JR東日本が公表した2025年夏の臨時列車。24年夏に人気を集めた「目玉」は残念ながらお呼びではないようです。

背景を探ると、驚くべき事情がありました。

44年前デビューの「国鉄形特急」姿見せず

 JR東日本が2025年5月16日に「夏の臨時列車」の運行概要を発表しました。そのなかに、24年夏の「目玉」となった古参車両の運行予定はありませんでした。

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JR東日本大宮駅に入線する185系。写真はB6編成(大塚圭一郎撮影)

 それは国鉄時代の1981年に登場し、「国鉄形特急電車」で最後まで残った185系です。主に白色の車体に3本の緑色のストライプが入った車両が、特急「踊り子」(東京―伊豆急下田・修善寺)で2021年3月まで定期運用されました。東日本地域で最後まで残った「国鉄形特急電車」となり、定期列車からの引退後も臨時列車や団体臨時列車で運用されてきました。

 2024年の夏は、高崎線と上越線を通って大宮から越後湯沢へ向かった臨時特急「谷川岳もぐら」と、越後湯沢から大宮まで走る「谷川岳ループ」の7月20日、21日に185系が使われました。6両編成のB6編成が全車指定席で運行され、筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)も乗りました。

 筆者が複数の関係者に取材したところ、185系が2025年夏の臨時列車から脱落した驚くべき理由が分かりました。

関西の“改造”長距離列車と兄弟

 国鉄が東京―伊豆急下田間の急行「伊豆」に使っていた153系電車の後継となった185系0番台は、通勤用の普通列車などにも使うことを想定し、出入り口のデッキ部分を広くして乗降しやすくしました。

 当時の特急車両は車内に床下機器の音が伝わるのを抑えるために「浮き床構造」が広く用いられていましたが、185系では採用を見送りました。

このため走行時には「爆音モーター」とも呼ばれる主電動機「MT54形」が車内に響き渡ります。

 MT54形モーターを含めた足回りの走行機器は、近畿圏の「新快速」向けに1980年デビューした117系と共通です。117系は、改造した車両がJR西日本の長距離列車「ウエストエクスプレス銀河」として今も活躍中です。

 普通車の座席も当初は、背もたれが倒れない転換クロスシートでした。しかし、特急の利用者から不満の声も出たことなどから1999年以降に回転式リクライニング座席へ交換されました。

 つまり、もともとの185系は「普通以上、特急未満」と呼べる仕様だと言えます。元JR東日本幹部は筆者に対して「当時の国鉄は財政難に陥っていたため、車両への投資を抑える狙いがあった」と説明しました。

高崎線特急と「新幹線リレー号」の185系は“別物”

 一方、高崎線を通る急行列車に使われていた165系電車の置き換え用として、1982年にお目見えしたのが185系200番台です。200番台は寒冷地を走るため耐寒耐雪仕様にし、信越本線の横川―軽井沢間(廃止)にあった急勾配の碓氷峠を通れるよう補助機関車と連結できるようにしました。

引退した後も臨時で走りまくっていた「最後の国鉄形特急電車」はどこへ? 姿を見せなくなったワケ
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越後湯沢駅に停車中の185系(大塚圭一郎撮影)

 0番台との外見上の違いは、先頭部の下部にある警笛を覆う「タイフォンカバー」が0番台はメッシュ状なのに対し、200番台は耐雪カバーである点です。

 200番台は登場時、白色の車体に緑色のラインが入れられました。高崎線を通る急行「あかぎ」(現在の特急「あかぎ」)や急行「草津」(現在の特急「草津・四方」)などに使われ、リニューアル時には白い車体に群馬県の榛名山、妙義山、赤城山の「上毛三山」をモチーフとした黄色と灰色、赤色のブロックパターンを施した塗装に変えました。

 185系200番が特に注目されたのは、東北・上越新幹線が上野駅へ延伸開業する前の「新幹線リレー号」としての運用でした。東北新幹線は1982年6月に大宮―盛岡間で、上越新幹線は82年11月に大宮―新潟間でそれぞれ開業し、上野へ延伸する1985年3月までは主に185系が「新幹線リレー号」として上野―大宮間を走り、途中はノンストップでした。

37年ぶりの復活に「懐かしい」「コレジャナイ」

 185系で最後まで残った「C1編成」は、上越新幹線開業40周年を記念して2022年11月に「新幹線リレー号」として上野―大宮間を復活運転しました。「JNR」マークも再現した現役時代の塗装でよみがえったのは約37年ぶりとなり、沿線では「懐かしい」との声が出ました。

 しかしながら、見た目はそっくりでも実物とは大きな違いがありました。C1編成は「踊り子」の東京―修善寺間に使われていた185系0番台で、「新幹線リレー号」で用いていた200番台ではなかったのです。

 もともとは5両編成だったのを同じ0番台のC2編成と組み替えて6両編成となり、2022年に200番台の塗装に変えた際にタイフォンカバーを耐雪カバーに交換しました。

最後の最後で“逆転現象” 185系の今後は?

 これに対し、2024年の夏の臨時列車に起用された「B6編成」は、白い車体に3本の緑色のストライプが入った0番台の塗装でした。ところが、タイフォンカバーは200番台の耐雪カバーでした。

 というのも、B6編成は200番台のためです。つまり、最後まで残ったC1編成は0番台なのに200番台の塗装を施し、同じく末期まで残ったB6編成は200番台なのに0番台の塗装という“逆転現象”が起きていました。C1編成とB6編成は、直近では大宮総合車両センター東大宮センターに留置されてきました。

 185系の去就についてJR東日本関係者に尋ねたところ「2021年3月に『踊り子』の定期運転を終了後に、もともとは1年程度で全て廃車にする予定だったが、特急に使う車両が不足したため先送りした」と解説しました。

 ただ、大規模な検査を通すとコストがかさむこともあり「B6編成、C1編成ともに2024年で営業運転を終え、以後はお客さんを乗せての運行はしない計画だ」と明らかにしました。

 2025年の夏の臨時列車に185系が入っていないのは、このためです。別の関係筋も「臨時列車や団体臨時列車で運行することはもうないと聞いている」と打ち明けました。

 少し前までは関東地方で幅広く活躍していた185系が現役を離れるのは筆者も残念ですが、国鉄末期のコストを切り詰めて造られた車両が登場から44年近くも第一線で走り続けたのは快挙と言えます。そう遠くないうちに到来するであろう“片道切符”の日には、「長い間、お疲れ様でした」との思いを込めて見送りたいと思います。

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