時代を超えて笑いを届け続ける漫才コンビ「ザ・ぼんち」のぼんちおさむと里見まさとが、TBSラジオの「ヤーレンズの#ふらっと」に出演。結成から半世紀以上を経た今もなお舞台に立ち続ける理由と、波乱万丈の芸能人生を語りました。


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高校同学年から伝説の漫才師へ

「なんで大きな声を出すかって?小さい声でボソボソ言うと、ぼれす(フレーズ)が回らなくなるんです。だ・あ・い・う・え・を はっきり言うようにしゃべるから声が大きくなる」と語るのは、ぼんちおさむさん。


ザ・ぼんちは1972年に結成された伝説的漫才コンビです。高校の同学年だった二人は、実は当時まったく交流がなかったといいます。里見さんは野球部のノッカー(ノックを打つ役)を務め、甲子園で5試合、監督の横でボールを渡す役割を担当。一方、おさむさんは在校生として応援席から声援を送っていました。


「高校で15クラスもあって、彼は13組、僕は15組。野球部だけで3クラスあったから」とおさむさんは当時を振り返ります。


実は二人が漫才コンビを組んだのは、それぞれが別のコンビで活動した後のことでした。里見さんは「2回目なんですよ。高校の時は別にコンビを組むとも思ってなかった」と明かします。19歳で組んでから売れるまでに9年かかったという二人。

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伝説の『THE MANZAI』と"A地点からB地点"の秘密

1980年代、『THE MANZAI』という番組への出演をきっかけに爆発的な人気を獲得したザ・ぼんち。彼らの代表的なフレーズ「A地点からB地点まで」の由来について、おさむさんは興味深いエピソードを披露しました。


「お昼のワイドショーで、川崎敬三さんという方が司会をして、山本浩一さんという俳優さんがレポーターをしていたんです。事件の報告で『犯人はA地点からB地点の間でタバコを買ってたんです』というやりとりがあって。それを漫才のネタにしたんです」

このネタが大ヒットし、後に『恋のぼんちシート』という楽曲の歌詞にも取り入れられました。「漫才のネタをそのまま歌詞にしているんです」と里見さんは説明します。

ヘリコプターとタクシーの驚きの移動エピソード

人気絶頂期には、一日に20本もの仕事をこなしたという二人。スケジュール表は鉛筆で書かれたものを消しゴムで消しては新しい仕事を書き込むため「真っ黒になっていた」と振り返ります。


特に印象的なのが、静岡と甲府での仕事が重なった際のエピソード。本来はヘリコプターで移動する予定でしたが、天候不良で飛べなくなります。


「パイロットが首をかしげて『自信がない』と言うんです。『ちゃんとレーダーついてるでしょう?』と聞いたら、『これ普段農薬まいてるやつだから』って」


結局、タクシーで4時間かけて移動し、深夜10時40分頃に到着。それでも約150人の親子連れが待っていてくれたそうです。「もうグタグタでしたよ。でも若かったからできた」と当時を振り返ります。




深夜のホテルでの"サバイバル飯"

多忙を極めた日々では食事を取る時間もないほど。深夜にホテルに戻ってからの食事方法も独特でした。


「カップヌードルをお風呂の湯を一番熱くしてそれで食べていました」と里見さん。一方、お酒好きのおさむさんは「ワンカップをお風呂のお湯で温めていた」といいます。


「ぬるくなるけど、それが飲みやすいんですよ」とおさむさん。しかし里見さんは「ヌードル系、いいイメージない」と苦笑いします。

54年目の今も挑戦し続ける理由

解散と再結成を経験したザ・ぼんちですが、今年の5月に行われた『THE SECOND~漫才トーナメント~』のグランプリファイナルに進出。結成から半世紀以上経った今もなお、新たな挑戦を続けています。


「人間に勇気が無くなったらダメ。出て負けるよりも、出ずに終わる方がよくない。負けてもいいから出るというのが、ちょっとした精神ですね」とおさむさんは語ります。

55周年を記念した単独ライブ「漫才は止まらない」が10月26日に大阪・なんばグランド花月で開催予定。12月には東京公演も予定されています。


「舞台があるから吉本興業が好きなんです。舞台がなかったら魅力がなくなる。お客さんの前で漫才をする、これがいいんですよ」

54年の時を超えて、今も舞台で大きな声を響かせ続ける二人の姿に、漫才への情熱と誇りを感じずにはいられません。


(TBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと』より抜粋)

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