1月28日に経営破綻を発表したスカイマーク。「空の革命児」と呼ばれた格安航空のパイオニアが、なぜそこまで業績が悪化したのでしょうか。

創業時から現在までをの歴史を振り返り、原因を探りました。

政府の規制緩和で誕生した国内格安航空のパイオニア

 2015年1月28日に経営破綻を発表したスカイマークは1998年、航空政策の規制緩和で誕生した新規航空会社です。ボーイング767型機による羽田~福岡線の就航により事業がスタート。長年、日本の国内線はJALANA、JASの三大キャリアがシェアを占めるなか、定期路線に新規参入する会社は実に35年ぶりのことでした。

 このとき大手に比べ40%引きの低運賃で就航したスカイマークは「空の革命児」と呼ばれました。格安航空の草分け的な存在です。また機材に中型の767型機を導入した理由は、限られた羽田空港の発着枠で一度に多くの客を乗せることで低運賃を確保する、という発想でした。

 しかしAIRDOも続いて競合路線に参入したほか、大手航空会社も運賃の引き下げを実施。スカイマークの経営は苦境に直面していきます。

 そこで2004年に就任したIT業界出身の西久保社長はベンチャー企業的な手法で、抜本的な経営改革を行いました。賛否両論があったものの、飲料や雑誌などの機内サービスを廃止、大胆なコスト削減により採算性を確保したのです。またこの時から、実質的に西久保社長のワンマン経営になっていったともいわれます。

スカイマークを助けた小型機

 そして西久保社長は小型のボーイング737型機を使い、多くの便を飛ばすことで利便性を向上させ、競争力を高める方向に動きます。それまで使っていた中型の767型機は燃料、着陸料、整備費、乗員育成費などで相当なコストが掛かっていたからです。

 2006年2月から就航した737型機は、767型機に比べ低コストで機材を維持でき、羽田~福岡、羽田~新千歳の幹線には1日10便(往復で20便)近く飛ばせるようになりました。これによって利便性は大幅に向上し、営業利益も向上。また小型の737型機は、地方空港へ就航させる機材としても好都合でした。従来の767型機は2009年10月までに全て引退し、スカイマークの機材は737型機に統一されます。

 そしてこの好調を受け2010年、スカイマークは総2階建ての大型機エアバスA380を導入し、国際線へ本格参入することを表明します。売りは「ビジネスクラス並みのサービスを低価格で提供」というものでした。

 また成田、関西をベースに国内LCCが就航し「LCC元年」といわれた2012年。スカイマークの西久保社長は「消耗戦には参加しない」として、競合路線を低価格にして対抗するのではなく、大手とLCCの中間的なサービスを提供する航空会社を目指すという発想の転換を行いました。

 そして同じく2012年、スカイマークはさらにエアバスA330という大型機の導入を決定。すべてを座席間隔の広い「グリーンシート」にし、成田拠点のLCCとは異なる「羽田発着」という利点を活かすことで、特にビジネス客の満足度アップを予測。

西久保社長はJALの上級座席「クラスJ」に根強い人気があることに言及し、ミドルクラスのマーケットを取り込もうとしていました。

スカイマーク再建の道は?

 しかしこの頃から、円安によるドル払いの航空機リース料が増加していた事実があったほか、燃油の高騰も負担になっていました。

 そして新しく導入された大型のA330型機は2014年6月に羽田~福岡線で就航しましたが、思ったほど客足が伸びず、同年に5機が就航したところで、ほぼ取り返しのつかない赤字運航に陥っていたと考えられます。設立当初、中型の767型機を使って状況が悪化し、小型の737型機にした教訓があったにも関わらず、同じような形で失敗してしまったともいえるでしょう。

 そして総2階建てのA380型機は2014年後半に1号機が納入される予定でしたが、スカイマークにはもうそんな大きな機材を調達、維持できるだけの資金は残っておらず、同年7月、エアバスはスカイマーク側の不払いを理由に購入契約を解除する、という事態になったわけです。

 スカイマークは当初、A380型機を1機あたり319億円で6機導入する計画で、2014年4月までに265億円を支払い済みでした。しかし契約解除以降は約830億円の違約金支払いなどを巡ってエアバス側と協議が難航したままです。

 前述のように大型機導入へ舵を切るまで、スカイマークの経営戦略は悪くありませんでした。したがってもう一度、機材の統一を図ることで運航、整備コストを削減し、路線も羽田~福岡、新千歳、神戸、那覇といった需要の多い区間に集約。さらにJALやANAとの共同運航を実現させ、再建への道を正しく歩むことが現時点では賢明といえるでしょう。

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