2023年に79億6000万ドルと推測された世界の補聴器市場規模(Grand View Research報告)は、2030年までCAGR約7%で成長を続けるという。成長の背景には高齢化による有症率の上昇のほか、最先端デバイスの認知度向上にともなう聴覚補助機器導入の増加があるとのこと。

近年はBluetoothやAIなど搭載した補聴器が多数登場。高度に技術主導型の市場でありながら旧態依然体質が残る補聴器業界は、スターキーを含む6大補聴器メーカーだけで世界のシェア9割を占めるという。大企業が支配するこの業界に挑むスタートアップが、補聴器市場の“民主化”を目指すTuned社だ。

イスラエルの補聴器スタートアップTuned社、AIフィッティ...の画像はこちら >>

AIの聴覚アシスタントとのチャットによって操作を進める。Image Credits:Tuned

スタートアップ大国イスラエルのテルアビブに拠点を置くTuned社は、CEOのOmri Gavish氏およびCBOを務めるRon Ganot氏によって2020年に設立された企業で、AIを活用した聴覚ソリューションを提供する。CTEC記事によると2023年9月時点での従業員数はわずか15人の小さな会社だが、2024年2月にシードエクステンションラウンドで320万ドルの資金を獲得し、合計調達額が820万ドルになったことが各紙で報じられている。

社名の Tunedは「調整・同調された」といった意味だ。補聴器は調整(フィッティング)が何より重要。Tuned補聴器のセットアップ手順はユーザーフレンドリーが売りで、ユーザー自身が無線で簡単に操作でき、すぐに設定が完了するという。聴力検査や調整作業は「AIオーディオロジスト」がリアルタイムで行い、クリニック同様の精度を実現している。

AIオーディオロジストがフィッティングする“OTC”補聴器

「オーディオロジスト」とは、難聴の診断・治療・補聴器の調整・リハビリ・難聴の予防を行う医療専門家のことだ。日本に比べてオーディオロジー(聴覚学)が発達・普及している欧米諸国の国家資格・公的資格にあたる。たとえばアメリカでは、補聴器を購入する際にオーディオロジストまたはヒアリングスペシャリストによる“処方”が必要だ。

補聴器は購入後も数か月にわたって装用トレーニングや再調整が必要な製品。そうした作業は費用も労力もかかり、ユーザーにとって負担となっていた。しかし、Tunedの製品であれば人間の専門家を必要とせず、高度な人工知能システムによりフィッティングがわずか20分で完了する。“処方”してもらわずとも、家電量販店などの店頭で消費者が直接補聴器を購入できるというわけだ。


つまり、医薬品に例えるとTunedの補聴器は「処方せん医薬品」ではなく「市販薬/OTC医薬品」にあたる(OTCは「Over The Counter」の略で、ドラッグストアなどでカウンター越しに薬を販売することに由来)。Tunedのように補聴器の導入コストを大幅カットして業界に変革を起こす企業は、「OTC補聴器企業」と呼ばれているのだ。

半世紀以上も変化のなかった業界に打ち込まれた楔

オーディオロジストによるチューニングという要件は、補聴器の購入・販売・普及における妨げともなっていたという。上述のCTEC記事では、市場の9割近くを占める大手補聴器メーカーについて、Tuned社CEOのGavish氏も「OTC補聴器の普及に長らく抵抗してきた」と述べている。

しかし、アメリカではFDAによるOTC補聴器規制改定が2020年に発効。音響機器のBOSE社がOTC補聴器で初めてFDA承認を取得するなど、規制緩和によって異業種からの参入が進んでいる。自分で調整できる補聴器が家電量販店やコストコで購入できるようになったのだ。

この状況を受けて、長年市場を支配してきた老舗メーカーもAI補聴器を開発するなど適応を迫られている。

Gavish氏がインタビューで語ったとおり、Tunedを含むOTC補聴器企業は「過去50年間ほとんど変化のなかった業界の慣習に楔を打ち込むこと」に成功したのだろう。

両耳で平均4600ドルする処方せん補聴器に対してOTC補聴器は両耳で平均1600ドル、最低価格はなんと99ドル(National Council on Aging調べ)という安さだ。安価で入手が容易なOTC補聴器市場は、今後飛躍的な成長が見込まれている。日本では2024年から大手スターキーの最先端AI補聴器が販売開始された。超高齢化社会にもかかわらず補聴器普及率が15.2%(JapanTrak 2022調査報告)と欧米に比べて低い日本は、巨大な潜在市場に違いない。

参考元:Tuned

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Mickey Ohtsuki
危険と言われる南ア・ヨハネスブルグを拠点にアフリカ南部を飛び回って帰国後、199x年代から産業翻訳のフリーランスを始め、2000年からテクニカルライター/Webライター業も開始。

世界各地のスタートアップには、ちっぽけな探求者たちが巨大な既存勢力と戦うロマンがある。『なんでも評点』筆者。
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