日本の駅や列車内は清潔だといわれます。しかし一昔前は、そこら中にゴミが散らかっていました。
近頃、SNSで定期的に、駅のゴミ箱がなくなった、減ったことが話題になります。関東私鉄の多くがセキュリティ面、衛生・安全面、家庭ごみが持ち込まれている現状などを理由として駅構内のゴミ箱を撤去したのは、2021年から2022年にかけてのことですが、社会経済活動の再開で顕在化したということでしょう。
もともと日本は諸外国と比較して、街頭や観光地のゴミ箱が極端に少ないといわれています。それでも街にゴミがあふれないのは、日本人の清掃に対する意識が高いからとされますが、かつては日本でも駅構内や車内にゴミが散乱する時代がありました。
駅のゴミ箱(画像:写真AC)。
例えば1970年代後半、交通道徳協会が国鉄や私鉄と共同で展開した「クリーン・アップ・ジャパン運動」や「旅のニュー・マナー運動」では、「紙くず、空かん、空びん、タバコの吸いがらなどは必ず所定の場所に収め、時には家に持ち帰ろう」と呼びかけています。
1978(昭和53)年の業界誌『汎交通』に協会理事長が寄稿したところによれば、公共の場所には必ず「ゴミはゴミ箱に」の掲示があるにもかかわらず、いたるところにゴミがまき散らされ、せっかくの美観と清潔が害されていたそうです。
その要因として理事長は、日本には昔から「旅の恥はかき捨て」という悪習があり、人に直接迷惑をかけることは慎むが、ゴミを捨てるなど人に間接的に迷惑をかけることには気を配らない傾向があると指摘しています。
また1967(昭和42)年の『汎交通』には「かん類、びん類の飲物が非常に多くなりまして、これを所かまわずホームに飲み放しにする。あるいはホームから線路内に捨てる、というような事実が非常に多い」という上野駅長の報告が掲載されています。
国鉄百年史の編纂に携わった元国鉄職員の沢 和哉ですら、駅勤務で清掃する立場になるまで「ホームに立つと近くに塵箱があるにもかかわらず、つい線路上に投げ捨ててしまう」悪習があったと、自伝の中で告白しているほどです。
弁当などのゴミは座席下へ!?時代とともに大きく変わったマナーとして有名なのが車内のゴミの扱いです。今はデッキのゴミ箱か、下車駅ホームのゴミ箱に捨てるのが常識ですが、昔は食べ終わった弁当などのゴミは座席の下に置くのがマナーとされていました。
ふだんあまり食べない人も、列車に乗ると気分が高揚するのか、やたら飲み食いする傾向があるそうです。駅販売、車内販売で購入した弁当や飲み物は大量のゴミとなり、そのままではあふれてしまいます。
JR信越本線の横川駅でかつて見られた、駅弁の販売風景(画像:荻野屋)。
鉄道側としては各自でゴミ箱に捨ててほしいと思っていたものの、当時はゴミ箱のない車両が多くありました。そこで終点の車内清掃だけでなく走行中にも係員が随時、回収するのですが、包装紙、箱、箸、ミカンの皮などが散らばっていては大変です。そこで新聞紙などで包んで座席下に置いてもらえれば清掃しやすい、そんな苦肉の策としてのマナーだったのです。
1960年代に入ると、新型の特急車両や新幹線など、ゴミ箱を備えたモダンできれいな車両が登場します。1964(昭和39)年の旅行指南書『新幹線旅行メモ』は、「弁当のから、その他のくずも、従来の悪習をやめて、出入り口のくずもの入れに乗客自ら入れに行って、できるだけ車内をよごさないようにしたいものである」と記しています。
清潔な車両は汚しにくいものです。
座席下にゴミを置くことが推奨された、もうひとつの理由はもっと深刻です。それは置き場がないと、窓から投げ捨てる人が少なくなかったからです。有名な話ですが、夏目漱石の『三四郎』には、三四郎が空になった弁当を窓から投げ捨てる場面があります。
これは1908(明治41)年に連載された小説ですが、1955(昭和30)年発行の『最新交通道徳の詳解』という本には「車窓から物を投げすてるな」という項があります。今となっては信じられない話ですが、投げ捨てられた空びんが線路保守作業員や通行人、対向列車の乗客にぶつかって負傷させる事件は珍しくなかったそうです。
そこで同書は「どうしても車内で不要になった紙屑や瓶、土瓶等の廃物は車内の適当な所にまとめておくのがよい。そうしてできる限り下車するとき家に持ち帰るのがよい」とマナーを説きました。
列車内に設けられたゴミ入れ(画像:写真AC)。
こうして見てきたように、日本人も最初から清掃マナーを身に付けていたわけではありません。所得・生活水準の向上や粘り強い啓発、そしてゴミ箱などの設備拡充が相まって、定着していったのです。
ただし社会環境が変わり、街角からゴミ箱が消えていくと、日本人の習慣は徐々に元に戻ってしまう可能性もあります。