かつてアメリカ、そして世界を席巻した航空会社「パンナム」。なぜかハワイの真珠湾には、ゴリゴリの軍事航空博物館のなかに同社のグッズがあります。

背景には、ハワイとパンナムの関係がありました。

軍事色が凄まじい博物館になぜか…

 かつてアメリカには、「パンナム」と呼ばれ、第二次世界大戦前から世界有数の超巨大航空会社として君臨し続けたパン・アメリカン航空がありました。いまでも幾多の伝説は、オールド航空ファンには根強い支持があることでしょう。

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パンナムのボーイング747SP(画像:パン・アメリカン航空)。

 さて、太平洋戦争の始まりの地であるパール・ハーバー(真珠湾)は現在、軍事拠点でありながらも、歴史を伝える展示施設としての機能も持ちます。この一角にある「パール・ハーバー航空博物館」は、その土地柄、軍事色が非常に強い博物館なのですが、なぜかここに、民間航空会社である「パンナム」の歴史を展示したコーナーが展開されているのです。

 そこでは、旅客機の窓をデザインしたパネルのなかに、往年のグッズやモデルプレーン、スタッフなどが着用していた制帽やファーストクラスの食器などが展示されています。ほかにこの博物館内で民間航空の展示はほとんどありません。

 そして日本の航空ファンにとっても、パンナムは、たとえば特別仕様の「短銅ジャンボ・ジェット」747SPをオーダーして東京~ニューヨーク線のノン・ストップ路線を開設するなど、どちらかというと、「日本~アメリカ本土線」のイメージが強い会社です。パンナムとハワイは、どのように結びついているのでしょうか。

 それを紐解くには1930年頃まで遡る必要があります。当時、長距離の洋上飛行は、まだプロペラ機、それも水上に発着できる飛行艇を使用していました。

パンナムは、アメリカ本土から太平洋を横断し、東南アジア方面への路線開拓を狙っていましたが、当然、当時の飛行艇はそのような距離を直行できませんでした。

パンナムとハワイが強く結びついたワケ

 そこで太平洋上に数か所、途中給油のポイントを作ることになります。それが、ハワイとミッドウェーです。アメリカ~東南アジア線の場合、一旦ハワイまで飛び、休養をとり燃料を補給、そこからミッドウェーまで飛び、そこからさらにアメリカ領の島を経て東南アジアまで飛ぶ――というのが、スタンダードになります。ちなみに、太平洋横断路線の開拓にあたっては、かの有名なリンドバーグ夫妻が小型水上機で飛行しながら調査にあたり、日本にも寄港しています。

真珠湾になぜ「パンナム」が? ゴリゴリ軍事施設に超異彩民間航空の展示 物語る“戦争”

2021年8月現在の「パール・ハーバー」の様子(乗りものニュース編集部撮影)。

 ちなみに、ハワイにしても、ミッドウェーにしても、太平洋戦争において重要な意味を持つ土地であることは広く知られているところです。アメリカにとって東南アジアとの戦略的に重要な中継地点であったことは明らかであり、当時の日本にとっては「喉から手がでるほど押さえたかった土地」なのでしょう。

 戦後のパンナムは、ホノルル、東京を中継地点とする世界初の世界一周路線を1947(昭和22)年に開設。その後、ノースウエスト航空に続いてホノルル国際空港から東京国際空港への乗り入れをプロペラ旅客機である「ダグラスDC-4」で開始しました。以降日本でも、その名が徐々に広く知られるようになります。

 ちなみに、パンナムのシップ(機体)には、伝統的に「○○クリッパー」という名称が与えられています。

「ハワイ・クリッパー」も存在し、マーチンM-130飛行艇に、その名が与えられました。

 パンナムは1991(平成3)年に運航を終了していますが、2021年現在も、ホノルルのアラモアナ地区には「PAN AMERICAN」のロゴが書かれた「パンナムビル」が残っているようです。