駅名には東西南北や「新」、旧国名を冠するものがあります。「小金井」もそうで、西武多摩川線の新小金井、JR中央線の武蔵小金井などがありますが、西武新宿線には「花小金井」が存在します。

「花」の意味は何でしょうか。

小金井5駅 頭に新、武蔵、東…「花」?

 西武新宿線の花小金井駅ホーム(東京都小平市)に降り立つと、妙な違和感に襲われます。ホームの幅がやたら広いのです。ひとつのホームの両側に上下線の線路がある1面2線の島式ホームなのですが、そのホームは通常の2倍くらいの幅があります。「花小金井」という駅名も何やらいわくありげです。

 同駅の南約1kmの地に都立小金井公園が広がっています。小金井公園は、都内でも屈指の花見の名所。園内にはヤマザクラ、サトザクラ、ソメイヨシノなど約1700本の桜が植えられていて、開花時期には大賑わいとなります。

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花小金井駅の高田馬場寄り。かつては中線がホームへと入っていた(2022年3月、内田宗治撮影)。

 花小金井の「花」は同園のことを指していると思うかもしれませんが、同園の開園は1954(昭和29)年。その前身をたどっても、東京緑地計画を基に1940(昭和15)年の「紀元二千六百年記念事業」として計画された小金井緑地です。

一方、花小金井駅の開業は西武新宿線の高田馬場~東村山間が開通した1927(昭和2)年。小金井公園ができるよりずっと前のことです。

 ここで、ほかに「小金井」の名が付く駅の開業年を列挙しておきましょう。

・小金井駅(栃木県下野市):1893(明治26)年、JR東北本線(当時は私鉄の日本鉄道)
・新小金井駅(東京都小金井市):1917(大正6)年、西武多摩川線(当時は多摩鉄道)
・武蔵小金井駅(同上):1924(大正13)年仮開業、JR中央線。本開業は1926年
・東小金井駅(同上):1964(昭和39)年開業、JR中央線

 小金井の前に付く文字に関して、新小金井は、すでにあった東北本線の小金井より後にできた新しい駅が由来です。すぐ近くの武蔵小金井と区別するためと誤解されがちですが、武蔵小金井より早く開業しています。武蔵小金井は旧武蔵国にあるため、東小金井はその東隣に位置するため。では花小金井の「花」とは何でしょうか。

お花見臨が運転されていた

 花小金井の駅ホームが幅広い理由から種明かしをすれば、かつてはホームに対して縦に切れ目を入れるようにしてもう1本の線路(中線)がありました。中線は車両の右側からも左側からも乗降できる2面3線の形状。高田馬場方面からのみホームに進入できる構造で、所沢方面は行き止まりの頭端式でした。

花小金井駅の「花」って何? 実は西武の名称戦略、いまも幅広ホームに名残あり
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幅が広い花小金井駅ホーム(2022年3月、内田宗治撮影)。

 その中線へは、お花見のシーズンなど、花小金井駅行きの臨時電車が発着していました。お花見スポットは小金井公園ではなく、玉川上水の堤に咲く「小金井桜」です。

 小金井桜とは、玉川上水の土手に約7kmにわたって植えられていたヤマザクラを指します。大正時代末の全盛期には、約1500本あったといいます。

 西武鉄道(現在とは経営母体が異なるので、旧西武鉄道とも呼ぶ)は、当時の省線 武蔵小金井駅を多分に意識し、小金井桜で花見するなら西武電車という宣伝的意味合いを込めて、小金井桜の最寄り駅を花小金井と命名したわけです。

 小金井桜は江戸時代半ば、徳川吉宗の時代に玉川上水に植樹されたのが始まりです。理由は、桜の木の根は堤が崩れるのを防ぎ、花を見に人が集まれば堤が踏み固められて頑丈になるためです。また玉川上水の水は江戸の人にとっての飲み水となりますが、桜の花ビラには水の解毒作用があるとされたためでもありました。

 江戸後期には歌川広重など、人気浮世絵師により花見の様子が描かれたこともあり、江戸近郊随一の名所となりました。後に明治天皇も行幸し、1924(大正13)年には国の「名勝」に指定されています。

木が邪魔… 伐採された堤の小金井桜

 花見のシーズンには、花小金井駅また武蔵小金井駅へと臨時列車が運転されました。中央線の例では、「吉祥寺止り電車を全部(武蔵)小金井まで延長して十二分間隔で運転」(大正15年4月17日、東京朝日新聞)、「明日の(東京周辺の花見客の)人出百五十万と見込みをつけた鉄道省では、盛んに臨時の花見列車をくりだす。

まず東京(武蔵)小金井間は67往復の臨時電車」(昭和2年4月16日、東京朝日新聞)などと新聞の紙面を賑わせています。

花小金井駅の「花」って何? 実は西武の名称戦略、いまも幅広ホームに名残あり
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花見の時期の都立小金井公園(2010年4月撮影、内田宗治撮影)。

 小金井桜の絶頂期は、まさに花小金井駅が開業した昭和初期頃で、その後は受難の時代へと移ってしまいます。戦時色が濃くなり、花見どころではなくなるのでした。

 さらに戦後は自動車の数が激増し、玉川上水の堤に沿って五日市街道が拡張されると、邪魔になるからと一部の桜の木が伐採されました。残された木も排気ガスにさらされるなど、従来のような桜の花見ができなくなってしまいます。桜の木は1965(昭和40)年には、約730本まで減少しました。

 こうした小金井桜の姿を見て、都立小金井公園に桜の木が植樹されていきました。花小金井駅や武蔵小金井駅への臨時電車もなくなり、いつしか花小金井駅では中線も撤去され幅の広いホームとなり、1998(平成10)年に橋上駅舎化されています。

 とはいえ現在でも、江戸時代以来の小金井桜の名残が、駅名と幅の広いホームに見られるというわけです。

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