帆船時代には決まったスタイルがなかった海軍の制服が、やがてイギリスで「セーラー服」に統一され、これが各国でも採用されていきました。その一方で、このセーラー服がどのようにして民間に広まったかひもときます。

セーラー服はイギリス海軍の作業服が由来

 いまではそれほど頻繁にお目にかからなくなったかもしれませんが、女子学生の制服といえば「セーラー服」が昔から定番とされています。このセーラー服、由来は海軍の水兵服がそのルーツだそう。では、発祥はどこかというと、19世紀半ばのイギリスだといわれています。

 イギリス海軍で採用されたセーラー服は、時代が進むにつれ、各国の海軍でも取り入れられていき、それと同時に欧米で子供服や女学生の制服にもなっていったのです。

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冬服を着た海上自衛隊の海士長。「士」と呼ばれる階級の男性隊員はセーラー服が制服として定められている(画像:海上自衛隊)。

 18世紀初めの各国海軍では、ジャケットやブレザーなど、水兵の制服はまちまちでした。むしろ、イギリス海軍では船長が自腹で好みの制服を支給して、互いに競い合っていました。

 そのようななか、砲艦「ハーレクイン(道化師)」のアーサー・ウィルモット船長は、艦名にちなんで乗員に道化師の衣装を着せたところ、これは悪乗りすぎると大問題になりました。このような事態をさすがに見逃せなくなったイギリス海軍は、この機に統一した制服を支給することにして、ヴィクトリア女王時代の1857(安政3)年に作業着だったセーラー服を正式に採用したそうです。

 なお、イギリスと同じ頃にフランス海軍もセーラー服を採用し、それがアメリカにも伝播したことで、同国海軍は南北戦争中の1862(文久元)年に取り入れています。

 セーラー服の特徴である大きな襟は、風が強い日に立てて甲板でも声を聞こえやすくするためだといわれます。

また、当時の水兵は束ねた長髪を油で固めており、背中が汚れないように襟が広くなったなどともいわれています。このようにセーラー服の襟については諸説入り混じっていますが、いずれも俗説です。

欧米から日本に来たセーラー服文化

 セーラー服が1830年代に登場した当初、この襟は丸かったそうです。では今のように四角くなった理由は、そのほうが生地の裁断が容易なのと、水兵が自分で繕い直すときに手間がかからないためだといわれます。そして、襟には白線が付けられ、飾りのスカーフも加わって、しだいに現在の形になっていきました。

 制服のそのほかの部分に目を移すと、イギリス海軍やアメリカ海軍では、初期の帽子はツバのある、いわゆる「ハット」でしたが、これは国によって形はまちまちで、現在のようなツバのない帽子はロシアが最初だとのこと。

また、ズボンの裾は作業をするときに巻き上げやすいよう広いベルボトムでした。

 19世紀の後半になるとセーラー服はアメリカやヨーロッパ以外の海軍でも採用されていきます。その後、日本にも伝わり、明治維新間もない1879(明治8)年に、「水火夫服」として正式に規定されています。

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1889年頃のロシア皇帝アレキサンドル3世一家。当時のセーラー服がわかる(画像:イギリス王室コレクション)。

 旧日本海軍の水兵を撮影した写真を見ると、帽子に文字が書かれた帯が巻かれているのをよく目にします。

これは「ペンネント」と呼ばれる鉢巻きで、水兵の軍艦の名前や所属する海兵団の名称が書かれています。しかし、これでは敵国側にも所属がわかってしまうということで、太平洋戦争が始まった後の1942(昭和17)年、表記が「大日本帝国海軍」に統一されました。

 こうして進化を続けてきた海軍のセーラー服、すでに誕生から200年近く経ち国によって細かい部分のデザインは異なるようになったものの、四角い広襟、Vネック、スカーフ、鍔のない丸帽といった基本形状はいまも変わっておらず、一目で水兵とわかるスタイルが守られています。

軍服から子供服、そして女子学生の制服へ

 前述のように、イギリス海軍でセーラー服が採用されたのは、19世紀のヴィクトリア女王が統治した時代でした。イギリス海軍でセーラー服が採用される少し前の1846(弘化3)年に、当時、王室ヨットの水兵が着ていたセーラー服を気に入った女王は、のちにエドワード7世となる皇太子のために、その子供用を作らせたそうです。つまり、軍服として統一して採用される前に、セーラー服は早くも子供服になっていたといえるでしょう。

 ヨーロッパの王室は互いに親戚関係にあり、女王は孫のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世にセーラー服をプレゼントしています。こうして各国の王室で、セーラー服は子供服のトレンドになりました。やがてイギリスでは女子学生の制服にも取り入れられていきます。

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太平洋戦争中の女学生(時実雅信所蔵)。

 一方、日本における学生服は、明治初期に軍服を参考にした男子用の詰襟が普及したのが先でした。当時の女子学生は、現在でも大学の卒業式で見られる小袖の着物と袴が一般的で、そのスタイルは大正時代まで続きます。

女子用のセーラー服は1920(大正9)年頃に京都にある平安女学院のワンピース型が最初といわれています。

 マンガやアニメで有名な『鬼滅の刃』の舞台にもなった大正デモクラシーの時代には、和装・洋装を問わず、日本女性の間におしゃれなファッションが普及しました。そんな背景もあって、折り目のあるプリーツ・スカートと帽子がセットになったセーラー服は急速に広まり、昭和に入ると女学校の制服として定着していきました。

 こうして、第2次世界大戦前には日本を含む各国の国民に浸透したセーラー服は、その出自が軍服と同じであることがわかるデザイン上の特徴を明確に残したまま、現在に至っているのです。