全国の私鉄のなかでも最長の複々線化区間を有する東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)。同線がいち早く複々線化を実現できた背景には、路線の“ある特徴”に起因する事情があったようです。

1960年代に早くも工事スタート

 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の北千住~北越谷間は、上り線と下り線が2本ずつの複々線になっており、同じ方向の普通列車と急行列車が通過待ちする必要がないため、平日午前7時から8時のピーク時間帯には1時間あたり40本もの列車が運行されています。

 JRでは国鉄時代の1960年代から「5方面作戦」と呼ばれる複々線化工事が行われましたが、関東の私鉄で最初に複々線化が実施されたのは、この伊勢崎線です。それには、ある深いワケがありました。


私鉄最長18.9kmの複々線化区間を有する東武伊勢崎線(2016年8月、青山陽市郎撮影)。

 鉄道の歴史に詳しい大東文化大学の今城光英副学長によると、伊勢崎線の利用者数は1962(昭和37)年に営団日比谷線(現東京メトロ日比谷線)への直通運転が開始されたことや、「東洋一の規模」とされた草加松原団地(埼玉県草加市)の完成などを契機に急増しました。

 それまで4両編成だった日比谷線直通列車は1964(昭和39)年に6両、1971(昭和46)年には8両へと増強されたものの、輸送量増加にはとても追い付かなかったといいます。

 こうした事情から1967(昭和42)年に複々線化工事がスタートし、1974(昭和49)年に北千住~竹ノ塚間、1988(昭和63)年に竹ノ塚~草加間、1997(平成9)年に草加~越谷間、2001(平成13)年に越谷~北越谷間の各区間で工事が完了。これによって、私鉄最長18.9kmの複々線区間が誕生しました。

 今城副学長によると、伊勢崎線の複々線化が他社に先んじた理由としては、沿線の開発が遅れていたために用地買収が比較的容易だったことが挙げられるそう。ただ、理由はそれだけではないようです。

「南北」に走るがゆえの事情

 それは“日照権”の問題です。今城副学長によると、1960年代に複々線化工事を行っていた中央線の東京都内区間などでは、いわゆる日照権に関連した反対運動なども起きたそうですが、東西に走る中央線とは違って南北に走る東武伊勢崎線では、こうした問題が起きにくかったといいます。


南北に延びる東武伊勢崎線(画像出典:国土地理院)。

 ちなみに2016年8月現在、関東の私鉄では東武東上線の和光市~志木間、西武池袋線の練馬~石神井公園間、東急東横線の田園調布~日吉間、東急田園都市線の二子玉川~溝の口間などが複々線化されており、小田急電鉄は2017年度に代々木上原~登戸間の複々線化を完了する計画です。

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