴される、かっこいい、「男らしい」大人、マッチョな大人っていうか、マッチョな「男」になれるかどうかというところに、引け目を常に引きずってる人だと僕は思っているんですけど。で、そのある意味マッチョ性みたいなもの、アーロンおじさんのマッチョ性みたいなのを、最も、一番受け継いだ存在と最後、対峙する……つまり彼にとっては、一番コンプレックスを刺激される存在と対峙する。
だから観客も、「ああ、明らかにこっちの方が強そうだし……」みたいに見えるんだけど。でもマイルス、ちゃんと逆襲しそうだぞ?という予感も……つまりその、マッチョなだけが行くところじゃないぞ、っていうかね。そういう予感も漂わせているわけですね。そこで終わるわけですから……アガる!終わり方なわけですよね。はい。
ということで、お時間が近づいてきちゃったんで、私からひとつ、忠告があるとすれば、140分間のうち、最後。第三幕目に入るところでですね、私は三回とも、やっぱりちょっと若干気が遠くなりかけてですね。脳の糖分が足りなくなるんです(笑)。なので、何か甘い飲み物とかを映画館で買って、そこでちょっと糖分を補給するというのがよろしいんじゃないでしょうか、ということでございます。
とにかくですね、今週ね、番組で特集した、ジョン・カサヴェテスが起こしたあれも、映画のマジック。そして、この作品が起こしたこれも、映画のマジック。どちらもすごいものを、やっぱり我々は、スクリーンという場で観ることができる。何と幸せなことでしょう。『アクロス・ザ・スパイダーバース』、行かないという選択肢は……もう一回、言いますね。ないんですわ!(笑) 劇場に、ぜひ行ってください!