山手線と総武線が高架同士でクロスする構造が特徴の秋葉原駅が開業130周年を迎えました。しかし旅客駅としての歴史は95年です。

その間はどのように利用されたのでしょうか。

上野駅の役割を分担 貨物を引き受け開業した秋葉原駅

 2020年11月1日(日)、JR秋葉原駅(東京都千代田区)が開業130周年を迎えました。同駅は山手線・京浜東北線と総武線各駅停車、つくばエクスプレスや地下鉄線への乗換駅として、そして秋葉原や外神田の街の玄関口として知られていますが、旅客駅としては今年で95周年です。では残りの35年間、秋葉原駅はどのように利用されていたのでしょうか。

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秋葉原駅に進入する総武線各駅停車の電車。かなり高い位置を走る(2020年10月、乗りものニュース編集部撮影)。

 1890(明治23)年11月1日、私鉄の日本鉄道が秋葉原貨物取扱所を設置しました。日本鉄道は「本所(編注:秋葉原)にて取扱ふものは貨物のみにして、茲(ここ)に之(これ)を設けたるは上野停車場の狭隘なると、各依頼者の貨物運搬に便ならざるとによりたるに外ならず」とし、当時、東北方面への旅客や貨物を一手に引き受けひっ迫していた上野駅の役割を、秋葉原駅に分散させたのです。秋葉原駅の当時のホーム長は今の山手線の倍ほどの440mほどだったといいます。多くの人でにぎわう秋葉原駅は、このように貨物駅としてスタートしました。

 上野~秋葉原間は地上を貨物列車が走っていました。しかし線路により東西の往来が分断されるとして地元住民は抗議。

日本鉄道はこれを受けて線路の高架化と旅客線の追加を決めます。

 開業から35年後の1925(大正14)年11月1日、上野~神田間が高架で開通すると、中間にある秋葉原駅は旅客営業も開始しました。しかし工事の遅れから、貨物線は引き続き地上を走ることになります。

 旅客化から遅れること3年の1928(昭和3)年4月、貨物設備の一部が高架化されました。当時初めての「高架」の貨物駅が誕生します。秋葉原駅の貨物取扱いはすでに廃止されていますが、高架貨物駅は2020年の現在に至るまで珍しいものです。

「ダブル唯一」高架貨物駅&二重高架構造

 設備の全てが高架化されるのは、さらに4年後の1932(昭和7)年7月のこと。このとき総武本線の両国~御茶ノ水間も延伸開業し、秋葉原駅は東北本線の高架のさらに上を総武本線の高架が直交する形になりました。この二重高架構造も当時としては唯一であり、また2020年現在も珍しい駅構造です。開業当初、地上の改札から総武線ホームへは計90段の階段を上る必要があったそうです。

「高架on高架駅」は歴史の象徴 JR秋葉原駅 開業130周年 でも旅客営業は95年!?

かつて貨物駅や貨物線があった付近。駅の北東側にあたる。
再開発され現在はロータリー(画像:写真AC)。

 秋葉原駅での貨物取扱いは戦後も続きました。しかし次第にコンテナ輸送が主流になったことや、手狭な市街地の中に高架で駅があることがあだとなり、ついに1975(昭和50)年2月、同駅での貨物取扱いは廃止されます。当時、東京発着の貨物取扱いは、東海道方面は汐留駅(東京都港区、現在の汐留シオサイト付近)、房総方面は小名木川駅(同・江東区)、東北方面は隅田川駅(同・荒川区)がそれぞれ担当しており、すでに秋葉原駅の取扱い量は大きく減少していました。

 廃止後、貨物駅があった場所は東北新幹線用地となり駅設備の一部が撤去されたほか、貨物線は在来旅客線列車の留置線としてしばらく活用されました。しかし、2000年代に入ると周辺の再開発に伴い駅や線路跡は完全に撤去され、今その痕跡を探すのは難しいでしょう。

 その中でかろうじて、貨物駅だったことをうかがわせる名残が駅の南東側にあります。現在の秋葉原公園です。ここはかつて掘割で、神田川から荷物を積んだ舟が出入りしていました。秋葉原駅は水運と陸運をつなぐ結節点だったのです。公園の脇には、掘割に架かっていた橋の欄干が残されています。

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