「柳沢君、”暖急軽重”をしっかりと見極めて…」



まただ。この前はついに社長に『緩急(かんきゅう)ですよ』と言ってしまった。


「教えてくれてありがとう」と言っていたが、絶対怒ってた…。



そして、また「だんきゅう」と言っている。気になって気になって仕方ない。気にしない気にしない。



僕は社員わずか10名の零細企業の会社員。でした。
今は辞めてライターをしていますが、たまにあの頃を思い出すことがあります



社長は創業者で絵に描いたような「ワンマン社長」でした。
零細企業のワンマン社長に振り回された、僕の5年間についてお話します。



■謎のミーティング地獄



「柳沢君、ちょっとおいで」



そう言われて社長室へ。
そこから、ひたすらずーっと社長が話し続けます。



気が付けばお昼。
社長の車に同乗して、ランチです。



そしてまた帰ってから社長室へ。
そこからもずっと「ミーティング」という名の説教や、訓話。
15時くらいになって、社長の力が尽きてくると社長はご帰宅。



そして、僕は定時までたった残り4時間の状態で業務開始…。当然できることは限られています。そして、その進捗を業務日報に書いて社長にFAX送信。



翌日は業務日報を読んで思ったことをひたすら聞かされる。
そんな毎日を繰り返し、周囲からも「あいつ社長とずっとミーティングばかりやってて、仕事してない」と陰口を叩かれる始末。



こんなにミーティングしているのに、社長は指示を出しません。
僕にするのは抽象的な話だけ。しかし、突然、超具体的な指示を出してくることもあります。そんな時に限って、かなり強い口調で言われるものだから、必死でやります。



しかし結果がなかなか出ません。すると「きみはいつまでそんなことをしてるんだ」と怒られます。これで『社長が言ったからやってる』とか言おうもんなら、大目玉を食らいます。



『自分の意志で、結果が出ると思ってやっています』と伝え、「いつまでそんなことしているんだ」と怒られながら、次の指示をもらいます。そんな毎日の連続でした。



僕は精神をすり減らし、最終的には『自分の評価なんてどうでもいいから、少しでも仕事を前進させたい』と思うようになりました。



『ここで怒られれば、仕事が前に進む』と思いながら、社長のためというより、会社のためになるように、ワンマン社長のもとで働いていたのです。



■地獄のチラシ作り



僕はPCが得意だったので、よくチラシをつくらされていました。
しかし素人なので、デザインのことなどはよくわかりません。それで、とにかくわかりやすいようにと思ってチラシを作るのですが、社長の赤字が入る入る…。



文言からデザインから何から何まで修正が入り、抽象的な指示を形にしていく作業を繰り返しました。



素人同士でつくったチラシを家族に見せると笑われました。


「本気でこれを新聞に折り込むの…?」と引かれたこともあります。



何度進言しても、社長はプロにチラシを頼むのを嫌がりました。
見かけだけいいのをつくって、気持ちがこもっていないというのです。そうして素人だけでつくったチラシは、いかにも胡散臭い仕上がりで、自分でも『恥ずかしいな』と思いながら、出していました。



もちろんチラシの結果は、あまり良いものではありませんでした。



■地獄のお宅訪問



社長は年々、体力が衰えていき、会社に出社する日数が減りました。
僕は自分のペースで仕事ができるようになると喜んでいたのですが、「家に来なさい」と社長の家に呼ばれる回数が増えてしまったのです。



社長室が社長宅に変わっただけで、移動時間が往復1時間ほど上乗せされたのです。
これには参りました。1日が社長宅に訪問してミーティングで終わることが増えていったのです。



僕は頑張って、社長の期待に応える仕事をしようとしましたが、社長の「やっぱり気が変わった」という発言に振り回されました。社内では「〇〇モードになった」という表現で言われており、どれだけ頑張っても結局社長の一存で方向性が変わってしまうのに、僕はもう疲れました。



社長が何を言っても「どうせ途中で気が変わる」と思うと、信用できません。
僕は会社を辞めることを決断しました。



■最後のお宅訪問



退職を決めた僕は、社長に電話しました。
『社長にお話したいことがあるので、この後ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか』



社長は嬉しそうに快諾。
僕が前向きに『社長のお宅に』と自ら言い出したのが嬉しかったのだと思います。



社長の自宅に到着。グダグダしていると言い出せなくなるし、社長の話を聞き入り始めたらもうおしまいだと思い、開口一番言いました。



『実は今日伺ったのは会社を退職しようと思ったからなんです』



社長の顔色は紅潮し「何を言っているんだきみは」と怒り始めます。
社長は「きみがそんなことを言うなら、私は会社をたたむ。みんなが困るぞ」とも言われ、明らかに動揺していました。



強い気持ちで言ったはずなのに、気がつくと私は社長に『申し訳ない』と謝りながら、泣いていました。



理不尽なこともたくさんありましたし、普通の会社では考えられないようなおかしなこともたくさんありました。

休みの日に電話がかかってきて、社長とのミーティングに出向いたこともあります。



社長は僕に悪意をもって、そんなことをしているわけではないということはわかっていました。でも、社長は僕に対して、そのようなコミュニケーションを取る手段しか知らなかったのです。僕はそれを分かったうえで、振り回されていました。



社長の漠然とした期待と、抽象的な指示。そして、ぼやけて何も見えない未来。
暗闇の中でただただ必死に走り続けた僕は、次の一歩が出なくなってしまいました。



『とにかく走り続けよう』『暗闇を晴らそう』と頑張るエネルギーが、もう残っておらず、『エネルギーのない人間は会社にいる資格がない』と思い、退職することにしたのです。



社長にはきつい言葉をたくさん投げかけられましたが、私の意志の強さに折れました。
最後に、社長のお宅からの帰り際。『ありがとうございました』と去ろうとする僕の肩を叩き、「頑張れよ」と一言、声をかけてくれました。



やさしい言葉は、その最後の一言だけ。


いろんな嫌なことをその日も言われたと思いますが、僕は最後の「頑張れよ」こそが本心なんだと信じ、次の道へ進むことに決めました。



今思えば、あの頃は社長の顔色ばかりうかがって、『自分がなかった』と思います。
現在、フリーランスとして自分のすべき仕事を自分で見極めて頑張れているのは、当時の教訓があったからでしょう。



今もあのブラックな日々に感謝しながら、毎日仕事をしています。改めて、社長、僕を振り回してくれて、ありがとうございました。



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