上屋のほとんどがガラス張り、しかも跳ね上げ式ドア。かつてそんなクルマが国内向けに発売されていました。
自動車の歴史を振り返ると、現代から見れば不思議そのものの珍車が数多く存在します。そのなかでもトップクラスの個性を誇るのが、トヨタの「セラ」でしょう。
「セラ」は1987(昭和62)年の「東京モーターショー」に出品された、コンセプトカー「AXV-2」の量産型として1990(平成2)年に発売されました。
その個性はいまなお語り継がれる、トヨタ「セラ」。大きなドアを支える油圧ダンパーには、気温差による影響を防ぐ温度補償機構も組み込まれている(画像:トヨタ)。最大の特徴は、「あらゆる天候下でのオープン感覚の体験」を実現するドア。通常はボディの横面だけのドアガラスを、「セラ」では屋根まで回しました。つまり、上屋のほとんどがガラスで構成されており、しかも、ドアは斜め前上方に開く、いわゆるガルウィングドアを採用していたのです(構造的な動きから厳密に言うと「バタフライドア」が正しい)。
「セラ」は、当時のコンパクトハッチバックである「スターレット」がベースです。大衆車である「セラ」なのに、ドアはスーパーカーの専売特許のように思われていたガルウィング。当時、これには誰もが驚き、高い注目度を誇りました。
しかし、「セラ」は売れませんでした。
まず、ガラスでできた上屋のおかげで、外から車内は丸見え、これを恥ずかしがる人が相当に多かったのです。またガラスのキャビンは、夏になると温室になって、快適とはほど遠いものでした。しかもガラスは重くて、運動性能もいまいち。
割高感もありました。当時のライバル達は120万から140万円のところ、「セラ」は180万円もしたのです。こうした問題は発売前から予想することはできたでしょう。しかし「セラ」は市販化され、そして失敗したのです。
ではなぜ、いまから見ると無謀にも思えることを当時のトヨタは実行してしまったのでしょうか。振り返って考えてみると、すべては「バブルの熱気のせい」と言えるでしょう。
トヨタもあてられた「バブルの熱気」「セラ」が開発されていた1980年代後半の日本は、バブル狂騒のまっただなか、日本中が浮かれていました。
「セラ」発売のわずか前に、日産はレトロなルックスが売りの「Be-1」でヒットを記録。安価なコンパクトカーをベースに、レトロで可愛らしいルックスを被せたもので、特徴的なスタイリングがウリであるクルマを意味する「パイクカー」と呼ばれるものです。ベースであるコンパクトカーの2倍近い価格であったのに、パイクカーは奪い合うように買われたのでした。
トヨタがその波に乗ろうと判断したことは、理解できなくもないでしょう。つまり、そうした「バブルの熱気」があったからこそ「セラ」は企画、発売され、そして現在まで語り継がれる存在になりました。まさに、バブルの生んだ徒花が「セラ」なのです。
【画像】「セラ」のバックショット

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