最初期の爆撃機からの爆弾投下は、訓練された爆撃手による「職人芸頼り」でした。そうしたなか登場したとある爆撃照準器は、あまりの精度の高さから、命に代えても敵には渡せない最高機密だったといいます。

爆撃機が爆弾を「ばら撒く」のにもワケがある

 B-29爆撃機から一気に投下される爆弾の映像は、太平洋戦争末期を象徴するものとして多く見られます。絨毯爆撃といわれるように、ただ爆弾を広範囲にばらまいているようにも見えますが、せっかく苦労して運んできた爆弾を無価値な地上に落としたくはありません。しかし、大きく見える工場や軍事施設なども、飛行機から見ればとても小さな標的です。

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命中率を少しでも良くするための公算爆撃法で一斉に投弾するB-29。むやみやたらにばらまいているわけではない。

 誘導システムもない時代、いわゆる「水平爆撃」において、自然落下する爆弾を標的に命中させるのは至難の業でした。飛行機の速度と進路、風向き、高度などの要素が複雑に絡み合い、爆撃教範はほとんど物理と数学の学術書です。

 実際の爆撃機部隊は、その複雑怪奇な爆撃教範と練度の高い搭乗員の職人芸が頼りで、指揮官機に教導爆撃手が搭乗し、他機は指揮官機の投弾タイミングに合わせる「公算爆撃法」という方法が使われました。一斉に爆弾を投下して、その内の何発かでも目標に命中する確率を上げようというものでした。

 アメリカ海軍はこの頼りない爆撃精度を向上させようと、光学製品技術者のカール・ルーカス・ノルデンに爆撃照準器の開発を依頼し、1920年代に最初の試作品が完成します。これが、後にB-29にも搭載される伝説的な「ノルデン爆撃照準器」でした。

「ピクルスの樽も狙える」はそう大げさな話でもなかった!

 ノルデン爆撃照準器は、単眼の光学機器と様々なツマミやスイッチ、ボールベアリングと滑車などが組み合わされた、アナログコンピューターといえるような装置で、重さは20kgもありました。

狙った目標に命中する飛行進路をとれるように、ジャイロ、サーボモーターおよびフィードバック装置を備えた自動操縦装置と連動し、非常に複雑精緻なものです。正しい進路を飛行していれば爆弾は最適のタイミングで自動的に投下されました。

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ノルデン照準器の主要部構成図。右上のサイトヘッド(照準器)と左下のスタビライザー(安定装置)で構成されている(画像:アメリカ空軍博物館)。

 開発者のノルデンいわく「高度6000mから爆弾をピクルスの漬物樽にも入れることができる」と喧伝します。その「ピクルスの漬物樽」が当時どれほどの大きさだったのかはよくわかりませんが、実際、好成績を収めたので、アメリカ海軍の最高機密扱いとなります。

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B-26C爆撃機の爆撃手席に装備されたノルデン爆撃照準器(画像:アメリカ空軍博物館)。

 開発には当時15億ドルが投じられたといわれます。原爆を開発したマンハッタン計画には約20億ドル、アイオワ級戦艦の建造費は約1億ドルでしたから、ノルデン爆撃照準器の開発も一大国家プロジェクトであったことが分かります。

 当初はアメリカ海軍が開発を始めましたが、同陸軍が採用します。しかし機密管理を海軍は譲らず、陸軍はノルデン社と直接の取り引きができず生産にも支障をきたすという縦割り官僚主義でした。陸軍主導で本格生産にこぎ着けるのは1943(昭和18)年になってからです。

爆撃機要員は命に代えても照準器の秘密を守るべし?

 ノルデン爆撃照準器を扱う爆撃機要員は、機密保持の宣誓を求められます。機体外への脱出など緊急時には、自らの命を代償にしてでも照準器の処分を優先させなければならず、その本体には自爆用テルミット手榴弾が取り付けられます。機体が地上にある場合などは、照準器を取り外して専用の金庫にて管理保管し、修理なども専属の下士官が行いました。持ち出す際には専用の箱に入れ、要員と手錠で繋がれて銃も携帯、護衛兵が付く場合もあったといいます。

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AT-11「カンザン」爆撃練習機に取り付けられるノルデン爆撃照準器。機密保持のため、要員が拳銃を携行していることが分かる。

 それほどの機密でしたので、1942(昭和17)年にドーリットル爆撃隊が日本初空襲する際には、万一の鹵獲を恐れて同部隊のB-25爆撃機にノルデン爆撃照準器は搭載せず、旧式の照準器にわざわざ取り換えています。最大の効果を上げたい日本初空襲で、有効な爆撃照準器を外すなど相反することですが、情報戦の一面でもあります。もっとも日本は、ノルデン爆撃照準器をほかの戦線で捕獲しますが、結局、終戦までにコピー品すら実用化させることはできませんでした。

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B-26爆撃機に取り付けられ、アメリカ空軍博物館に展示されているノルデン爆撃照準器(画像:アメリカ空軍博物館)。

 ちなみにこの機密の壁は、ドイツのスパイが破っています。ドイツはノルデン社に入りこんだスパイから資料を入手し、「ロトフェンロール7」という照準器を完成させ、戦争後半から同国爆撃機に標準装備しました。

こちらはノルデン照準器より簡単で扱いやすかったとされます。

精度はピクルスの漬物樽からサッカーコートまで

 これほどまでの最高機密でしたが、絶対的な効果を発揮する「魔弾の射手」というわけではありませんでした。操作が難しく誰でも完璧に扱える代物ではなく、複雑精緻でアメリカの工業力をもってしても品質を一定に保つことが難しく、実戦ではしょっちゅう故障しました。

 1940(昭和15)年に実施された、条件が整ったテストでは、高度9100mからの半数必中界(投弾の半分の着弾が見込める半径範囲)は4.6mという、驚異的な精度を示すこともありましたが、爆撃隊の実績では半分の高度4600mでも、半数必中界は120mというレベルでした。調子が良ければそれこそピクルスの漬物樽も狙えましたが、悪ければサッカーコートくらいの範囲に散らばってしまった、というわけです。

 それでもノルデン照準器がその名を知られるのは、職人芸が必要だった爆撃照準を、誰でも一定の精度を発揮でき(たとえサッカーコートに散らばるレベルでも)、何より大量生産されてあらゆる爆撃機に搭載され、そのマス効果によって爆撃精度向上に貢献したことです。この1920年代生まれの「魔弾の射手」は改良を重ねながら、1973(昭和48)年のベトナム戦争まで使われ続けます。

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戦後、優秀な爆撃機搭乗員に送られた記念品。ノルデン爆撃照準器が「高度6000mから爆弾をピクルスの漬物樽にも入れられる」ことを表す(画像:アメリカ空軍博物館)。

 1945(昭和20)年8月6日には、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が高度9632mからノルデン爆撃照準器を使って広島に原爆を投下します。標的から250mも外しましたが、そもそもピクルスの漬物樽に入るような精度など必要ありませんでした。

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