宇山賢さん(Part 2)
1991年、香川県出身。同志社大学在学中からフェンシング日本代表チームで活躍し、東京2020オリンピックでは男子エペ団体で日本初の金メダルを獲得。
出水:小さい頃からスポーツは得意だったんでしょうか?
宇山:恥ずかしながら、かけっこで一等賞の旗を一度もらったことがないぐらい(笑)当時は誰かと競うのは得意じゃないなという感覚があって、逆に水泳とかスイミングスクールで、競うというよりは泳ぎ方を学ぶとかことはやっていたんですけれども、運動会で活躍とかいう子どもではなかったですね。代わりにやっていたのが楽器。もともとオルガン教室に3歳ぐらいに入っていて、そこからピアノをやって。
JK:もしかしたら音楽家になってたかもしれない?
宇山:ピアノ教室の横にエレクトーンがあって、ボタンを押すと音が変わるのがすごく楽しくて、小学校卒業まではエレクトーンをやっていて。中学校の時にフェンシングを始めたんですけど、すぐにバンドブームが起きまして・・・エレクトーンって右手と左手と足をバラバラで動かさなきゃいけないので、それを知ってた友達から「ドラムできるんじゃないか」みたいなことで誘ってもらって、いわゆるバンドの方に流れていく、と。
出水:ドラムも叩けるんですか?
宇山:ドラムが一番頑張ってましたね。大学生ぐらいまでちょこちょこと。
JK:それがフェンシングになるんじゃない? 結局体全身を結局鍛えてたってことね。
宇山:リズム感っていうものが、間合いのフットワークというか仕組みで結構使えてる。これ誰にも理解されないんですけど(^^;)
JK:面白い! 発想が!
宇山:エペという種目はどちらか先に突けばいいので、どっちが先に出るとか、先に出させてて守るかみたいな駆け引きがあるんですけれども、その時ボクシングのように1-2でステップで動いてるじゃないですか。1-2を前後のステップでずっと2拍子で動いてると、どこ前に行くかが相手にバレてしまうんですよね。
JK:いろんなことを知ってて、活かされてますね!
宇山:これは誰かに伝えたいんですけどね(^^;)
出水:大学3年生の頃から日本代表選手に選出されましたが、当時からオリンピックは1つ大きな目標でしたか?
宇山:出れたらいいなぐらいでしたね。もちろん大目標とすれば、高校2年生の時にインターハイ優勝して、その2週間後ぐらいに北京オリンピックで太田雄貴さんが初めてメダルをフェンシング界で取って、周りから「将来は日本代表選手になれ」とか「オリンピックでメダル取ってね」みたいな応援の声があったので、どうしても意識はしてたんですけど、実際に日の丸をつけて海外の選手と剣を交えた時に、たくさんの壁を感じて全然うまくいかなかったんです。なので「オリンピック出れるのかな」と思いつつ、何とか今のうちに経験を積みながらいろんな練習をして、たくさんある壁の1つ2つを破っていかなきゃいけない、と思いながら練習に明け暮れてましたね。
JK:大学を卒業して大手家具メーカーに勤められたっていうのは、他の世界も見てみようと?
宇山:大学の時にたくさんお金をサポートしていただいたり、親のスネをかじりつつひたすら海外遠征に挑戦したんですけども、全然結果が出なくて、このままやり続けてもオリンピックも出れないし、先輩方のキャリアを見ててもなかなかフェンシングで食べ続けれないといったこともあったので・・・ちょっと一線を引いて次のキャリアに進もうかなと思って、総合職の面接選考を受けて内定をいただいたんですけど、内定をいただいた1ヶ月後に東京が。
出水:「東京にオリンピックが来るぞ!」と。
宇山:これもご縁だと思うんですけども、開催国になるということは、ホストの枠ができる。海外選手に勝ってポイントを積算して、自分で枠をもぎ取るという自信はなかったんですけど・・・
JK:確実に出れる! 優先的に出られる! すごい人生のタイミングですね。
宇山:人生で1回2回あるかどうかわからない。それですぐ会社に連絡して「何とか調整できませんか?」と相談したら、関西エリアで就職したんですけども、東京都北区西が丘にある国立スポーツ科学センター、ナショナルトレーニングセンターという施設に一番近い店舗に配属させていただいて。
JK:二刀流じゃないけども、やっぱり生活もしていかなきゃいけないから。
宇山:それで上京して競技と業務の両立のチャレンジがスタートしたんですけど、また現実が全然甘くなくてですね(--;) 新入社員はインプットもすごく多いですし、店舗でお客さんと対峙するところから始まるので、知識が行動につながらなかったりするんですけど、競技は競技でしっかり練習して、海外遠征も無理やりお願いして行かせていただくと、2週間とか遠征行って戻ってきたときに仕事は穴が空いてるし、マニュアルの知識は覚えてるけど行動に出なかった。それぞれ全然甘くないなと。
JK:両立っていうのはね。
宇山:ここで選択をしなければいけないのかなと思って、最終的に「今自分の人生で一番やるべきは多分フェンシングだな」ということで、東京オリンピックまでフェンシングに特化した環境でキャリアを歩もうと会社に相談して、前向きに送り出していただいて。次の転職活動でもご縁をいただいて、100%フェンシングの成果を報告させていただいた形です。
出水:それが見事メダルにつながった!
