「今度また飲みにでも行きましょう」僕はこのセリフがあまり好きではありません。
なぜならこの約束は守られないことが多いからです。
大人になって、さも「大人」という顔をして社交辞令を使う人が増えました。
しかしその社交辞令に気づかずに、後から傷ついたり、モヤモヤする機会も多いのではないでしょうか。
■そもそも「社交辞令」って、どういうもの?
社交辞令とは、コミュニケーションを円滑に進めていく中で、場の雰囲気を良くするために発言する言葉のことです。
場の雰囲気を良くするための言葉なので、実際は思っていないことでも発言することになります。
つまり多くの社交辞令は「ウソ」をつくということになりますが、社交辞令であれば好き放題にウソをついていいということではありません。
■「良い社交辞令」とは明るくて軽いもの
ウソは社会的に良くないものとされています。なぜかというと、ウソをつくことによって人を裏切り、信頼をなくしてしまうからです。
しかし、それはどう考えてもバレてしまったり、人に迷惑をかけてしまうようなウソの場合に限った話でもあります。つまり、バレることがなく、人に迷惑をかけないウソなら社交辞令として使用できるのです。たとえば、以下のような小さなウソです。
・天気に興味がないのに「晴れてきましたね」と話す
・相手の髪型に興味がないのに「髪型可愛いね」と話す
・相手の話がつまらないのにオチと思えば笑う
・そこまで楽しくないのに楽しいと言う など
肝心なのは「ウソをつくこと」ではありません。
「あなたと和やかにお話がしたいと思っています」という気持ちを示すことです。
このような社交辞令を上手に使って信頼関係を築き上げ、ゆくゆくはこんな社交辞令が要らない間柄になれるといいですよね。
社交辞令の基本は「ウソだとバレない」ことです。一度、小さなウソをついたら貫き通しましょう。そうすれば、社会的には本心なのです。貫き通せない社交辞令は言ってはいけません。
だからこそ、社交辞令の内容と言うのは「ウソか本当かはどちらでもいいな」と思えるくらい、軽い話題がいいのです。
■「悪い社交辞令」とは人を裏切るもの
社交辞令とは人を嬉しい気持ちにするものでなければならず、人を悲しませるものであってはなりません。
社交辞令は「ウソ」であることが多いのですが、その「ウソ」が原因で人を裏切ることがあってはいけないのです。
「ウソなのに裏切っちゃいけない」と言うと矛盾を感じるかもしれませんが、矛盾があるからこそ、社交辞令とは「大人なコミュニケーション」だと言えます。
例えば、社交辞令で具体的な約束をしてはいけません。
「今度、一緒に〇〇の映画を観に行きましょう」
「今度、〇〇をごちそうしますよ」
「今度、〇〇さんをご紹介しますよ」
「今度、2人で〇〇に遊びに行きましょう」
こんなことを社交辞令としてペラペラ話してしまう人は、大人だとは言えません。
これらのウソは貫き通すことができず、最終的にウソだとバレてしまうからです。
ウソだとバレた瞬間、社交辞令は「社交辞令」ではなく、単なる「ウソ」になります。
このようなウソで「あれは社交辞令だったのか」と傷ついたり、モヤモヤする人が多くいます。しかしこれは社交辞令ではなく、ただの「下手なウソ」なのです。
「下手なウソ」と「社交辞令」は似ていますが、明確に違います。
大人であれば、そこは分かっておいてほしいものです。
■逆に周囲の下手な社交辞令をうまく活用して信頼を得る
世の中にはこのような、ウソと社交辞令の違いを分かっていない大人がたくさんいます。
この風潮をうまく使えば、逆に社交辞令で人から信頼を得ることができるのです。
例えば初対面の人に「今度お店を紹介します」と言ったのであれば、確実に紹介してください。「社交辞令かと思ったら、本当にやってくれた。誠実な人だ」と、一目置かれるようになります。
それに限らず、雑談で具体的に盛り上がった内容などは確実に実行に移しましょう。
逆に実行に移さなければ、社交辞令のつもりはなかったのに、「やっぱり社交辞令だったのか」とも思われてしまうこともあるのです。
そうしたことを積み重ねていくだけで、ほかの人と差をつけることができるので、この風潮を逆に活用するとよいでしょう。
■社交辞令は付き合い方が重要
社交辞令は上手に使えば、くだらないことで険悪なことになりませんし、相手に安心感を与えるコミュニケーションツールになるでしょう。
「社交辞令は悪」とみなされることも多いと思いますが、正しく言えば「下手な社交辞令が悪」なのです。どんな時でも人を裏切ってしまっては、コミュニケーションでもなんでもありません。
社交辞令はうまく活用し、信頼を得られる大人を目指したいですね。