約100年前に誕生した空母は、いまや世界の海軍における主力艦艇になっています。しかし、航空機を軍艦に載せるための技術開発は困難を極めました。

空母誕生の時代にしのぎを削った日米英の試行錯誤を振り返ります。

ハードルが高かった空母の建造

 現代の海軍においてなくてはならない存在となっている航空母艦、いわゆる「空母」。海上自衛隊も、既存のヘリコプター搭載護衛艦であるいずも型を改装し、空母としての能力を付与しようとしています。

 空母の特徴のひとつには、大砲の弾が届かない遠方の目標でも、搭載する航空機で攻撃することが可能であるため、作戦範囲が広がるという点があげられます。ライト兄弟が有人動力飛行を成功させて以来、移動する軍艦を陸上機のプラットフォームにして世界のどこでも発着できるようにするのは、自然の流れだったといえます。

 空母の建造が始まったのは第1次世界大戦当時。

先陣を切ったのはイギリス海軍でしたが、各国とも最初は試行錯誤を重ねています。そこで、空母の実用化初期の時代に、各国がどのような困難に直面したか、その歴史をたどってみましょう。

「煙突と艦橋が邪魔」「飛行甲板増やせ」空母はいかにして完成さ...の画像はこちら >>

改造の途中段階にある「フューリアス」。左下に見えるのが転落防止用のバリケード(画像:Crown Copyright)。

 史上初の空母といわれるのがイギリス海軍の「フューリアス」です。同艦は前部に発艦用の飛行甲板を設置し、発進した航空機は陸上基地に着陸させていました。

その後、後部に着艦用甲板を追加しましたが、船体の中央には高層の艦橋と煙突が立ったままであり、前後の甲板を行き来するため、その両脇には航空機の移動通路を設けるという形状でした。ただ、航空機の発着艦にとって船体中央にある艦橋と煙突は邪魔者でした。そこで「フューリアス」は艦橋と煙突を飛行甲板の下に移動させる改装を受けています。

 なお、続いて誕生した「アーガス」で、ようやく飛行甲板だけのフラッシュデッキ(全通飛行甲板)構造にしています。

格納庫が熱地獄に

 イギリスと並行して、アメリカもフラッシュデッキの「ラングレー」を建造、日本も「鳳翔(ほうしょう)」を建造しました。ちなみに、この「鳳翔」が当初より空母として設計・建造された世界初の船となります。

「鳳翔」は船体中央部の右端に、アイランド型(島型)と呼ばれる艦橋と4本の煙突を配置したのですが、邪魔だとの意見があり、飛行甲板の下に移設してしまいました。ところが艦橋を飛行甲板の先端下部に移すと視界が悪くなります。前出の「フューリアス」と「アーガス」では航行中に艦橋が飛行甲板にせり上がる形にしたものの、この状態では当然航空機は発艦できません。

「煙突と艦橋が邪魔」「飛行甲板増やせ」空母はいかにして完成されたか 無理ゲーに挑んだ各国
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アメリカ初の空母「ラングレー」(画像:アメリカ海軍)。

 艦橋とともに、煙突も邪魔な存在でした。排煙は飛行甲板の気流を乱し、発着艦に深刻な影響を及ぼします。

そこで「アーガス」と「フューリアス」は煙突を飛行甲板下の側面に移したところ、格納庫が“熱地獄”に。この対策として、排気口を艦尾まで伸ばすことにしました。

 日本は「鳳翔」に続く巡洋戦艦と戦艦の改造空母「赤城」「加賀」で煙突を側面に設置し、120度折り曲げた排気口を海面に向けています。それでも格納庫は熱くなり、「加賀」は排気口を艦尾に伸ばし、「赤城」は煙突を大小ふたつに分けて、小煙突を上向きにしました。

 アメリカも巡洋戦艦の改造空母「レキシントン」と「サラトガ」を完成させます。2隻はアイランド型艦橋を持ち、巨大な煙突を艦橋より高くして飛行甲板への影響を最小限に抑えるという方法を取りました。

 イギリスは空母として新造した「ハーミズ」で艦橋と煙突をひとつにまとめ、排気口を高い位置にしています。やがてこの形がアメリカとイギリスの標準になっていきます。

発着艦を同時に行う

 当時、空母の狭い飛行甲板では航空機が同時に発着艦できないという点も解決すべき課題とされていました。それなら飛行甲板の数を増やせということで、多段式にしたのがイギリスの「フューリアス」(二段式)と、日本の「赤城」「加賀」(三段式)でした。

「赤城」と「加賀」の一段目と二段目は格納庫を兼ねた発艦用でした。ところが、二段目の出口は天井に艦橋を、両脇に砲戦用の20cm連装砲塔を設置したので発艦用としては使えなくなりました。

また一段目は海が荒れると艦首を超えて波が流れ込み、これも使い物になりませんでした。

 結局、「赤城」と「加賀」は昭和の大改装で飛行甲板を一段にし、艦橋もアイランド型に作り変えています。

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巨大な煙突が特徴なアメリカ空母「レキシントン」(画像:アメリカ海軍)。

 また、離陸距離の短い複葉機は、発艦はできても着艦は簡単ではありません。イギリスは飛行甲板に長いロープを何本も縦に張り、航空機が着艦すると機体との摩擦で停止させようとしました。しかし、それでも勢い余って航空機が海に転落してしまいます。両脇や正面に転落防止のバリヤーを張ったりもしますが、うまくいきません。

 そこで、失速直前まで速度を落とした航空機を人の手で受け止めようとしました。しかしこのやり方は死傷者が出て、失敗に終わります。
 
 そんな苦労の末にたどり着いたのが、飛行甲板と直角に、ワイヤーを何本も並べる方法でした。ここで開発された、フックでワイヤーを引っかけるようにした航空機の装備が、いまでも使われるアレスティングギアとなりました。

空母機動部隊から空母戦闘群へ

 こうして空母はようやく実用にたえる兵器となりました。しかし、それでも残った空母の弱点は防御力でした。航空攻撃には脆弱だったのです。そこで空母を中心に戦艦、巡洋艦、駆逐艦で編成した空母機動部隊が誕生します。第2次世界大戦で空母機動部隊を運用したのは日本とアメリカの2か国だけでした。
 
 当時のアメリカ太平洋艦隊は、タスク・フォース(任務部隊)に含まれるタスク・ユニット(任務群)に4つの空母機動部隊を組み込んでいました。この空母機動部隊は水上打撃部隊とも呼ばれ、当初は戦艦や巡洋艦などが空母を護衛していましたが、これらの艦艇がイージス艦やミサイル巡洋艦に変わったのが、今日の空母戦闘群(空母打撃群)になります。

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空母「エイブラハム・リンカーン」を中心にしたアメリカの空母戦闘群(画像:アメリカ海軍)。

 第2次世界大戦後も各国は空母を運用し続けています。しかしその誕生のときから変わらず、空母はメンテナンスに手間がかかり、常に作戦行動するには複数の空母打撃群が必要となります。海上自衛隊が「いずも」「かが」の2隻体制を取り、中国が相次いで空母を建造するのもそのためです。それぞれの空母保有国は、空母特有のこうした困難を克服しながら、運用を続けているというわけです。

 空母は航空機の進化ともに、アングルド・デッキやスキージャンプなどを取り入れてきました。今後も戦争のあり方によって姿を変えるかもしれません。