「新幹線誕生50周年」を迎えた2014年。この50年のうち44年もの長きにわたり、その歴史を支えてきた車両があります。
世界で初めて200km/h以上での営業運転を実現した日本の高速鉄道「新幹線」は、1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線が開業して以来、今年で50周年を迎えました。
そのためこの2014年、JR東海がその歴史や魅力、トリビア等を掲載した「東海道新幹線 開業50周年記念サイト」を開設、政府が「新幹線鉄道開業50周年記念貨幣」を発行、NHKがスペシャルドラマ『妻たちの新幹線』を制作するなど、「50歳」を祝う様々な動きがありました。ちなみに『妻たちの新幹線』は、12月20日(土)15時10分からNHK総合で再放送されます。
JR東海「東海道新幹線 開業50周年記念サイト」
http://shinkansen50.jp/
「NHKスペシャルドラマ 妻たちの新幹線」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/shinkansen/
この「新幹線」にとって記念すべき2014年、今日12月14日について触れないわけにはいきません。その開業から「新幹線」を長年にわたり支えてきた初代新幹線車両「0系」が、引退した日だからです。
最後の0系に向け行われた鉄道員の「敬礼」初代新幹線車両の0系は1999(平成11)年9月18日、東海道新幹線(東京~新大阪間)での営業運転を終了。その後は山陽新幹線(新大阪~博多)で引き続き運行されましたが、ついにその日が訪れます。
1964年の登場から44年が過ぎた2008(平成20)年12月14日の14時56分、大勢の鉄道ファンらがつめかけた新大阪駅のホームから、臨時列車の「ひかり」347号が博多駅へ向けて発車しました。この列車が0系による最後の営業運転です。
筆者は幸いにも、この「最後の0系」に乗車することができました。車内では記念乗車証が配布されたほか、1970年代に山陽新幹線が開業した当時の制服を着用した女性の車内販売員さんによって、記念弁当やグッズの販売も実施されています。
最後の0系が博多駅へ走る途中、広島駅では500系「のぞみ」29号に追い抜かれる時間を使用し0系の「引退式」が実施されました。その終了後、列車が広島駅を発車した際に「ひかり」347号車内から見た光景は忘れられません。
駅員、車両整備員など様々な鉄道員の制服を着たJR西日本関係者がホームへズラリと並び、博多駅への最後の旅路に動き出した「ひかり」347号へ対し、直立不動で敬礼。0系の花道を見送っていました。
そして終点、博多駅到着を前に0系最後の車内放送が入ります。その内容は「まもなく博多駅へ到着します、お忘れ物のないように」といった、普段と変わりのないものでした。
「鉄道発祥の国」から寄付を求められた0系0系が営業運転を終えてから6年が経過しましたが、各地に保存されている車両があり、その主なものを以下に挙げます。
・リニア・鉄道館(名古屋市)
・鉄道博物館(さいたま市)
・青梅鉄道公園(東京都青梅市)
・四国鉄道文化館(愛媛県西条市)
・カワサキワールド(神戸市)
・新幹線公園(大阪府摂津市)
・新通町公園(静岡県富士市)
・昭島市民図書館つつじが丘分室(東京都昭島市)
・鉄道歴史公園(京都府亀岡市)
大阪市の交通科学博物館にも展示されていましたが、閉館により現在は見ることができません。そこで展示されていた0系は、2016年春にオープン予定の京都鉄道博物館(京都市)で再び展示されます。
ちなみに0系は日本国外でも展示されています。イギリスのヨークにある国立鉄道博物館です。
2000(平成12)年、JR西日本が運営する交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館が、「鉄道発祥の国」であるイギリスの国立鉄道博物館と姉妹提携。そしてJR西日本へ、国立鉄道博物館に0系を寄付してほしいという打診があります。
JR西日本はこれを受けて2001(平成13)年3月16日、博多港で0系の船積みと出発式を実施。同年7月12日からイギリスの国立鉄道博物館において、202.8km/hという蒸気機関車で世界最速の記録を持つ「マラード号」と並ぶ形で0系の展示が始められました。
この件についてJR西日本の会長を務めた南谷昌二郎氏は著書『山陽新幹線』(JTBキャンブックス)で、「世界の高速鉄道の草分けになった0系新幹線車両が、鉄道発祥の国にある国立鉄道博物館に展示してもらえることは、JR西日本のみならず、日本の鉄道界全体にとって喜ばしいことである」と述べています。