宇山:自分だけでは全然できなかったですね。不安とか悩み事を普通にフラットにいろんな人に相談できたっていうのが多分良かったのかなと思います。

JK:これから将来はどんな感じですか? 夢とか。
宇山:まずざっくりは、「今までの金メダリストとはちょっと違うキャリアだ」と思っていただけるような生き方をしたいなと。オリンピックに出たとかメダルを獲得したっていうのは「選手」というすごい狭い専門性なので、まずは知識をインプットして、もっと広いところで別の専門性を作りたいな、ということでいろいろチャレンジさせていただいています。
JK:宇山さん、人生のマサカは何ですか? これは!っていう思い出を。
宇山:ネガティブな入り方をしてしまったら失礼しますが、東京オリンピックですね。
JK:いい経験ですね。サッカーでもベンチとかなかなか選手に選ばれなくて・・・
宇山:その中で腐ってしまう。もちろん悔しいですよ、僕も当時一瞬ぐらいは「辞めてしまおうか」とか「今まで何のためにやってきたんだ」みたいな思いも走りましたけど、そこで腐ってしまっていたら多分こうしてお話できていない。そこのメンタルというか、モチベーションをどこを持っていくかとか、相談できる仲間を作るとか。
JK:それは人生の成功の第一歩です!
出水:そういった経験もあって、29歳で現役引退されたすぐ翌年にEs. relierを会社設立しています。どういった事業をしていらっしゃるんですか?
宇山:よく会社名が「なんじゃこれ」と言われるんですけれども、造語です。フェンシングはフランス語でescrime(エスクリム)と発音するんですけれども、これをもじって「Es」。relierは元々フランス語で「人をつなげる」という意味で、フェンシングやスポーツを通じて何か伝えた先に、参加してくださった方や関わってきた皆様がつながってほしいなという思いを込めて、会社名にさせていただいています。主にフェンシングの普及イベントとか、学校や自治体と相談して体験できる機会を設けさせていただいたりとか、あとは企業様の人事研修もやらせていただいています。
JK:御社ではフェンシング部はあるんですか?
宇山:私どもではクラブはまだ持っていなくて、どちらかというと個人的には広くマネジメントの方に入りたいなと思っています。クラブを作りたいとかコーチになりたいという人たちをどうサポートして、教育して、より良いクラブを作っていくかとか。
JK:教育者ですね! すごい素晴らしいチームが育ちますよ! 一般的にあまりメジャーじゃないので、もっと当たり前に浸透していくといいですよね。
宇山:本当にいろんな課題がありまして、今は強くて認知度が上がっているんですけれども、それに伴って結構問い合わせをいただくんですよ。「クラブはどこにあるんだ」とか「どこに行ったらフェンシング体験できるんですか」っていう時に、まだまだクラブの数が少なかったり、そもそも指導者で食べていく環境が整えられていないので、指導者が少ないという課題があります。そういうところを、マネタイズの部分や連携というものをちゃんと作っていくことで、興味を持っていただいているお子さんがしっかり剣を握れるような環境を作っていきたいなと思います。
JK:道具も揃えなきゃダメでしょ、クラブさんで。最初は貸し道具で。
宇山:そうですね。貸し出しの部分とか、どこかで決めて買っていただくとか。ただ昔に比べて素材とか加工技術もどんどん上がって、安全で安いものも出てきているので、1着100万とかそういう世界ではもちろんないので、1つのスポーツとして気軽に体験していただけるようなスポーツになれるよう、学校とも組んで回ってます。
出水:1回やったらお子さんもヒーロー気分で夢中になるんじゃないですか?
宇山:皆さんが見ている視点って横からなんですよね。
JK:公開練習というのは? そういうのを見るチャンスとか。
宇山:そういうのもすごい大事かなと思います。太田雄貴さんが日本フェンシング協会の会長をやられた時に、劇場のようなステージで日本選手権をやったりとかいろんな取り組みをされたんですけど、見る側の視点に立って試合演出を作るところは僕も形にしなきゃいけないなと。その際はぜひかっこいいユニフォームをデザインしてください!
JK:伝統的なものを簡単に変えちゃいけないんじゃないですか?
宇山:レギュレーションのルールはあるんですけど、安全性を担保して、特別な演出用の装いを作るのは個人的に面白いんじゃないかなと。ちょこちょこやってらっしゃるところは2例ぐらいあったんですよ。まだ日本では1例もないので。
JK:革命的! ぜひそういうの見せてください!
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)