利用者数が1日1000人にも満たない福島空港は、国内空港のなかでも目立たない存在でしょう。しかし、かつて東北の未曽有の危機には、ここが大きな役割を果たしたことがありました。
日本には、「飛行場」として区分されているものを含めると、97もの空港があります。この数は「多すぎるのでは」とさまざまな場面で定期的に議論の的になることも。なかには、1日数便定期便が運航されるのみで、かつ鉄道などのほかのアクセスも整っており、その地域の住民ですらあまり使わない、といった実情があるところも存在します。
福島空港を離陸するANA「福島県沖地震の臨時便」(2021年2月、乗りものニュース編集部撮影)。
ただ、日ごろスポットライトがあたりづらいこういった空港が、ときには重大な役割を果たすこともあります。この一例が、福島空港です。
福島空港は、郡山市から南へ直線距離にして約18km、須賀川市と玉川村にまたがる丘陵地に位置しています。ただ、郡山市に交通の大動脈である東北新幹線が停車することもあってか、2021年現在の定期便は新千歳線と伊丹線の2路線のみ(新型コロナウイルス感染拡大による減便除く)です。2019年の年間利用者数は、約24万5000人。1日の利用者数は単純計算で、およそ700人弱となります。これは、東北地域の空港では、大館能代空港(秋田県)に次ぐ利用者の少なさです。
しかし、この空港は2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災の際、重要な役割を果たしました。
地震により、陸路での交通ネットワークが絶たれた際、空港が重要な拠点となるのは、過去の災害でも実証されています。たとえば2016(平成28)年発生の熊本地震では、熊本空港が救援隊の乗り入れ拠点となりました。
「空港は地震にも強く、水害に強い場所に作られているケースが多い」というのがある航空会社の関係者の弁ですが、東日本大震災では、先述のケースとは大きく異なりました。東北地方の空の玄関口である、仙台空港までもが津波の被害を受け、稼動できなくなってしまったのです。
その代わりとして、震災後大きな役割を果たしたのが福島空港でした。同エリアでも最大で震度6強の地震が襲っており、空港管制塔の窓ガラスも割れるなどの被害が発生していますが、福島空港は発災直後から、東北の救難拠点としていち早く24時間運用を開始し、国内外の救援機や旅客機の臨時便、救援物資などを受け入れたのです。翌3月12日には、通常の約10倍となる131機の航空機が同空港に離着陸しました。
2021年にもピンチ そのときにも福島空港は役割を果たす福島空港は2011年3月12日から4月10日にかけ、羽田や中部空港などへの臨時便を運航するなど、暫定的な「東北の拠点空港」のひとつとなり、便数は、平時の1日14便から最大34便まで増加。ピーク時の搭乗者数は、平時の約7倍にも及びました。また、県内で必要とされる食料の3分の2が同空港を経由して届けられるなど、震災後のインフラにおいて、大きな役割を果たしています。
その後、津波の被害を受けた仙台空港が、4月13日に民間機の運航を再開。これにともなう形で、福島空港は臨時便の運航を終了したのです。

福島空港(2021年2月、乗りものニュース編集部撮影)。
震災から10年を迎えようとする2021年2月には、福島県沖を震源とする大きな地震が発生しました。このときは道路こそ影響は比較的軽微だったものの、新幹線は不通に。このため地震翌々日から数日間、羽田線の臨時便が設定されています。
なお、福島空港では、東日本大震災時の実績を伝承すべく、空港ターミナルの入り口にこのときの出来事について記したパネルが2019年に設置されています。
ちなみに、この空港では、『ウルトラマン』の生みの親である特撮監督、円谷英二氏が須賀川市(旧須賀川町)出身であることにちなんで、空港じゅうにウルトラマンの立像などが飾ってあります。ただこの空港自身も、普段は目立たないながら、東北のピンチのときには存在感を発揮する「隠れたヒーロー」のような役割も果たしていた、ともいえるでしょう。