地域の路線バスなどを持たない高速バス専業の事業者は、社名で「歴史」がある程度わかります。「急行バス」は第一世代、「高速バス」は第二世代、「エクスプレス」などは第三世代といえ、それぞれのバックボーンは大きく異なります。
高速バスを運行する事業者は約370社ありますが、多くは、主として地域の路線バスを運行している会社です。しかし、中には高速バスこそが事業の核だという会社もあり、彼らは高速バスの「専業者」と呼ばれます。その特徴を知ると、高速バスの成長の歴史が見えてきます。
高速バス専業者は、設立された時期によって大きく3つに分かれます。この3つのタイプは、おおむね、会社名で見分けることができます。
社名に「急行」を名乗る第一世代のひとつ東北急行バス。現在は東武グループに属す(中島洋平撮影)。
まず、東日本急行、東北急行バス、九州急行バスなど「急行」と名乗る会社です。これらは、おおむね1960年代の設立です。当時の法制度では、乗合(路線)バス事業者は、地域ごと独占的に事業免許を受けていました。複数の事業者のエリアに跨るような長距離路線を運行するにあたり、運輸省(現・国土交通省)の方針で、沿線の乗合バス事業者が平等に出資して専門の事業者を設立することになり、先に挙げた3社はその代表例です。
さらに、1964(昭和39)年、名神高速を皮切りに高速道路が誕生すると、国鉄バスをはじめとして多くの事業者が路線開設に名乗りを上げました。
翌年、東名高速が開通すると、東急から名鉄まで沿線の事業者が出資して東名急行バスを設立し、国鉄バスとの2者競合になりました。ここまでが、社名に「急行」と付く、高速バス専業者の第一世代です。
第二世代「〇〇高速バス」、第三世代は「横文字系」1980年代半ば、共同運行制が認められ、起点側と終点側でそれぞれ路線バスを運行する事業者のペアに対し、高速バスの路線免許が与えられるようになりました。専業者をわざわざ設立する必要はなくなったのです。しかし、この時期にも専業者は生まれます。
1988(昭和63)年設立の四国高速バスは、香川県で路線バスを運行するコトデンバス、琴平参宮電鉄、大川自動車の出資で設立されました。前年に瀬戸大橋が開通し、東京(新宿)への夜行路線が検討されましたが、3社がそれぞれ路線を開設するほどの需要は見込めず、各社の権利を平等に反映させるため新たに会社が作られたのです。本来、乗合バス事業者の新設が認められるには最低6台の車両が必要ですが、特例で2台からのスタートでした。
他にも、瀬戸大橋高速バス、南九州高速バスがこのタイプであり、第二世代の社名は「高速バス」系と言えるでしょう。
2002(平成14)年、道路運送法の改正施行により、旅行会社が企画、集客し、貸切バスをチャーターして都市間輸送を行う「高速ツアーバス」が認められます。ウェブ予約を上手に活用し、需要喚起が遅れていた大都市間路線を中心に急成長しましたが、2013(平成25)年、既存の高速バスと制度が一本化されました。この時に誕生したのが、第三世代の高速バス専業者です。成長の経緯からブランド名を表に出した社名が多く、いわば「横文字」系と言えるでしょう。

