三菱自動車が「パジェロ」の新規開発を中止するという報道がありました。“駐車場がすべて「パジェロ」”など、“4WD車の代名詞”として一時代を築いたこのクルマ。

その魅力はどこにあったのでしょうか。

スキー場がすべて「パジェロ」の時代も

 1982(昭和57)年にデビューして以来、三菱自動車の看板モデルとして日本国内だけではなく世界中にその名を轟かせてきた「パジェロ」。その名前は小さな子どもでも知っていて、大型の4WD車はひとくくりに「パジェロ」と覚えられてしまうほどでした。

 バラエティ番組の賞品として登場し、「パ・ジェ・ロ!」という掛け声と共に出演者がダーツを投げる、というシーンも思い出されます。

 ところが日本経済新聞は2015年12月5日(土)、三菱自動車が「パジェロ」の新規開発を中止すると報じました。

 このニュースを知り、1991(平成3)年に登場した2代目と、2006(平成18)年に登場した4代目(現行モデル)を乗り継ぐ女性オーナーは「パジェロに初めて乗ったのは20年以上前。スキーが大好きで白馬(長野県)のスキー場などによく行きましたが、駐車場は全部パジェロでした」と懐かしそうに話します。

「花金」「ゲレンデ」「ユーミン」……。「パジェロ」はそれらに並んで、当時を彩るキーワードのひとつだったとしても過言ではないでしょう。

 車体が大きく一見、運転が難しそうに思える「パジェロ」。しかしこの女性オーナーによれば、運転席からの視界は良好。いわゆる「車体感覚」もつかみやすい形状であることから、取り回しはしやすかったといいます。

 ちなみに、この女性オーナーは2代目に13年間乗り、買い替えるときも「パジェロ」しか考えられなかったそうで、久々のフルモデルチェンジとなった4代目(現行モデル)を購入。1999(平成11)年に登場した3代目で丸味を帯びた車体が、4代目で再び四角い形状に戻り、ツートンカラーも復活したのがポイントだったそうです。

「パジェロ」といえば「パリ・ダカ」、しかし現在は

「パジェロ」といえば、オフロードでのラリー。砂漠を力強く走破するイメージを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。そのイメージを確立したのが、かつて「パリ・ダカ」の略称で知られた「パリ・ダカールラリー」(現・「ダカール・ラリー」)への参戦です。

「パリ・ダカ」はフランスのパリから海を渡り、アフリカにあるセネガルの首都ダカールまで約1万2000kmにおよぶ道なき道を走る過酷なレースです。そこで「パジェロ」は計12回も総合優勝。その圧倒的な強さで、世界的な知名度を獲得しました。

 しかし、あるラリー関係者は「三菱自動車は2005年にWRC(世界ラリー選手権)から、そして2009年にはダカールから撤退しています。ですから『パジェロ』の生産終了は既定路線でした」と話します。

 またこの関係者によると、今年同じく三菱自動車の代表モデル「ランサー・エボリューション」の生産終了がアナウンスされたことも引き合いに出しながら、現在は「良い悪いではなく単純に、メーカーが『モータースポーツで看板モデルを世に出す』という方向性ではなくなった」ともいいます。

「パジェロ」人気を支えた“選択肢”

「パジェロ」の人気を支えた理由に、バリエーションの豊富さも挙げられるでしょう。

ひと回りサイズが小さい「パジェロ・イオ」や軽自動車の「パジェロ・ミニ」など、「パジェロ」の持つイメージはそのままに、車体の大きさや装備・価格帯で多くの選択肢があったのも大きな魅力でした。

「パジェロ・イオ」に10年以上乗ったという60代男性は、「『パジェロ』が欲しかったが自宅のガレージに収まらなかった。しかしあの頑丈そうな外観と走破性に惹かれて、『パジェロ・イオ』を選びました」と話します。

 現在の三菱自動車は、ほかのメーカーと同様にエコカー分野へ注力。「パジェロ」のようなSUVにもその動きは波及し、同社の「アウトランダー」にはコンセントから直接バッテリーに給電できるPHEV(プラグイン・ハイブリッド)モデルが設定されています。

 この「アウトランダーPHEV」はヨーロッパで販売が絶好調。今後は研究開発費をそちらに配分し、“エコなSUV”で世界市場を勝ち抜くというのが三菱自動車の戦略でしょう。

 報道の通り「パジェロ」の新規開発が中止されるならば、「パジェロ」という歴史はいったん終わりを迎えるかもしれません。しかし、同様に幅広く愛される三菱自動車らしいクルマが、エコカーとして再び登場しないとも限りません。その誕生に期待したいところです。

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