交通渋滞などの要因となる踏切は、解消すべき対象として徐々に数を減らしています。「開かずの踏切」ともなれば毛嫌いされる存在でしょうが、横浜市内のJR東海道線には、イベントまで開催され惜しまれながら廃止された踏切がありました。
「開かずの踏切」は、長時間もしくは頻繁に踏切が閉まることから交通渋滞の原因とされます。また、踏切が開くのを待つ運転手や歩行者などはフラストレーションがたまることから、しばしば事故の遠因になることもあります。そのため、鉄道事業者や行政、地元住民たちの協力によって「開かずの踏切」は各地で廃止が進み、その数は減少していきました。
しかし中には、「住民に愛された開かずの踏切」というものも存在します。
戸塚大踏切を西口方面から東口方面へと望む。広い道ながら「車両通行止め」の標識がある(2009年10月、小川裕夫撮影)。
神奈川県横浜市のJR戸塚駅に隣接していた踏切もそのひとつです。同駅は東海道本線や横須賀線をはじめ、貨物列車なども行き来します。そのため踏切は閉まっている時間が長く、問題視されていました。主要幹線である国道1号と交差していたこともあり、クルマの運転手からも遮断時間が長いと不評を買っていたのです。日中時間帯を除いては、安全を考慮しクルマの通行が禁止されたほどです。
しかし2014(平成26)年1月に歩行者・自転車用の跨線橋が、翌2015(平成27)年3月に自動車専用のアンダーパスが完成。
ところが当日、廃止を惜しむ声とともに「さよなら戸塚大踏切」なるイベントが開催されました。戸塚にゆかりのあるミュージシャンも登場。地元の人は「ありがとう戸塚大踏切」などの寄せ書きをしたり、踏切バックに記念撮影したりと思い思いの時間を過ごしたほか、有志により同日付で『戸塚踏切新聞』も発行されています。
踏切があった場所(東口側)には現在、記念レリーフや踏切のイラストなどが描かれた広場が整備されています。廃止はやむを得ない中、地域住民から「踏切の姿を残そう」「後世へ伝えよう」という声が出たそうです。広場は町内会や商店街などのイベントスペースとしても活用されています。
踏切西側の道路は「吉田道路」(首相)とも、なぜ?戸塚大踏切をめぐる周辺道路の事情についても触れておきます。
戸塚駅開設当時、市街地は駅西側に広がっていたため、出入口は西口しかありませんでした。しかし、駅東側に戸塚競馬場(現在の日立製作所横浜事業所付近)が開設されたことに伴い東口が新設されます。こうして、駅東西に人の流れが生まれたのです。
当然、踏切を渡る人が増えます。

踏切廃止後、東口側に広場が整備された。踏切があったことを伝えるレリーフが設置されている(2021年7月、小川裕夫撮影)。
そして、この踏切に縁のある大物政治家が吉田 茂元首相でしょう。大磯に居宅を構えていた吉田元首相は、自宅から東京までの往復で同踏切を頻繁に通行していました。しかし、踏切の遮断時間があまりにも長いことに業を煮やし、国道1号線の西側に線路をオーバークロスするバイパス道路を新設するように指示したといわれています。現在の戸塚道路のことです。この逸話には尾ひれがついている可能性もありますが、こうした由来からバイパス道路は「吉田道路」とも呼ばれます。
バイパス道路の完成により、遠方からのクルマは踏切を通る必要がなくなりました。とはいえ「開かずの踏切」の根本的解決にはなっておらず、事故防止などの観点からその後も廃止へ向けた議論が続けられました。
80年以上あった「開かずの踏切」として地元に根付いていた戸塚大踏切は、戸塚の原風景でもあり、周辺住民にとって生活の一部といえるものでした。それだけに、今でも多くの人たちが大踏切を懐かしい思い出にしています。
※一部修正しました。(9月15日18時30分)