熊本県多良木町で寝台特急「はやぶさ」の客車をそのまま活用した宿泊施設「ブルートレインたらぎ」が営業中です。コロナ禍でますます貴重になっているブルートレインの宿ですが、ゆかりのない多良木町に来たのにはワケがありました。
東京~熊本間を約18時間で駆け抜けていた寝台特急「はやぶさ」の定期運行が終了してから十数年が経ちました。現在その客車の一部は、車両・施設をそのまま活用したトレインホテル「ブルートレインたらぎ」として熊本県多良木町で営業しています。
くま川鉄道 多良木駅にほど近い同ホテルの客室として活用されている3両の客車のうち、1号車のスハネフ14-3(開放型4ベットタイプ)は、2009(平成21)年3月13日の最終運行も「はやぶさ」の運用についていました。また3号車のオハネ15-2003(個室タイプ)も、同日に廃止となった併結列車の「富士」(廃止時は東京~大分)に連結されていた車両です。車両側面には「特急はやぶさ 東京 FOR TOKYO」の方向幕が掲げられ、車内では、ほぼそのまま残されている寝台車のベッドで一晩を過ごすことができます。
ブルートレインたらぎ。往年の寝台特急「はやぶさ」の幕が掲げられている(宮武和多哉撮影)。
施設の方によると、ブルートレインの現役当時を知らない子供も、未知の“4ベッド”(1室に向かい合わせで4つのシングルベッドが設置されている)に「秘密基地みたい!」と興奮し、何度も梯子を上ったり降りたり、客車内を探検したりするのだとか。
「はやぶさ」現役当時を知る世代にとって嬉しいのは、4ベッドタイプ、個室タイプともに宿泊料金が安いこと。「はやぶさ」の廃止当時には個室(A寝台・シングルデラックス)の料金だけで1万3350円の料金がかかり、これに東京~熊本間の乗車料金・特急料金がかかると3万円以上になりました。かたや「ブルートレインたらぎ」は1泊で3140円(2022年2月現在)。4ベッドでも個室でも料金が変わらず、当時の8分の1の値段で、ブルートレインの個室で一晩を過ごすことができるのです。
しかも係員の方に声をかければ、現役当時にはまず入れなかった車掌室に入ることも可能。車内アナウンス用のマイクやまだまだ現役のオルゴール、紐を引いて鳴らすベルなどの機器を、眺めたり触ったりすることもできます。ただし、すべての部品はまず換えが効かないものばかり。くれぐれも大切に取り扱いましょう。
この「ブルートレインたらぎ」の開業は、「はやぶさ」の定期運行終了から1年後の2010(平成22)年3月です。この車両はなぜ、同一県内とはいえ熊本市から100km以上も離れた多良木にやってきたのでしょうか。
トレインホテル開業の陰に「そもそもホテルが欲しい!」「ブルートレインたらぎ」がこの地に開業した背景には、多良木町が長く抱えていた、宿泊施設不足という課題がありました。
熊本県球磨地方のホテル・旅館などは観光の拠点である人吉市に集積していますが、球磨地方は球磨川に沿い東西に長く延びています。宿泊の需要としては観光だけでなく、工事関係者などのほか、多良木町には体育館、武道館、陸上競技場などがあり、スポーツチームや部活動の合宿などもさかんに行われていました。しかし、この町にあったのは定員13名のビジネスホテルと農家民宿が3軒。近隣の錦町、湯前町も温泉旅館などがぽつぽつとあるのみで、“大人数が手軽に安く泊まれる宿泊施設”が必要とされていたのです。
そこに「はやぶさ」運行終了のタイミングが重なり、ブルートレインの客室をそのまま利用したトレインホテル構想が浮上しました。
その後、町は「はやぶさ」車両を約258万で買い取ることに成功します。熊本の車両基地から車両をトレーラーで多良木まで移送し、クレーンで降ろす費用に約1100万円、土地の造成、レールや屋根の設置、宿泊施設としての改装に約4300万。「ブルートレインたらぎ」と同等の収容人数(48人)を持つ宿泊施設を建設するよりは、ある程度安く済ませることができたと言えるでしょう。

正面入口(宮武和多哉撮影)。
なお、宿泊施設とするにあたっては、寝台列車の内装を最大限に活かしています。トイレは目立たない場所に別棟で新設、お風呂は目の前の温泉施設を1回利用無料にすることで対処。これらは車両メンテナンスを軽減する工夫です。
こうして「ブルートレインたらぎ」がオープンすると、念願の“ブルトレ乗車”を果たすための利用者も多く、初年度の宿泊客が3561人と当初の想定を1000人以上も上回ったといいます。また、やはり合宿での利用がとても多く、半数近くを熊本県内からの利用が占めていたそうです。
コロナ禍で閉鎖が相次ぐトレインホテル、多良木は健在!その後も10年にわたって営業を続けてきた「ブルートレインたらぎ」ですが、2020年から続く新型コロナウイルスの影響で部活動の合宿・旅行客ともにキャンセルが相次ぎ、緊急事態宣言の影響もあって、一時休業を余儀なくされました。
この休業期間中に、換気設備の増設や共用スペースのパテーション設置など、感染症防止の対策が施されました。また機器の設置で外壁塗装を剥ぐ必要が生じたこともあり、経年劣化が進んでいた箇所も含めて、ブルートレインには欠かせない青色塗料「国鉄20号」で再塗装されています。
2021年7月に再オープンを果たしたものの、宿の方に聞くと、客足はまだまだだそう。そうしたなか、もはや交換できない1点モノの部品も多いこの施設を、丁寧に管理し続けているといいます。

場所はくま川鉄道 多良木駅のそば(宮武和多哉撮影)。
一方、全国では、いわゆるニューノーマルに合わせた改装工事ができなかったブルートレインにまつわる宿泊施設の休止が相次いでいます。「あけぼの」の客車を利用した秋田県小坂町の「ブルートレインあけぼの」は、2021年度の営業を休止し、現在のところ今後は未定。また「北斗星」の実物パーツで寝台特急の車内を再現した東京都中央区の「トレインホテル北斗星」も2021年7月をもって長期休業になりました。
なお、くま川鉄道は2020年に発生した球磨川の氾濫により不通となっていましたが、2021年11月に部分復旧を果たしました。その“くま鉄“で多良木まで向かうのもよいですが、人吉から産交バス湯前線(「多良木駅前」か「多良木」で下車)で球磨地方の生活圏を眺めながら来るのもよいかもしれません。