第三世代といえるジャムジャムエクスプレス。初めて夜行バスとしてスカニアの2階建て車両を導入した事業者(中島洋平撮影)。
中小の旅行会社がバス事業も行うようになったウィラーやジャムジャムエクスプレスらが、純粋な高速バス専業と言えます(その後、貸切バスに参入した者も含まれる)。平成エンタープライズ(VIPライナー)や桜交通、徳島の海部観光などは、貸切バス専業者が念願の高速バス事業に進出したものです。
高速ツアーバス業態を経てはいないものの、旅行大手のJTBと沖縄の地元貸切専業者である北部観光バスが設立し、有限責任事業組合という形態で乗合許可を取得した沖縄エアポートシャトルなども、本質的には第三世代と同タイプだと言えるでしょう。
その成り立ちから「船乗り」がいる高速バス会社も!?社名をキーにして専業者を分類しましたが、例外もあります。沖縄のやんばる急行バスは、社名こそ「急行」系ですが、実際には第三世代に属します。
西鉄高速バスのように、大手事業者が高速バス部門だけを分社した例もありますが(現在は西日本鉄道に再合併)、意味合いが異なるのでここでは省略します。また京浜急行バスの「急行」は、親会社の社名(京浜急行電鉄)に由来するもので、専業者ではありません。
変わったところでは、瀬戸大橋や明石海峡大橋、東京湾アクアラインなどの開通による航路の廃止を受けて、船員らの受け皿として設立された会社があります。前述の瀬戸大橋高速バスのほか、高松エクスプレス、本四海峡バス、東京ベイサービス(2021年4月、東京湾横断道路サービスに社名変更)らがそれにあたります。なかには一等航海士として世界の海を回った経験を持つ役職員もいて、外の空気を業界に持ち込んでくれる効果もありました。

徳島の海部観光による東京~徳島線「マイ・リピート」。貸切バス事業者が高速バスに進出した例(中島洋平撮影)。
一方で、高速バス専業者ならではの苦労もあります。歴史の古い第一、第二世代の専業者のほとんどは、設立当初の形態を維持していません。多くのバス事業者が平等に出資する形だと、経営責任が不明確になりがちです。また、その出資者らは「地元の名士」で、本来なら抜群の販売力を持ちますが、他の出資者の手前、地元で積極的に集客に寄与できず、特に第一世代の専業者は、経営的には苦労したようです。
東名急行バスはわずか7年で会社が消滅しましたし、東北急行バスは出資者の一部であった東武鉄道の子会社となり、東京駅を拠点に金沢や岡山へ路線を持つなど、現在はいわば「東武高速バス株式会社」の様相です。同様に日本急行バスは名古屋鉄道の子会社となり、グループ内での合併を経て名鉄観光バスに(高速バス路線は名鉄バスに移管)、日本高速自動車は近鉄が引き取り名阪近鉄バスとなりました。
「高速バス専業」のしんどいところ、強いところ第一世代で、経営形態が当時とおおむね変わっていないのは、岩手急行バス、東日本急行、九州急行バスなどですが、いずれも、収益性の高い短・中距離の昼行路線を運行している点が共通しています。第二世代でも、四国高速バスは、最初こそ長距離夜行の新宿線のみでしたが、明石海峡ルートの開業により、高松と京阪神を結ぶ昼行路線に進出したのを機に急成長しました。
ただし、いずれの専業者も、特定の高速バス路線に頼った「一本足」企業なので、今日のコロナ禍のように、高速バスの輸送人員が急減すると、経営に大きな打撃となります。第一世代、第二世代は大手私鉄などの資本力がバックにありますが、第三世代は個人資本の中小事業者も多く含まれます。多くの便が運休中で、国などの緊急支援策を受けていますが、逆にコロナ禍が収束し支援策が終わった後のことが心配です。

東日本急行は宮城・岩手県内の高速バスのみ運行するが、他社の応援で東京に顔を出すこともある。写真は仙台~登米線(中島洋平撮影)。
また、以前は「なんとしても高速バスに乗務したい」と考えるバス乗務員が専業者に転職する事例も多かったのですが、乗務員不足の時代を迎え、入社後に中・小型バスなどで経験を積むことができない高速バス専業者の場合、バス乗務員未経験者を採用することが困難で求人に苦労するという課題もあります。
ただ、専業であるため組織が小さく、その分、小回りが利くのが専業者の利点です。2020年5月、高松エクスプレスが、QRコードを活用し、万一、乗客から感染者が確認された場合、同一便の乗客に連絡される感染者追跡システムを業界で初導入したことなどは、専業者ならではの積極性の表れと言えるでしょう。